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悪役令嬢は激怒した  作者: 松本雀


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悪役令嬢は激怒した

 悪役令嬢は激怒した。


 必ず、かの厚顔無恥な簒奪者を排除せねばならぬと決意した。


 ローザリンデ・フォン・シュヴァルツェンベルクには、政治のことはわからぬ。流行のドレスにも疎い。けれど悪には人一倍敏感であった。なにせ、自分が悪役令嬢だったからである。


 ……と、このように格好をつけて語り始めてみたものの、少しばかり時間を巻き戻す必要がある。


 怒髪天を衝く悪役令嬢がいかにして誕生したか、その経緯を説明せねば、この物語はいささか唐突に過ぎるだろう。


 ローザリンデ・フォン・シュヴァルツェンベルクは、元公爵令嬢である。


 「元」がつくのは、半年ほど前に王太子殿下から盛大に婚約を破棄され、ついでに爵位も剥奪され、おまけに王都追放まで食らったからだ。いわゆる断罪イベントというやつである。


 舞踏会の大広間、数百の貴族が居並ぶ中、王太子は朗々と宣言した。


「ローザリンデ! 貴様の悪行、もはや看過できぬ!」


 悪行。


 まあ、心当たりがないと言えば嘘になる。


 ヒロインの靴を隠したこともあるし、お茶会で嫌味を言ったこともあるし、廊下ですれ違いざまに「あら、まだいらしたの」と呟いたこともある。悪行というには……いや、悪行か。悪行だな、あれは。うん。


 ともあれ、ローザリンデは追放された。


 馬車一台に荷物を詰め込み、泣き喚く侍女たちに「あなたたちは残りなさい、私に付いてきても碌なことにならないわ」と格好よく言い放ち(実際には馬車が一台しかなくて、物理的に乗れなかっただけなのだが)辺境へと旅立った。


 それが半年前のこと。


 そして現在。ローザリンデは、大変に充実した日々を送っていた。


 辺境の屋敷は小さいが、庭が広い。もともと植物が好きだったローザリンデは、ここぞとばかりに薬草園を拓いた。ラベンダー、カモミール、セージ、エキナセア。朝は露に濡れた薬草の手入れをし、昼は調合の研究に没頭し、夕方には自作のハーブティーを飲みながら夕焼けを眺める。


 控えめに言って、最高の暮らしだった。


 領民たちも最初こそ「王都から追放されてきた悪役令嬢」に怯えていたが、ローザリンデが作った風邪薬がよく効くとわかってからは態度が一変した。今では「ローザリンデ様」「薬草のお嬢様」と慕われ、村の子供たちが屋敷に遊びに来るようにすらなっている。


 社交界の陰湿な権力争いもない。


 王太子の退屈な自慢話を聞かなくてもいい。


 令嬢たちに嫌味を言う必要もないし、言われることもない。


 あれ、私、なんであんなに王都にしがみついていたのかしら? ハーブティーを啜りながら、そんなことを思う日もあった。


 悪役令嬢時代より人生が充実している。認めるのは少し悔しいが、事実だ。穏やかで、静かで、誰にも邪魔されない。この平穏がずっと続けばいい。心からそう思っていた。


 ——はずだった。


 その日も、ローザリンデはいつも通り薬草園にいた。


 今年初めてのカモミールが咲いた。小さな白い花びらが朝日に透けて、ほのかに甘い香りを漂わせている。


「綺麗に咲いたわね」


 しゃがみ込んで花に語りかける。王都時代の自分が見たら卒倒するだろうが、知ったことではない。花は嫌味を言わないし、派閥争いもしない。人間より余程つきあいやすい。


 そこへ、屋敷の使用人が駆けてきた。


「ローザリンデ様、お手紙です。王都から」


 王都。


 その単語を聞くだけで、胃がきゅっと縮むような感覚がある。半年経った今でもそれは変わらない。


 差出人を確認する。マリエッタ。十年仕えてくれた元侍女で、追放後も王都から何かと気にかけ、手紙を寄越してくれる。ありがたくて、そして少しおせっかいな女性だ。


 たいていの手紙は、王都の季節の話か、誰それが結婚しただの子供が生まれただのという他愛ない近況報告である。部屋でお茶を片手にのんびり読むのが、ささやかな楽しみですらあった。


 今回も、そのつもりだった。


『お元気ですか、ローザリンデ様。


 辺境の暮らしはいかがでしょう。王都はすっかり秋めいて参りました。


 さて、お伝えすべきか迷ったのですが……』


 お伝えすべきか迷った。


 マリエッタの手紙にこの前置きが出てきたときは、大抵ろくでもない内容が続く。前回は「王太子殿下が新しい婚約者様とお幸せそうです」だった。別に何も感じなかったが、紅茶がいつもより苦く感じたのは気のせいだったと思いたい。


 身構えながら、続きを読む。


『やはりお耳に入れておいた方がよいかと思い、筆を執りました。


 最近、社交界に新たな悪役令嬢が現れたとの噂で持ちきりです』


 ローザリンデの目が止まった。


『侯爵令嬢、クラリッサ・デ・ルナフォール様。


 それはもう見事な悪役令嬢ぶりだそうで、社交界の令嬢方は戦々恐々としておいでです』


 ほう。


 ローザリンデはハーブティーを一口飲んだ。


 悪役令嬢。自分がいなくなった後の社交界に、新たな悪役令嬢が現れた。それ自体は……まあ、そういうこともあるだろう。ポストが空けば誰かが座る。権力の空白は自然と埋まる。それは道理だ。


 別に、何も感じない。感じるはずがない。自分はもう、そちら側の人間ではないのだから。


 そう思いながら、続きを読んだ。


『完璧な縦ロール、完璧な高笑い、完璧な紅茶のかけ方……何から何まで隙がないと評判です。


 先日のお茶会では他の令嬢に向かって「身の程を知りなさい」と仰ったそうですが、その声音の冷たさ、視線の角度、扇の開き方に至るまで、すべてが計算し尽くされていたとか。


 正直に申し上げますと、ローザリンデ様の頃とは少々。いえ、かなり……レベルが違うようです』


 ハーブティーを吹いた。


『先日のお茶会では、こんな声も聞かれました。


 「シュヴァルツェンベルク? ああ、先代の。懐かしいわね」


 「比べるのも失礼よ。格が違うもの」


 「悪役令嬢も世代交代の時代ですわね。おーっほっほ!」


 最後のは誰かがクラリッサ様の真似をしていたのですが、とにかくそのような状況です。


 余計なお世話かとは存じますが、お知らせまで。


                  敬具 マリエッタ


 追伸。お送りいただいたお茶、大変美味しゅうございました』


 追伸の暢気さが、逆に腹立たしい。


 ローザリンデは手紙を読み終えた。


 丁寧に二度、読み返した。一度目は内容を確認するため。二度目は、自分が正気であることを確認するためだ。


 それから手紙を便箋通りに折り畳み、封筒に戻し、テーブルに置いた。


「先代?」


 過去の人。終わった人。かつての人。もういない人。そういう意味だ。


 わかる。分かっている。追放されたのは自分だ。王都を去ったのも自分だ。薬草園を耕して「人生充実してるわ」と笑っていたのも、自分だ。


 だが。


「……先代は、ないでしょう?」


 声が低い。自分でも驚くほど低い。


「格が違う、ですって?」


 テーブルの上のハーブティーが、かたかたと揺れた。ローザリンデの拳がテーブルを震わせていた。辺境暮らしで畑仕事に精を出した結果、握力は公爵令嬢時代の比ではない。


「世代交代」


 窓の外で小鳥が飛び立った。殺気を感じ取ったのかもしれない。辺境の動物たちは、総じて勘が鋭い。


「完璧な縦ロール? 完璧な高笑い? 完璧な紅茶のかけ方? それのどこが悪役令嬢よ」


 椅子が音を立てた。


「教科書通りにやって褒められる? そんなもの、ただの優等生じゃない。悪役令嬢を舐めないでちょうだい」


 誰に言っているのか、自分でもわからない。手紙の向こうのクラリッサ・デ・ルナフォールに対してか。先代と呼んだ令嬢たちに対してか。それとも、「もう関係ない」と思おうとしていた、自分自身に対してか。


 ローザリンデは窓辺に歩み寄り、外を見た。


 薬草園に朝日が降り注いでいる。カモミールが風に揺れて、穏やかで、静かで、美しい。辺境の朝だった。


 半年間この景色に癒されてきた。


 この景色があれば何もいらないと、本気で思っていた。


「……マリエッタ」


 ローザリンデは誰もいない部屋で、かつての侍女の名を呼んだ。むろん返事はない。マリエッタは王都にいる。


「あなた、余計なお世話って自分で書いていたわよね。本当に余計だったわ。本当に」


 だが感謝している。感謝していることと恨んでいることは、両立する。


「荷造りをしなくては」


 その目は、もう薬草園を見ていなかった。


 カモミールの白でもラベンダーの紫でもなく、記憶の中の王都の夜。シャンデリアの光に照らされた大広間、数百の視線を一身に浴びて高笑いを響かせた、あの舞台を見つめていた。


 辺境の平穏な日々は、今日をもって終わりを告げる。


 かの悪役令嬢は激怒した。


 悪役令嬢は——自分だけで、よい。

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