紫バラの父
明るくない家族計画です。
ボクがベッドから抜け出したとき、屋敷は静まりかえっていた。当主の息子が殺害されかかったばかりにしては奇妙に思えるかもしれないが、別に不思議でも何でも無い。この屋敷はその広さに反して、あまりも住人が少ないのだ。
ここに住んでいる人間はボクを除いて僅かに3人、執事のパーカーと古株メイドのベティ、新入りメイドのレスカしかいない。つい10日ほど前までは、他にコックのダルカンと、メイドのルティスがいたのだが、この二人は職場恋愛の末、それぞれ
「私たち、結婚するんです。幸せになります。」
「結婚を機に、俺もいっちょ帝都に店を構えるぜ。」
の一言を残して、屋敷を出て行ってしまったのだ。
ちなみにこの二人が屋敷を出る前日、みんなで”結婚おめでとうパーティ”をやった。このときは、珍しく屋敷に戻ってきた父母もパーティに参加した。
パーティのさなか、二人が照れたような顔をして、屋敷の本館にある礼拝堂で愛の誓いをたてていた事が印象に新しい。主で有る父と母、そしてボクに、二人の同僚?であるベティとが祝福を送る中、パーカーだけは苦虫を噛みつぶしたような顔をしていた。
あのときのボクは、何でパーカーは素直におめでとうがいえないんだろうと訝しんだものだが、前世の記憶が戻った今ならば分かる。まして、ルティスの代わりとして、3日前から働き始めた新入りメイドのレスカが、昨晩ボクに襲いかかってきた直後とくれば……
「この家はおかしい」
ボクはベッドに腰掛け、溜息をつきながら思わず独りごちた。
こんな状況を作り出したのは、当主であるボクの父、アレイス=ヴァ・ドライス・イルファーランだ。一応この国の貴族で、ボクが住んでいる島の領主を勤めているらしい……いや、勤めていないか。前世のおぼろげな知識からいえば、領主と名のつく存在が所領の屋敷を離れて住んでいる場所といえば、普通は首都の別宅と相場が決まっている。
しかし、父母の住んでいる家は、この島で唯一の集落である小さな村の外れにある掘っ立て小屋なのだ。そこでなぜか父は紫のバラを育てている。農政の一環として、品種改良を行っているというのなら分からなくも無いのだが、父の育てたバラが市場に出たことは一度も無いという。
何せ、我が家のバラ園に泊まり込んだまま、月に一度か二度しか屋敷に戻ってこない父親は
「人生はバラ色だ!!」
が口癖の変人、たまに息子のボクと顔を合わせてもバラの話しかしたことが無い。近頃は、幻と呼ばれる青いバラを生み出すことに異常な執着をみせている。
この父は、間違いなく行きすぎた趣味としてバラを育てている。
間違いなく行きすぎた趣味として!!
ボクの母マイヤは、元々は各地を巡る旅芸人だったためか、貴族とは大きくかけ離れているであろう父との生活にも完全に順応している。
そんな母は、時々、思い出したように村の広場で一人芝居の興行を打つのが一つの楽しみとなっているようだ。村における芝居の評判は悪くない、人気の演目は”女山賊アルビルダ”と”狼少女ルル”だ。
母の容姿は村の女性一般と比べてやや背が低く、年の割に童顔なためか”平凡な少女”という印象をうける。対して無駄にスタイルと容姿が良く、紫のバラがよく似合う父。この二人が並んで立っている姿を思い浮かべるとなんだか腹が立つ。昨日まではまるで気にならなかったのだが・・・・・・、多分前世に関する事で、自分でも思い出せない何かがあるのだろう。
前世の記憶に関しては、靄がかかったように曖昧な部分が多く、全てを完全に思い出したワケでは無い。
ボクが自分の状況を改めて認識し、その間違ったフリーダムさとカオスっぷりに頭を抱えていると、ノックも無しに寝室の扉が開かれた。
「坊ちゃま……気がつかれて・・・・・・あぁ、良かった。」
そこには安堵の表情を浮かべた赤髪の女性が立っていた。年齢は二十代後半から、三十代前半という所。ブラウンを基調とした落ち着いた花柄のワンピースに白いエプロンと帽子を身につけた彼女の名はベティ、この屋敷の古株メイドだ。ベティはボクの顔をみるなり、手にしていたトレイを取り落とすのも構わず、次の瞬間はっしとばかりボクに抱きついてきた。
その感触に、ボクは思わず顔が赤くなる。昨日まではまるで気にならなかったけど……今のボクにとってその二つの大きなマシュマロはヤバイ。いうなれば麻薬のようなものだ。ボクの見かけは昨日までと同じ5歳のコドモに過ぎないのだが、その精神年齢はもはや26歳のオヤジのそれなのである。
「ベティ、ごめん、苦しい……放して」
ボクは残された理性を総動員し、あまりにも甘美なマシュマロの感触をなんとか拒絶する事に成功した。
興奮気味のベティをなだめながら、なるべく早めに知っておきたい事柄について切り出すことにする。
「えっと、ベティ。パーカーと話がしたいんだけど、何所にいるか知ってる?」
「パーカーなら本土です。昼過ぎには戻る予定になっていますが、もしかするともっと長引くかもしれませんね。」
仕方が無い、この件については待つ他は無いようだ。もう一つの懸念事項についても聞いておこう。
「あのあと、レスカはどうなったの?」
「坊ちゃまが心配することは何もありません。レスカは私が捕まえました。今は本館の地下に閉じ込めてあります。大丈夫です。坊ちゃまには私が付いています。」
うん、何か気にかかる節もあるが、懸念していた危機は無いようだ。パーカーが戻ってくるまでは急いでやることも無い。ボクは、ベテイに頼んで遅い朝食をとり、彼の帰りを待つことにした。そして、パーカーが戻ってきたのは、予定よりも大分遅い夕刻を少し回ったころの事だった。
ボクは待ちくたびれ、西の山陰に日が沈みかけるころ、寝室の窓辺を大きな黒い影がよぎり、それにややおくれて庭先から重い着地音が響く。パーカーが帰ってきたようだ。
主人公の母はどうやら怖い子のようです。