シンプル志向の主婦を驚かせた京大生 ~シンプル、オーソドックス、独自な京大生~
わたしの名前はA。四十代の主婦だ。
自分で言うのもなんだけれど、主婦友やブログ仲間からは「シンプル志向の人」として知られている。
物は増やさない。収納は買わない。あるもので回す。
安いから買うのではなく、必要だから買う。
献立は三品まで。味付けは基本に忠実に。けれど出汁だけは手を抜かない。
そんな暮らしを、わたしは「ちょうどいい」と呼んでいる。
わたしは近畿大学を卒業した。派手でも難解でもない、実学の匂いがする大学だった。そこで出会った夫と結婚し、子どもを二人育てながら、いまは京都市で暮らしている。
京都は学生の街だ。
わたしは小さなアパートを一棟所有している。築三十年、六畳一間。余計な装飾はなく、掃除がしやすい。わたしの思想に合っている。
春の終わり、その一室に新しい入居者が来た。
京大の女子学生だという。
内覧のとき、彼女は白いシャツに黒いパンツという、驚くほど簡素な格好で現れた。髪は後ろでひとつに束ね、視線は真っ直ぐ。必要以上に笑わない。
「Bと申します。よろしくお願いします」
その声は落ち着いていて、どこか理科室の空気のように澄んでいた。
あとで近所の奥さんから聞いた。
「その子、医学部らしいわよ。しかも京大。なんでも、シンプルでオーソドックスで、でも独自らしいの」
シンプル。
その言葉に、わたしは少しだけ引っかかった。
シンプルは、わたしの領域だ。
Bはよく話す子だった。
ゴミ出しの朝、廊下で顔を合わせると必ず声をかけてくる。
「おはようございます。燃えるゴミは週二回なんですね。合理的です」
「合理的?」
「はい。可燃ゴミは腐敗速度が速いですから、回収間隔は短い方が衛生コストを抑えられます」
にこりともせず、真面目な顔で言う。
わたしは少し笑った。
「京都は昔からこうなのよ。理屈じゃなくて、暮らしの知恵」
「暮らしの知恵……興味深いです」
彼女は本当に興味深そうに頷いた。
ある夕方、アパートの前で立ち話になった。
「私は医学部医学科生です。ちゃんとした理由でそこを選びました」
「どうして医学部を?」
「学生時代から人を助けることに憧れがありました。それと、医師免許を取れば職に困らない。経済的安定は人生の自由度を上げます」
理屈が明快すぎて、ぐうの音も出ない。
「京大も憧れで選びました」
「どんな憧れ?」
「三つあります」
本当に三つ指を立てた。
「一つ目。春休みに京都に遊びに来て、この町並みに惚れました。二つ目。将来、研究者になりたいので、自由の学風と言われる京都大学を選びました。三つ目。シンプル志向で独自の視点を持つ学生が多いと感じたからです。私の思考様式と相性が良いと思いました」
「東大は?」
「理Ⅲを勧められました。でも、私は京都にこだわりました。最終的に自分で決めないと後悔すると思ったので」
わたしは内心で、しっかりしている、と感心した。
同時に、少しだけ、ちくりとした。
わたしは「通える大学」を選んだ。
彼女は「選びたい場所」を選んだ。
どちらが正しいわけでもない。けれど、まっすぐな選択を語る彼女は、少し眩しかった。
「ところで」
Bが突然、わたしの腕を見て言った。
「今夏なのに、ほとんど日焼けしてなくて真っ白ですね」
一瞬、空気が止まった。
家庭の事情で、わたしはここ数年、長時間外に出ることが少ない。事情は簡単には説明できない。
Bは純粋な観察のつもりだったのだろう。悪意はない。
「昔から日焼けしにくい体質なのよ」
わたしは軽く笑った。
Bは「あ、そうなんですね」と頷いたが、少し考え込む顔をした。失言に気づいたのだろう。
完璧に見える彼女にも、若さはある。
「趣味は何ですか?」とわたしは話題を変えた。
「音楽やアニメ、お酒です。心がけていることは、自分の目と耳で判断することです」
「独特、って噂で聞いたわ」
「はい。私は流行に安易に乗りません。でも、独特であることが目的ではありません」
Bは淡々と続けた。
「流行しているものも一度は味わいます。その上で選ぶ。結果として周囲と違えば“独特”と言われるだけです。他人の評価を目的にした瞬間、それは自分の判断ではなくなります」
その言葉は、わたしの胸に静かに落ちた。
わたしは「シンプル」を選んできた。
けれど、それは本当に自分の目で選んできたものだっただろうか。
節約本やミニマリストのブログを読んで、「正しい」と思ったものを採用してきただけではないか。
少しだけ、悔しい気持ちが芽生えた。
それでも、わたしは笑った。
「あなた、面白い子ね。もっと知りたいわ」
Bは目を丸くした。
「本当ですか?」
「ええ。あなたの“シンプル”が」
一瞬迷ったあと、Bは言った。
「なんなら、大学のレポートをお見せしましょうか。映画論の授業で書いたものです」
「ぜひ」
わたしは本気だった。
Bは自室からノートパソコンを持ってきた。
机の上には余計なものが一切なかった。六畳の部屋。布団、机、本棚。服はハンガーラックに数着だけ。色は白と紺と灰色。
わたしは、少しだけ安心した。
少なくとも、物の量では負けていない。
「これです」
Bは画面をこちらに向けた。
『映画における「沈黙」の構造的機能について』
本稿では、映画作品における「沈黙」を、単なる音声の不在としてではなく、意味生成のための積極的装置として再定義する。
物語は通常、台詞・音楽・効果音によって観客の理解を誘導する。しかし沈黙は、それらの情報量を一時的にゼロに近づけることによって、観客の解釈行為を強制的に活性化させる。
すなわち沈黙とは、情報の欠如ではなく、解釈の余白である。
オーソドックスな演出においては、感情は音楽で補強される。だが本作では、決定的場面において音楽を排除することで、観客の内的感情を増幅させる逆説的効果が生じている。
ここで重要なのは、演出が過剰でないという点である。必要最小限の画角、最小限の台詞。情報の削減こそが、感情の純度を高める。
この構造は、ミニマリズム建築における空間設計と同型である。余白は空虚ではない。余白は思考を宿す器である。
ゆえに本作は「静かな映画」でありながら、観客にとっては最も雄弁な映画となる。
読み終えたとき、わたしは思わず言った。
「うわぁ……難しいわね」
Bは少しだけ笑った。
「難しく書く必要はないんです。ただ、正確に書こうとするとこうなります」
「つまり……しゃべらないことに意味があるってこと?」
「はい。削ることで、逆に本質が浮き上がる、ということです」
削ることで、本質が浮き上がる。
それは、わたしの台所と似ている気がした。
「でもね」とわたしは言った。「映画は理屈で観るの?」
Bは一瞬考えた。
「最初は感覚です。面白い、とか、泣いた、とか。そのあとで、なぜそう感じたのかを考えます」
なるほど、順番があるのだ。
わたしは味噌汁を作るとき、最初から理屈では考えない。
昆布を水に浸す時間も、火を止める瞬間も、身体が覚えている。
「お味噌汁、飲んでいく?」
わたしはふと思いついて言った。
「ぜひ」
台所に立つ。
昆布は水からゆっくり温める。沸騰直前で引き上げ、鰹節を入れて火を止める。濾して、味噌を溶く。具は豆腐とわかめだけ。
「出汁の温度は何度ですか?」
Bが真顔で聞く。
「測らないわよ」
「でも、最適温度があるはずです。旨味成分の抽出効率を最大化するには——」
「あなた、温度計持ってるの?」
「あります」
本気だった。
わたしは思わず吹き出した。
「いいの。耳で聞くの。鍋の音でわかるから」
「音で?」
「そう。ぐらぐら言う前。静かにふつふつ言う直前」
Bは真剣な顔で鍋を見つめた。
やがて、味噌汁が出来上がる。
Bは一口飲み、目を見開いた。
「……再現性が低いです」
「え?」
「同じ味を数値化できません」
「毎日少し違っていいのよ」
わたしは言った。
「その日の湿気、その日の気分、その日の体調。全部違うでしょう?」
Bは黙った。
映画の沈黙の話をしていたときの、あの真面目な顔になった。
「余白……」
小さく呟く。
「そうか。味にも余白がある」
彼女はポケットから小さなメモ帳を取り出した。
「昆布、沸騰直前で除去。音で判断。体調要素……」
「そんなに書かなくていいのよ」
わたしは笑った。
でも、彼女は真剣だった。
その夜、帰り際にBが言った。
「今日、初めてわかりました。理論だけでは足りないことがある」
「理論は悪くないわよ」
「でも、生活には誤差がある」
「誤差じゃないのよ。それが人間」
Bは静かに頷いた。
「Aさんは、シンプルですね」
その言葉は、以前とは違う響きだった。
わたしは少し照れながら答えた。
「あなたのシンプルとは違うけどね」
「いえ。根は同じです。削ることで本質を残す。方法が違うだけです」
胸の奥が、じんわり温かくなった。
Bはまだ若い。
きっとこれから何度も迷い、理屈では説明できない出来事に出会うだろう。
それでも、この子は自分で考え、自分で選び続けるはずだ。
わたしは思った。
この子の成長を、そっと見守りたい。
そして、わたしもまた、彼女から学びたい。
流行だからではなく、正しいと言われたからでもなく、
本当に自分の目で選んでいるかどうか。
シンプルとは、物の数ではない。
態度のことだ。
夏の夕方、アパートの廊下を渡る風は静かだった。
沈黙は、空虚ではない。
余白は、思考を宿す器である。
そのことを、京大生の彼女が教えてくれた。
わたしは今日も、昆布を水に浸す。




