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悪役令嬢は激怒した  作者: 松本雀


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10/17

その頃、ヒロインと王太子と悪役令嬢たちは

 翌日から、奇妙な光景が王都のあちこちで目撃されるようになった。ローザリンデとクラリッサが、二人で行動しているのだ。


 それ自体は勝負の延長線上に見えなくもない。だが、二人の間の空気が、以前とは決定的に違う。剣を交えているというよりは、肩を並べているように見える。嫌味の応酬は続いているが、その切れ味がどことなく甘い。


 しかし最も戸惑っていたのは、悪役令嬢対決の当事者でも審査員でも観衆でもなかった。


 ——リゼット・フォン・ハイリゲンベルクは、困っていた。


 彼女は男爵令嬢である。田舎の小さな男爵家の一人娘で、学園に入学したのはつい半年前。亜麻色の髪にそばかすの散った頬、大きな琥珀色の目。見るからに素朴な少女で、社交界の水には馴染んでいない。


 そして彼女は、この物語におけるヒロインである。


 王太子アルベルトに見初められ、社交界の注目を浴び、悪役令嬢に目をつけられる……という、お約束の立場にいるはずの少女だ。


 はずの、というのは。


「あの……」


 リゼットは小さな声で尋ねた。相手は、目の前にいる侍女のニナである。


「ちょっと聞いてもいい?」


「なんでしょう、リゼット様」


「私って……ヒロインよね?」


「は?」


「いえ、その……王太子殿下に気に入っていただいて、悪役令嬢に睨まれて、でも健気に頑張って最後は幸せになる。そういう立場のはずよね、私」


「……まあ、客観的に見ればそうですね」


「じゃあなんで、誰も私に構ってくれないの?」


 リゼットの声には、困惑と、ほんのわずかな寂しさが混じっていた。


 事実、リゼットは完全に蚊帳の外だった。


 半年前まではローザリンデに睨まれていた。靴を隠されたこともある(すぐ見つけた)。椅子の硬さを変えられたこともある(特に気にならなかった)。廊下で「まだいらしたの」と言われたこともある(悲しかった)。


 それが、ローザリンデが追放された途端に止んだ。代わりにクラリッサが現れたが、クラリッサの嫌がらせは、リゼット個人というよりは社交界全体に向けられたもので、リゼットはむしろ無視されただけだった。


 そして今。


 ローザリンデが王都に戻ってきたというのに、リゼットのことは完全に眼中にない。クラリッサとの対決に夢中で、ヒロインの存在などどこかに吹き飛んでいるのだ。


「……先週、お茶会で声をかけようとしたの」


 リゼットは肩を落とした。


「お二人がいらしたから、勇気を出して近づいて……」


「どうなりましたか?」


「三メートル手前で空気の壁にぶつかった」


「空気の壁」


「比喩じゃなくて、本当に。お二人が嫌味を言い合っている空間に、物理的に入れなかったの。圧が。圧がすごくて」


「……お疲れ様です」


「今日も、ローザリンデ様に話しかけようと思って廊下でお待ちしていたら、クラリッサ様と二人で歩いてきて、私の横を素通りして行ったわ。目も合わなかった」


「…………」


「私、透明人間なのかしら」


「そんなことはないと思いますが……」


 ニナの慰めは、あまり説得力がなかった。


 ——その頃、王太子アルベルトも似たような状況に陥っていた。


「ブルクハルト」


「はい、殿下」


「ローザリンデが王都に戻って、もう二週間になるな」


「左様でございます」


「一度も、僕に会いに来ていない」


「……左様でございます」


 王太子の執務室。アルベルトは椅子の背にもたれ、天井を見つめていた。侍従長のブルクハルトは、その傍らに直立している。


「先日訪ねたときは、クラリッサの情報を寄越せと言われた」


「お気の毒でございます」


「それ以来、音沙汰がない。僕に用はないと、本当にそういうことなのだな」


「……殿下が婚約を破棄なさったのですから、当然かと」


「それはそうだが」


「それはそうでしょう」


「……なんだか釈然としない」


 ブルクハルトは四十年の侍従長キャリアで培った鉄の表情を維持したまま、内心で深くため息をついた。


「殿下。釈然としないのは、追放した元婚約者が自分を諦めていないという前提が覆されたからでしょうか」


「そんな自惚れたことは……いや、少し、そうかもしれない」


「ご自覚があるなら結構です」


「ブルクハルト、お前は辛辣だな」


「四十年王家にお仕えしておりますので」


 アルベルトは立ち上がり、窓辺に歩み寄った。


 窓の外には王都の街並みが広がっている。どこかで今日も、ローザリンデとクラリッサが悪役令嬢の座を賭けて争っているのだろう。自分抜きで。完全に自分抜きで。


「……ブルクハルト」


「はい」


「僕は今、この国の王太子として、国政の重要事項に集中すべきだ。元婚約者のことなど気にしている場合ではない」


「仰るとおりです」


「よし。では今日の公務に」


「ただ、殿下」


「何だ」


「本日の午後に社交界から報告が上がってまいりまして。ローザリンデ様とクラリッサ様が銀の雫亭で密談していたそうです。かなり親しげだったとか」


「……密談? あの二人が? 親しげに?」


「ええ。笑い合っていたという目撃情報もあるそうです」


 アルベルトは窓枠に手を置いた。置いたまま、しばらく動かなかった。


「……僕と婚約していた女が、追放されて散々嫌味を言った後に帰ってきて、僕には目もくれず別の女と仲良くしている」


「端的に申し上げれば、そういうことです」


「何なんだ、彼女たちは」


「悪役令嬢でございます」


 ブルクハルトの声は抑揚がなかった。四十年の経験が、こういう場面での最適な答えを教えてくれる。


 アルベルトは深く、長く息を吐いた。


「……リゼットは元気にしているか」


「ハイリゲンベルク嬢ですか。元気と言えば元気ですが、こちらも少々お困りのようで」


「何に?」


「誰にも構ってもらえないと嘆いておられるそうです」


「…………」


 王太子とヒロインが、同時に同じ悩みを抱えていた。


 誰にも構ってもらえない。


 本来この物語の主役であるはずの二人が、完全に舞台の端に追いやられている。中央で脚光を浴びているのは、悪役令嬢二人。あの二人が嫌味を交わし合い、高笑いで競い合い、ドレスで威圧し合い。そして今では、紅茶を飲みながら笑い合っている。


「……ブルクハルト」


「はい」


「僕たちの出番は、いつ来るんだ」


「さあ。悪役令嬢次第ではないでしょうか」


 侍従長は、四十年のキャリアで最も哲学的な回答をした。


 ◇


 その夜。


 マリエッタのアパルトマンで、ローザリンデはクラリッサの侯爵家問題に関する作戦を練っていた。


 壁一面に紙が貼られている。ルナフォール侯爵家の家系図、領地の地図、交易ルートの概略図、主要な取引先の一覧。ローザリンデが辺境で培った実務知識と、クラリッサが収集した社交界の人脈情報を突き合わせて、一枚の作戦図を組み上げていく。


「ここ」


 ローザリンデは地図の一点を指した。


「ルナフォール領の南端。この交易路は隣領のヴェルデンブルク伯爵家と共有しているわね。ここの通行権を押さえれば、交渉の切り札になるわ」


「ヴェルデンブルク伯爵家なら、次男が社交界に出入りしていますわ。彼は……」


「政略結婚の駒になりたがらないタイプ?」


「よくご存じですわね」


「同類を見分けるのは得意なの」


 ペンが走る。紙が増える。ハーブティーが空になり、また淹れ直される。


 マリエッタは隅の椅子で、編み物をするふりをしながら二人のやりとりを聞いていた。


 不思議な光景だった。


 十日前まで「悪役令嬢の座」をめぐって火花を散らしていた二人が、今は肩を並べて戦略を練っている。しかも、当人たちは自分たちの関係性の変化に、おそらく気づいていない。


「ローザリンデさん」


「何?」


「一つ、訊いてもよろしいかしら」


「どうぞ」


「なぜ、こんなに詳しいの? 領地経営の実務。追放されて半年で、ここまでの知識を身につけるものなのかしら」


 ローザリンデの手が止まった。


 ペンをテーブルに置き、少し考えてから答えた。


「追放されて、最初の一ヶ月は何もできなかったわ。屋敷に引きこもって、泣いて、怒って、自分を哀れんで。でも二ヶ月目に、領民の子供が熱を出して手持ちの薬草で薬を作ったの。効いたのよ、それが。子供の熱が下がって、お母さんが泣いて感謝してくれて」


 声が、少しだけ柔らかくなった。


「そのとき思ったの。ああ、私、誰かの役に立てるんだって。悪役令嬢としてではなく、ただの人間として。それが嬉しくて、もっと何かできないかと思って、領地のことを勉強し始めた。農業も、交易も、会計も全部、辺境で一から覚えたの」


「…………」


「だから、知識はあるのよ。泥臭い、現場の知識が。社交界では何の役にも立たないけれど。あなたの計画には使える部分があるはず」


 クラリッサは黙っていた。黙って、ローザリンデを見つめていた。


「……先日の言葉、撤回しますわ」


「どの言葉?」


「可愛い、と申し上げたこと。あなたは可愛いのではなく、強い方ですわ。靴を隠して手が震えるのは、臆病だからではなくて、誠実だから。誠実な人が無理をして悪い人を演じていたから、手が震えた。……私には、できないことです」


「クラリッサ」


「なんですの」


「……それ、時限式の嫌味だったりしないわよね?」


「しませんわよ! たまには素直に聞きなさい!」


「あなたに、素直になれと言われる日が来るとは思わなかったわ」


「お互い様ですわ!」


 マリエッタは編み棒を膝に置いて、静かに微笑んだ。


 友情。

 これが友情でなければ、何だというのだろう?

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