第二話 王大虎
鄭傑は店の奥で箒を手にぼーっと立っていた。
埃を払う動作はしているものの、頭の中はまだ祭天の余韻と『鍋気』『食院』『祭師』という単語の嵐でぐちゃぐちゃだ。
(……いや待て待て。冷静になれ俺。とりあえずここは仙侠系とかの異世界確定だろ。なら絶対さ俺の知る限り資源争いしてる奴らがうじゃうじゃいて下手したら、普通の...そう凡人がいつ死んでもおかしくない!)
手の中にある箒をバキバキと音がなるほどに握っている。
気がつくときにはすでにその手は真っ赤だった。
「いっていぇぇ!」
鄭傑は少し長く悶えた。幸いなのか、彼は力が弱く、箒を折ることもなく、ましてやそれが手に刺さって怪我する事もなかった。
(...にしてなぁ...俺なんか小説によくある転移の手口の....パソコンに命の意味を知りたいかとか...そんなポップアップ出てきた?そんなの押したっけ?まさか鄭って苗字だけ...いやいや)
「にしても力が弱いってどうなんだよ!!!チートくれよ!才能でも!チートスキルとか!システムとかをよ!!」
鄭は文句を垂らしていた。
無理もない、彼の体質は酷く虚弱で、長くしても、未だに型付けが終わってはいない。
(...ステータス画面もスキルツリーもないっぽいけど……じゃあどうすりゃいいんだよ)
彼は箒を壁に立てかけると、勢いよく両手を広げて中二病全開モードに突入した。
疲れと興奮と空腹が混ざって、理性のブレーキが完全にぶっ壊れている。
「よっしゃ……せっかく転生(?)したんだから、試さんかい!」
大きく息を吸い込み、両手を腰に当てて仁王立ち。
「ステータスオープン!」
……
シーン。
何も起こらない。
「……は?」
もう一回、気合を入れて。
「ステータスオープン!!」
依然として静か。
風がヒュウと店内を抜けるだけ。
「くそっ、じゃあこっちだ! 暗黒の誘い!」
両手を前に突き出して闇属性っぽく指をくねらせる。
「……来い、俺...いや我の内に眠る闇の力よ!」
シーン。
「死の裁きぃぃぃ!!」
今度は両手を交差させて、必殺技ポーズ。
「はぁぁぁぁっ!!」
……やっぱり何も起きない。
「ははははは……まじかよ」
自分でやってて恥ずかしくなってきたのか、鄭傑は頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「いやいや、普通に考えてステータス画面とか出ねーよな……
ここ物理法則ちゃんと働いてるっぽいし……
でも鍋振ったら炎が鳳凰になったんだぞ? あれ絶対チート技だろ……」
ぶつぶつ呟きながら立ち上がり、今度は適当に腕をブン回して。
「風神の剣!
斬り刻めぇぇぇ!!」
空を切る音だけが虚しく響く。
「………………はぁ」
完全に冷めてきた。
「俺……何やってんだ……客とか、誰か来たらどうすんだよこんなん……一応飯屋だし...」
その瞬間。
ガラッ。
店の扉が勢いよく開いた。
「おい、小二よ!」
低い、野太い声。
鄭杰の背筋がビクッと跳ねた。
入ってきたのは、背の高い男だった。
三十代半ばくらいか。
風に焼けた肌、顎に薄く伸びた髭、腰には使い込まれた長刀。
肩に掛けた粗末な外套は旅塵で白っぽく汚れている。
典型的な「風来の俠客」といった風貌だ。
男は店内を見回し、鄭杰と目が合うと軽く顎をしゃくった。
「……おい店家か?ずいぶんと変わっているな、まぁいい、聞こえたろう」
鄭傑は喉がゴクリと鳴るのを感じた。
(うわっ……来た……!マジで客だ……!しかも刀持ってる……!殺されたら一瞬だぞこれ……!)
頭の中で警報が鳴り響く。言葉もままならないほどに
(どうしよう! どうしようどうしよう!俺、料理したことねぇ!!カップ麺すら...いや最近はレンチン派だぞ!!ここで「すみません材料切れです」とか言ったら斬られるんじゃねぇの!?)
「……あ、あの……」
声が裏返った。
男が眉を少し上げて、じっと見つめてくる。
鄭杰は慌てて作業台の方へ後ずさりながら、必死に脳内検索をかける。
(何だっけ……簡単な料理……いやこの世界の料理…いや待て、さっきの趙とか言うやつ見てたろ!油熱して、魚入れて、振って……フェニックス!!!って無理だろそんなの!!殺すぞ!!!っておい!!!)
慌てて探すもやはり見つからないか、ついには指の爪を噛み始める鄭傑。
(せめて……せめて何か茹でるだけとか……!)
視線を竈の周りに泳がせる。
薪は少し残ってる。
水甕に水はある。
米……米はある!
干し菜っぽいのも干してある!
(よし……雑炊……いや粥か!
粥なら失敗しようがない……はず……!)
「……い、いらっしゃいませ!(まぁ今更だけど。)
少々お待ちを!今、すぐ……温かいものをお出しします!」
男は特に疑う様子もなく、どっかりと一番手前の卓に腰を下ろした。
(俺があんだけ焦ったのに...やっぱ修羅場超えてるよこの人!!!)
刀を膝の上に置いて、腕組み。
「早く頼むぜ。朝から何も食ってねぇ。」
鄭杰は背中が冷や汗でびっしょりになるのを感じながら、竈に薪を放り込んだ。
(落ち着け……落ち着け……
とりあえず火をつけて、米を研いで、煮るだけだ……
それで鍋気とかいうもん出なくても……ただの粥だろ……)
「ふぅ...」
火を吹かしながらに思う。
(出前文化はない世界だから、客は待つしかないはず……!)
今の言葉全く意味不明かもしれない、鄭傑はそう思ってきた。
火がパチパチと音を立て始めた。
鄭傑は米を洗いながら、チラチラと客の方を見た。
(……なんか、めっちゃ強そうだな……
この人、もし俺がまずいもの出したら……
いやいや、まずは生き延びることだ……!絶対成功させる!)
粥を煮込みながら、鄭傑は小さく呟いた。
「……これが俺の、最初の試練か……」
鍋の中で米がふつふつと踊り始める。
鄭傑は鍋をかき混ぜながら、必死に自分を落ち着かせようとしていた。
米粒が柔らかく膨らみ、ほのかに甘い香りが立ち上り始める。干し菜を細かくちぎって放り込み、塩をパラリと振る。
(これで……いけるはずだ。失敗しても「素朴な田舎粥」ってことにすれば……そもそも古代に白米なら)
だが、その瞬間——
体が、勝手に動いた。
手が自然と木べらを握り直し、鍋をゆっくりと、しかし確かなリズムで回し始めた。
まるで何年もこの動作を繰り返してきたかのように、肩の力が抜け、腰が微妙に沈み、呼吸が深くなる。
鄭傑の意識は「え?」と驚いているのに、手足はまったく別の人格を持っているかのごとく滑らかに動く。
(な、なんだこれ……!? 体が……記憶してる? 俺、こんなことしたことねぇのに!)
何かの気が、ふっと立ち上った。
鄭傑から料理へと
(え?なにこれ?)
驚くも体はまだ動く
指先はまるで米粒一つ一つの煮え具合を感じ取り、火加減を微かに調整し、干し菜を最適なタイミングで投入する。
肩の力がさらに抜け、腰がまたかと沈み、次には力めば、呼吸が深く長くなる。
緊張とほぐれが絶え間なく自然に起こる
(これやっぱり)
先ほど鄭傑が見た、。趙と言う料理人が見せたような派手な鳳凰などの瑞獣ではない。
ただ、淡く白い湯気が渦を巻き、まるで優しい母親の手のように粥から漂いそれが周りを包み込む。
それは温かく、懐かしく、どこか切ない香りを運んでいた。
「娘(母ちゃん)....」
男——いかにもな江湖の俠客は、最初は無造作に匙を口に運んだ。ただの粥というのに、まるで待ちきれないようだ。
最初の一匙。
熱い米粒が舌の上に落ち、ぱちりと小さな音を立てるように弾ける。
柔らかく煮崩れた米は、表面がとろりと溶け出しながらも芯にわずかな歯ごたえを残し、噛むたびにじゅわっと甘みが広がる。
それはただの米の甘さではなく、干し菜のほのかな塩気と、薪の煙が染み込んだような野趣のある香ばしさが溶け合った、素朴で深い味わいだった。
男の奥歯が、ゆっくりと米粒を完全に押し潰す。
カチ……カチ……と、小さな音が連続して響く。
すり潰していく
一度噛むごとに、米の粒がさらに細かく砕け、舌の上でねっとりと絡みつく。
すり潰していく
噛む力が強くなるにつれ、干し菜の繊維が微かに抵抗し、ぷちっと小さな破裂音を立てて旨味を放出する。
その瞬間、男の頬がわずかに緩み、目が細くなる。
次の瞬間、目を見開いた。
「……っ!」
匙が止まる。
味だけではない!
男の瞳に、遠い記憶がよみがえるように映り込んだ。
ぼんやりとした幻影。
粗末な茅葺きの家。
幼い頃の自分。
台所で背を丸めて鍋をかき混ぜる、母親の後ろ姿。
「阿虎、腹減ったかい?」と笑いながら振り返る顔。
その手から立ち上る湯気は、今、目の前の粥から立ち上っているものと、まったく同じ匂いだった。
男の匙を持つ手が、微かに震えた。
同じ匂い、同じ温もり、同じ優しさ。
そうであるかのように彼は震える。
「……老娘(お母ちゃん)の……粥……」
声は掠れ、ほとんど呟きに近かった。
三十路を過ぎた荒くれ者の俠客の目尻に、うっすらと光るものが浮かぶ。
彼は慌てて目をこすり、咳払いをして誤魔化そうとしたが、すでに遅い。
鄭傑はカウンター越しにその様子を呆然と見ていた。
(うそ……マジで泣きそうじゃん……俺の適当粥で!?
体が勝手に動いたせいか……?でもお母さんって...あっ確かに俺の知るお粥は全部...母さん....)
鄭傑は少しばかり目尻が垂れ下がる、気分を少しばかり...悪くしているかのように。
男は黙々と、しかし一匙一匙を大切に味わうように食べ続けた。
今度は男はまるで満たされたように、先ほどの飢え切った食事法を見せずに顎がゆっくり上下し、左右に微かに動く。
彼が噛むたびに、口内では粥の粘りが糸を引くように舌と上顎の間で伸び、切れる。
その粘りが、まるで母親の手で何度もかき混ぜられた温もりを思い出させるかのように、男の表情を柔らかく溶かしていく。
「……ん……」
小さな呻きのような吐息が漏れる。
粘り気。
幼い頃に風邪を引いたときには母から米で作った酒を塗られた。
酒を作るなんぞ法を反するのにそれでも自分のためにやった。
「ほぅ...」
最後の一粒まで平らげると、深く息を吐き、静かに碗を置いた。
「……旨かった」
短い言葉。
だがその声には、江湖の風に削られた硬さとは別の、柔らかい何かが混じっていた。
「礼を言うぜ、店家...か、こんな美味い粥は……何年ぶりだか」
嘘偽りのない言葉だった、彼に母を思い出させる味だった鄭傑の粥だが、味はただの農民だった母よりも格別に上手かった。
鄭傑は思わず口を開きかけたが、言葉が出てこない。
(いや俺……ほとんど何もしてねぇんだけど……体が勝手に……)
男は懐を探り、渋い顔で中身を確認した。
銅銭が数枚。
銀子はとうに尽きているらしい。
「……悪いな。金がねぇ」
鄭傑の心で即座に叫んだ。
(金ねぇのかよ!! マジかよ!! 初仕事でタダ飯かよ!!)
だが口から出たのは、驚くほど穏やかな声だった。
「いいさ。腹が減ってたんだろ? それで満足なら、それでいい」
(じゃねぇと切られちゃうだもん)
男は少し驚いたように鄭傑を見た。
そして、ゆっくり立ち上がり、腰の長刀を軽く叩いた。
「これでも少しは名があるもので...ただ飯は江湖の恥だ。金銀財宝なら今は持ってねぇが……これなら、どうだ?」
男が外套の内側から、一冊の古びた冊子を取り出した。
表紙には力強い筆致でこう書かれていた。
殺豚刀法
「……!?」
鄭傑の目が点になる。
(刀法!? 武功秘籍!? 異世界ものじゃ魔法のスクロールとかそんなもんだろう!!マジで!? これって……チートアイテムじゃね!?)
男は少し気まずそうに頭をかいた。
「俺の流派じゃねぇ。ただの拾い物だ。
だが、結構使える。」
「おう」
俺はなんとなく頷く。
「下手な金銀よりは、江湖を歩く身にはよっぽど役に立つはずだ」
さらに、男は少し躊躇うように付け加えた。
「……一応、補足だがな。あんたほどの飯が作れるやつには……悪い……かもしれない。いらないかもな、こんなもん」
男からなんだかぎこちなさそうに冊子を差し出されるも、鄭傑は受け取った。
別に気が大きくなったとか、人格が変わったわけでもない。
彼はいまだに夢気分だった。
鄭は酷く驚いて正直もう意識が朦朧としているのに近かった。
ページをパラパラめくると、簡潔な図と動きの説明がびっしり。
確かに素人目にも「強そう」な刀捌きが描かれている。明らかに呼吸法みたいなのとか氣功に近い文字もあった。
(……これ、ヤバいんじゃね? 俺みたいな虚弱体質でも……少しは強くなれるのか?しかも読めちゃうから...幸いした)
男は軽く拳を胸に当て、頭を下げた。
「恩に着るぜ、店主。また足を向ける日が来たら……今度はきちんと金を持ってな」
そう言い残し、男は扉を開けて去っていった。
その瞬間だった、鄭傑は彼を呼び止めた。
「待てよ、俺は鄭傑、この店の店主で鄭家の当主だ」
「お?」
「あんた、名前は」
「俺は王大虎。また来るよ」
そう言い残し、王大虎は去っていった。
背中が少し軽くなったように見えたのは、鄭傑の気のせいだろうか。
店内に静けさが戻る。
鄭傑は冊子を胸に抱き、呆然と立ち尽くした。
「……マジかよ
粥一膳で、殺豚刀法ゲット……?」
そして、ふと我に返る。
「あぁ、毎度あり……」
(って、毎度ってなんだよ。まだ一回目だろ……)
心の中で呟きながら、鄭傑は自分の両手を見つめた。
「待てよ……体が勝手に動いたのって……これ、料理の記憶それとも……」
彼は自分の両手を見つめた。
さっきまで震えていた手が、今は不思議と落ち着いている。
「……まさか俺、この店の“何か”を継いだのか?エナドリもあったし...」
(まさか、パラレルの俺と融合した!?)
「でもありえないわけでも...映画でパラレル殺せば強くなるのあるし...」
(俺……元の世界の俺と、この世界にいた別の鄭傑が、混ざった?だから、料理の記憶だけは残ってる……?
いや、それとも転生のボーナスが料理特化だったとか……?)
「まぁ考えてもしょうがないわ」
男、鄭は冊子を広げ、最初のページに目を落とした。
(日記書けばこれか)
殺豚刀法の基本の構え。
シンプルだが、隙が少なく、殺すことを目的にしているのに違いはないだろうと鄭傑は思った。
「名前はダサいが、逸話でも牛とか...のあれはあるし、案外最強技が初期のダサい名前のなんだっけ...じゃんけんとかゲームにあるし。」
(……これ、練習したら少しは強くなれるのかな。
虚弱体質でも……せめて、刀持って客に斬られない程度には)
「それにしても...俺こんなに独り言が多かったっけ...」
鄭傑は小さく息を吐き、呟いた。
「……次はどうしようかなぁ。
せっかく刀の使い方貰えたし……うーん」
鍋の火はまだ消えていない。
また誰かが来るかもしれない。
そのときのために、もう一度火をくべ直そうか——鄭傑はそう思い、ゆっくりと薪を手に取った。
(また来るよ、か。王大虎……次はちゃんと金持ってこいよな……いや、でもまたただ飯でもいいかも……スキルゲットてな、今度は刀裁きいるやつくれてやるよ。)
そう考え、薄く笑いながら、鄭傑は竈に完全に注目した。
ヒュー
鍋の底に残ったわずかな粥の粒が、静かに湯気を立てていた。
外では、風がまた一つ、旅人らの背を押すように吹き抜けていった。
ことなら世界からの旅人である鄭傑ももちろんだ
「ハクション!誰だ!俺のこと考えてたろう!」
(...ん?)
ギコ
「火があっても寒いな...虚弱なせいかな...」
(店やるんじゃ扉は閉められねぇし...刀しっかり練習するか...)
鄭傑の日程に武術の修行が加え入れられた。
俺はきっとレベルアップしまくるぞ
「てて、てててー!てれ〜♪」




