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悪役令嬢は激怒した  作者: 松本雀


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6/17

元侍女マリエッタの受難

 第三戦『嫌味対決』の会場は、王都随一の高級茶館『銀の雫亭』だった。


 悪役令嬢の嫌味とは、本来、茶会という戦場で磨かれるものである。ならば審査も茶会の中で行われるべき、というのが双方の一致した見解だった。この二人は勝負の形式に関してだけは、毎回不気味なほど意見が合う。


 審査員は、社交界の令嬢二十名。


 ただし「審査員」と呼ぶにはいささか語弊がある。彼女たちの大半は、かつてローザリンデかクラリッサのどちらか、あるいは両方に嫌味を食らった被害者であり、審査能力というより被弾経験で選ばれていた。


 嫌味の切れ味は、浴びた者が一番よく知る。実に合理的な人選だった。


 ルールは以下の通り。


 お茶会の席上で、交互に相手へ嫌味を一つずつ放つ。審査員の令嬢たちが各嫌味の「優雅さ」「切れ味」「残留ダメージ」を十点満点で採点する。五巡で勝負を決める。


「残留ダメージとは何ですか?」とある令嬢審査員が事前に質問した。


「家に帰った後も思い出して落ち込むかどうかよ」とローザリンデが答えた。


「ええ。三日後にふと意味がわかって枕に顔を埋めたくなる……あの感覚ですわ」とクラリッサが補足した。


 審査員の令嬢たちの顔が一様に曇った。全員、身に覚えがあるのだろう。


 銀の雫亭の個室。


 円形のテーブルに、ローザリンデとクラリッサが向かい合って座っている。二人の間には銀のティーセット。紅茶はダージリンのファーストフラッシュ。茶葉の選定でまた三十分もめたが、それは省略する。


 審査員の令嬢たちは、二人を囲むように着席している。手元にはメモ用紙と採点表。茶会というより口頭試問の趣がある。


「それでは、第三戦『嫌味対決』を開催いたします」


 進行役はマリエッタが務めることになった。本人は断固拒否したが、中立の立場の人間が他にいなかった。正確には、この茶番に関わりたがる中立の人間が他にいなかった。


「先攻はローザリンデ様。どうぞ」


 ローザリンデは紅茶のカップを持ち上げ、一口含んだ。カップを置く。所作は優雅に、表情は穏やかに。これが嫌味を放つ前の作法である。穏やかであればあるほど、直後の落差が効く。


「クラリッサさん」


 ローザリンデは微笑んだ。


「あなたのお茶会、毎回百名以上お集まりになるそうね。すごいわ。やっぱり、招待状をお出しになるのが上手な方は違うわね。……だって中身で人を呼ぶのは大変ですもの」


 客席。もとい審査員席から、小さくどよめきが起きた。


「来た来た……」「お茶会の動員力を褒めておいて、でも中身がないって言ってる……」「古典的だけど、入りとしては綺麗ね」


 クラリッサは表情を変えなかった。カップを持ち上げ、紅茶の香りを楽しむように一拍置いてから、答える。


「ありがとうございます。ローザリンデさんは確か、追放前のお茶会は三十名ほどでしたかしら。少人数制というのもそれはそれでよいものですわよね。……お一人お一人のお顔が見える距離感って、大切ですもの」


「……っ」


 審査員たちがメモを走らせる。


「動員数の差を突いてきた……」「しかも『少人数制』って言い換えて、フォローするふりしてさらに刺してる」「最後の一言が毒針ね。笑顔で心臓を抉ってくる」


 第一巡の採点。ローザリンデ七・二点、クラリッサ八・一点。


 僅差だが、クラリッサが一歩リードした。


 ローザリンデの目が細くなった。負けている。初めて明確に点差がついた。


 いいわ。ここからよ。


 第二巡。ローザリンデ。


「クラリッサさんのドレス、いつも素敵ね。仕立屋さんの腕がよいのかしら。……ご自身のセンスだけでは、あそこまでの完成度にはなかなか」


「あら、ありがとうございます。ローザリンデさんのドレスも……あの、何と言いますか。ご自身でお選びになったのが伝わってきて、とても……個性的ですわ」


「……個性的」


「ええ。辺境の風を感じますの。自然体と申しましょうか?」


 審査員がざわつく。


「『辺境の風を感じる』……褒めてるの? 褒めてないよね?」「でも言葉だけ聞くと褒めてる……」「個性的はもう褒め言葉ではないことが確定した」


 第二巡。ローザリンデ七・五点、クラリッサ八・三点。差が開いている。


 第三巡になると、ローザリンデはギアを上げた。


「クラリッサさん、お若いのに社交界をよく研究していらっしゃるわね。教科書でもあるのかしら。あったら私にも貸してちょうだい。何が書いてあるのか、とても興味があるの」


 お手本通りの悪役令嬢ムーブを「教科書通り」と皮肉る。攻撃力は高い。


 だがクラリッサは涼しい顔で返した。


「教科書は必要ありませんわ。ただ、反面教師には事欠きませんでしたの。……先人の失敗ほど学びになるものはないと、母がよく申しておりました」


 先人の失敗。つまりローザリンデのこと。


「…………」


 ローザリンデの笑みが一瞬固まった。今の嫌味は効いた。効いたことを表情に出すまいと必死に微笑みを維持しているが、カップを持つ手の力加減がおかしい。磁器が軋んでいる。


「ああ、カップ割りそう……」「我慢してる……」「目が笑ってない」


 第三巡。ローザリンデ七・八点、クラリッサ八・七点。


 第四巡。ここから、戦況が変わった。


 正確には戦況ではなく、次元が変わった。


 追い詰められたローザリンデが、捨て身の嫌味を放ったのだ。


「クラリッサさん。あなたのこと、私、本当に尊敬していますのよ?」


 唐突な賛辞に、クラリッサの目が一瞬揺れた。


「だって、あなたほど努力家な方はいないもの。悪役令嬢というのは本来、才能でやるものだけれど。努力でここまで来られたこと、心から敬意を表しますわ」


 沈黙が落ちた。


 審査員の令嬢たちが顔を見合わせる。


「……待って。今のは嫌味なの?」「褒めてる……よね?」「いや、才能がないって暗に言ってない?」「でも尊敬してるとも言ってる」「どっち!?」


 クラリッサの微笑みが初めて、ほんの少しだけ歪んだ。


 褒められている。確かに褒められている。だが何かがおかしい。何かが引っかかる。しかしどこがおかしいのか、すぐには特定できない。


 これがローザリンデの嫌味の真骨頂——時限式。


 意味が遅れてやってくる。今この瞬間は「褒められた」と処理される。だが今夜、ベッドの中で反芻したとき、「努力でここまで来られた」の裏に潜む棘に気づく。才能ではなく努力。つまり天然の悪役令嬢ではない。作り物。偽物。その烙印が、三日後にじわじわと効いてくる。


 だが、クラリッサも只者ではなかった。


「まあ、嬉しい」


 クラリッサはにっこりと微笑んだ。完璧な笑顔だった。


「ローザリンデさんにそう言っていただけるなんて。やはり先達の言葉は重みが違いますわね。……あなたのように天賦の才に恵まれた方が、才能だけで十分だと信じて、努力を怠った末にどうなるか。それを間近で学ばせていただいたからこそ、私は努力を惜しまないのですわ」


 五秒の沈黙。


「…………今、何が起きたの?」


 審査員の一人が、隣の令嬢の袖を掴んだ。


「わからない。褒め合ってた気がするけど、なぜか胃が痛い」


「私もわからない。でも何かすごいものを見た気がする」


「努力を褒めて才能を貶して、才能を褒め返して努力を貶して……ぐるっと回って結局どっちが勝ったの?」


「……もう一回言ってもらっていい?」


 採点が混乱した。


 令嬢たちは自分が何を採点しているのかわからなくなっていた。嫌味の切れ味を測定するはずが、嫌味の構造そのものが理解の閾値を超えてしまったのだ。


 第四巡。ローザリンデ八・九点。いや、七・五点に訂正。やっぱり八・二点……審査員によって点数が二点以上ばらけるという異常事態。クラリッサも同様。もはや採点システムが崩壊していた。


 第五巡、最終ラウンド。


 もう、誰にも止められなかった。


「クラリッサさん、あなたと過ごしたこの数日、本当に楽しかったわ。久しぶりに、同じ舞台に立てる方に出会えた気がする。もちろん、舞台の高さが同じかどうかは別として」


「ローザリンデさんこそ。追放された方とは思えない堂々たるお振る舞い、感銘を受けましたわ。あの経験が、あなたを、ええ、何と申しましょう……味のある方にしたのでしょうね?」


「味のある。素敵な表現ね。あなたの嫌味は本当に上品で、まるで砂糖をまぶした針のよう。飲み込むまで痛みに気づかない……それは優しさなのかしら、それとも」


「それとも?」


「相手に鈍感であってほしいという、ささやかな祈りなのかしら」


「…………」


「…………」


 二人は微笑み合っている。紅茶を優雅に飲んでいる。声音は穏やかで、所作は完璧で、お茶会としては非の打ちどころがない。


 なのに、審査員席の令嬢たちは全員、胃の辺りを押さえていた。


「……もう何が何だかわからない」「褒めてるの? 貶してるの? 愛してるの? 憎んでるの?」「私、家に帰ったら泣くかもしれない。当事者じゃないのに」「三日後に全部理解できたらどうしよう。怖い」


 マリエッタが進行役の席から立ち上がった。


「……判定を、お願いします!」


 審査員の令嬢たちは顔を見合わせた。


 採点表を見下ろし、自分の数字を見て、首を傾げ、消して書き直し、また消して。そして、代表の令嬢が立ち上がった。


「判定……引き分け。というか、判定不能です」


「判定不能?」


 マリエッタが眉を上げた。


「はい。第四巡以降、どちらの嫌味が優れているか、私たちには判断できませんでした。嫌味の練度が私たちの理解力を超えてしまいまして……」


 客席から笑いが漏れた。


 当事者二人は、微笑んでいる。引き分けという結果に不満はあるだろうが、それ以上に互いの手の内を見た興奮が勝っているように見えた。


「なかなかやるじゃない」


 ローザリンデが呟いた。


「お互い様ですわ」


 クラリッサが応じた。


 三戦三引き分け。決着は、まだつかない。

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