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悪役令嬢は激怒した  作者: 松本雀


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2/17

元悪役令嬢ローザリンデの宣戦

 王都への道のりは、馬車で五日。


 半年前、この道を逆方向に走ったときは、もう二度と戻るまいと思っていた。追放された身で王都に舞い戻るなど、みっともないにも程がある。


 だが今のローザリンデにとって、みっともないかどうかは些末な問題だった。もっと大事なことがある。


「……縦ロールの手入れ、怠っていたわね」


 揺れる馬車の中、手鏡を覗き込んで呟く。


 辺境暮らしの半年間、ローザリンデの髪は悪役令嬢にあるまじき状態になっていた。畑仕事に邪魔だからと一つに束ね、日に焼け、毛先は枝毛だらけ。かつて「漆黒の蛇」と恐れられた縦ロールの面影はどこにもない。


 馬車に乗り込む前、慌てて巻き直してみたが、半年のブランクは大きかった。右の巻きと左の巻きで回転数が違う。左に至っては途中でほどけかかっている。


「……まあいいわ。縦ロールの完成度で勝負するつもりはないもの」


 負け惜しみではない。断じて。


 五日後。王都の門が見えたとき、ローザリンデの心臓はわずかに跳ねた。


 見覚えのある尖塔。石畳の大通り。すれ違う馬車の数。空気の匂い。すべてが記憶の通りで、すべてが他人事のように遠い。


 半年しか経っていないのに、まるで異国に来たような心地がした。


「感傷に浸っている場合ではないわね」


 自分に言い聞かせ、馬車の窓を閉める。


 まず必要なのは拠点の確保だ。実家の公爵邸は爵位剥奪とともに没収されている。かといって宿屋に泊まるのは悪役令嬢の沽券に関わる。


 結局、マリエッタの小さなアパルトマンに転がり込んだ。沽券もへったくれもなかった。


「ローザリンデ様!? 本当にいらっしゃったんですか!?」


 マリエッタは目を丸くして、それから盛大に顔を引きつらせた。


「あの手紙を読んで、まさか乗り込んでくるとは思いませんでした……余計なお世話って書いておけばよかった」


「書いてあったわよ」


「書いてあったのに来たんですか!?」


 マリエッタの小さな部屋は、一人暮らしには十分だが二人には明らかに狭かった。ローザリンデの荷物である薬草と調合道具が床を埋め、マリエッタは自分の部屋で壁際に追いやられた。


「それで、具体的にどうなさるおつもりで?」


 マリエッタは諦めの表情で、ハーブティーを淹れながらこう言った。


「クラリッサ・デ・ルナフォールに、悪役令嬢の座を賭けた勝負を申し込むわ」


「…………」


「なぜ黙るの」


「いえ、想像の三倍くらい馬鹿馬鹿しいことを仰るな、と思いまして」


「馬鹿馬鹿しい? これは誇りの問題よ、マリエッタ」


「誇りって、悪役令嬢としての誇りですよね。それ、誇っていいものなんでしょうか……」


 至極まっとうな指摘だったが、ローザリンデの耳には届かなかった。


 翌日。


 ローザリンデは社交界に打って出た。


 正確には、クラリッサが主催する茶会に乗り込んだ。招待状はない。ないが、悪役令嬢に招待状などという些末な手続きは不要である。そう、不要ということにした。


 会場は、ルナフォール侯爵邸の庭園。


 白亜のガゼボ、手入れの行き届いた薔薇の生垣、銀の食器。すべてが上品に、完璧に整えられている。出席している令嬢たちは二十人ほど。いずれも社交界で名の知れた顔ぶれだ。


 その中心に、彼女はいた。


 クラリッサ・デ・ルナフォール。


 第一印象は……綺麗な女性だ、と思った。


 プラチナブロンドの髪が、芸術品のような精度で縦ロールに巻かれている。一本の乱れもない。ドレスは深紅。ルビーのイヤリングが、午後の日差しを受けて血のように光る。扇を優雅に揺らしながら、令嬢たちの輪の中心で微笑んでいる。


 微笑んでいる。が、目が笑っていない。


 冷たい。湖の底のような冷たさだ。あの目に見据えられたら、大抵の人間は二の句が継げなくなるだろう。


 なるほど。


 ローザリンデは認めた。認めざるを得なかった。


 手強い。だが、認めることと退くことは、まったく別の話だ。


「ごきげんよう」


 ローザリンデは庭園に足を踏み入れた。


 令嬢たちの視線が一斉に集まる。ざわめきが波のように広がった。


「あれ、シュヴァルツェンベルクの」


「追放されたはずでは」


「なぜここに……?」


 ローザリンデは気にしない。気にしないことにかけては年季が入っている。悪役令嬢時代、陰口を気にしていたら一日も持たなかった。


 真っ直ぐに歩く。視線の先には、クラリッサただ一人。


 クラリッサは扇を止めた。


 ゆっくりとローザリンデを見る。冷たい目が、品定めするように上から下へ移動した。縦ロールの巻きが左右非対称であることを、おそらく見抜いている。ドレスの仕立てが辺境で誂えたもので、王都の最新流行からは半年遅れていることも。


 だがクラリッサは、それについて何も言わなかった。


 代わりに、にこりと微笑んだ。


「……まあ、お噂はかねがね。先代の悪役令嬢様でいらっしゃいますのね」


 先代。


 また、その言葉だ。


「お花を摘んで隠居なさっていると伺っておりましたのに、わざわざ王都まで。……迷子になられたのかしら?」


 令嬢たちが息を呑む。嫌味の切れ味が違う。笑顔のまま、声色も穏やかなまま、相手の半年間をまるごと「取るに足らないもの」に変えてみせる話術。


 マリエッタの手紙は誇張ではなかった。これは確かに、洗練されている。


 だが、ローザリンデは笑った。


「ええ、お花を摘んでいたわ。薬草だけれど。あなたにも調合してあげましょうか? 自惚れが過ぎる病に、よく効く薬があるの」


 一瞬の沈黙。


 それから、令嬢たちの間でひそひそと声が漏れた。


「……っ」


 クラリッサの目が、ほんの一瞬だけ鋭くなった。微笑みは崩れない。崩れないが、扇を持つ指先にわずかに力が入ったのを、ローザリンデは見逃さなかった。


「あら、薬草師になられたの。それはそれはご立派ですわね。元公爵令嬢の第二の人生としては、なかなかで……」


「前置きが長いわね」


 ローザリンデは遮った。


 嫌味の応酬を続けてもいいが、それでは本題に辿り着くまでに日が暮れる。


「単刀直入に言うわ、クラリッサ・デ・ルナフォール。あなたが最近、社交界で悪役令嬢を気取っていると聞いたわ。なかなか堂に入った演技だそうね、結構なことだわ」


「演技ですって?」


 クラリッサの微笑みに、初めて棘が混じった。


「失礼ね。私は生まれながらの」


「勝負しなさい」


 庭園が静まり返った。


「私と、あなた。どちらが真の悪役令嬢か、白黒つけましょう」


 令嬢たちが凍りついている。使用人たちは目を丸くしている。薔薇の生垣の向こうで、庭師がハサミを落とした音がした。


 クラリッサは数秒の間、ローザリンデを見つめていた。


 それから。


「ふふ」


 笑い声は小さく始まり、やがて庭園に響き渡った。


「おーっほっほっほ!」


 ——これか!


 ローザリンデは思った。これが噂の高笑い。確かに、見事だ。音圧、余韻、威圧感。こめかみの奥にじんと響くような、聞く者の神経を逆撫でする絶妙な周波数。


 少し、悔しい。


「面白い方ですのね」


 クラリッサは扇で口元を隠しながら言った。目は氷のように冷たいまま、しかしどこか、愉しそうだった。


「半年も田舎に引っ込んでいたくせに、ずいぶんな自信ですこと」


「自信ではなくて確信よ。悪役令嬢とは何かを、あなたに教えて差し上げますわ」


「いいでしょう」


 クラリッサは扇を閉じた。ぱちん、と小気味よい音が鳴った。


「受けて立ちますわ。真の悪役令嬢がどちらか、思い知らせて差し上げます。……ああ、でもお手柔らかに、とは申しませんわよ? 先代相手に手加減しては、かえって失礼ですものね」


「先代と呼ぶのはおやめなさい」


「事実を申し上げただけですわ」


 にっこりと微笑み合う二人の間で、空気が軋んだ。


 令嬢たちは完全に置いてきぼりだったが、しかし彼女たちの目は輝いていた。


「ねえ、聞いた?」「勝負ですって」「先代対現役」「どちらが勝つかしら」「賭ける? 私はクラリッサ様に五百ギル」「私はローザリンデ様に。判官贔屓よ」「審査員は誰がやるの?」「というか、何で勝負するの?」


 社交界は退屈を嫌う。


 そして今、半年ぶりの……いや、ここ数年で最大の娯楽が降って湧いたのだ。先代悪役令嬢と現役悪役令嬢の直接対決。こんな見世物、劇場でも滅多にお目にかかれない。


 翌日には王都中に噂が広まり、三日後には賭けのオッズまで出回っていた。ちなみにクラリッサ一・五倍、ローザリンデ三・八倍。


 大差だった。


 大差であることにローザリンデは改めて腹を立てた。


 ——そして噂はもちろん、あの男の耳にも届いた。

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