王子と悪役令嬢の12時間
午後の光が差し込む講堂は、卒業式の厳かな空気に満ちていた。壇上に立つ婚約者ジュリアン・クロード第1王子は、金の髪を整え、氷のような瞳で私を見下ろしていた。整った顔立ちをしているのに、そこに温度はない。周囲の視線が一斉に私へ向けられ、息を呑む気配が広がる。
彼は胸を張り、よく通る声で告げた。
「レティシア・ミルフィーユ公爵令嬢!
貴様は、義妹であるシャルロッテを虐げた! 更には散財や放蕩を繰り返し、自堕落な生活をしている。これでは、未来の王妃に相応しくない。
よって、ここに婚約を破棄する!
そしてシャルロッテ・ミルフィーユ公爵令嬢と、新たに婚約を結び直す」
講堂がざわめきに揺れた。私は静かに息を吸い、深く一礼する。長い黒髪が肩から滑り落ちた。
「承りました」
その一言だけを残し、私は会場を後にした。背中に突き刺さる視線も、もう何の意味も持たなかった。
王宮で与えられていた部屋に戻り、私は淡々と荷物をまとめていた。豪奢な部屋に対して、私物は驚くほど少ない。必要最低限のものしか持ち込んでいなかったからだ。最後の箱を閉じたところで、扉が乱暴に開いた。
金髪を乱したまま、元婚約者ジュリアンが立っていた。
「後から人を寄越さないで今、片付けていけ」
怒りを押し殺したような声だった。
「もう終わりました。残っているのは、王室側で用意して頂いたものです。公務などで着るために用意してくださったものは、公的資産なので」
私は淡々と答えた。
彼はズカズカ奥へ進むと、引き出しを開ける。そして、銀のペンダントを取り出す。大きい青い宝石がはめ込まれた、匠の品だ。
「これは個人的に渡したものだ」
「しかし、公金で買った物ですよね? 婚約者予算、もしくは交際費として税金で組まれた予算内で買ったのでしょう。私は王妃にならないのですから必要ないですし、民に還元すべきです」
彼は言葉を失い、唇を噛んだ。
「では失礼します」
部屋を出ようとした瞬間、腕を掴まれる。
「何処へ行く?」
「黙秘します」
「浮気相手のところか?」
「はあ? 私が、いつ何処で誰と不貞したのです?」
「セドリック・ヴァルター」
「ヴァルター? 騎士団長ですか? 彼は既婚者のはずですが」
「だから既婚者と浮気したんだろう」
「それは、ヴァルター卿を侮辱する発言です。取り消してください!」
「浮気するやつが悪いのに居直るな」
「証拠はあるのですね?」
「シャルロッテが、そう言ったのだ。『見た』と」
私は深く、ため息をついた。
「でしたら、名誉毀損で被害届を出します」
「はあ? 家族を訴えるのか?」
「家族? 何処に家族が? 私に家族はいませんが?」
彼は苛立ちを隠さず言い返す。
「何を言っている。ミルフィーユ公爵、公爵夫人、シャルロッテ」
「戸籍上そうでしょうけど、これから除籍手続きをしますので、もう関係ありません」
「除籍だと? 何を言ってる? 貴族令嬢が除籍して、どうやって暮らす?」
「どうやっても何も私は、ずっと自分の収入だけでやってきました。この8年、家から銅貨1枚も貰ってません」
「よくも、そんなあり得ない嘘を。舞踏会で着ていた豪華なドレスも、自分で稼いだというのか」
「あ、あれは実家ですよ」
「やっぱり。それでは自費ではないだろう」
「公爵の命令で仕方なく仕事に行くのに、どうして私がドレス代を負担しないとならないのです?
そもそも私の収入は、祖母の残してくれた古アパートの家賃収入です。その経済力で用意したドレスでは、自分達が恥をかくので仕方なく用意してたのですよ、ミルフィーユ公爵夫妻は」
彼は、尚も食い下がる。
「パーティー好きな派手な性格と有名なのに、仕事として仕方なく出席してただと?」
「まずドレスが派手だから派手な性格と思われたのでしょうが、ドレスを用意してたのはミルフィーユ公爵夫人で私の趣味ではありません。交友関係を広く持ってたのは、将来王妃になった時に味方が多い方がいいからです」
「そんなこと、口では何とでも言える。実際は情夫を探してたんだろう」
金髪の王子は怒りに頬を紅潮させ、私を睨みつけている。だが、その瞳には確信の色など欠片もなかった。
「先ほどの不貞疑惑も含めて、殿下自身が見た、もしくは監査人が見たということでないと証拠能力はないのです。きちんと調べて、証拠を揃えた上で言ってるのですよね?
殿下は王族かもしれませんが、私もまだ準王族なのです。そして家門に泥を塗られたのであれば、一門は黙っていません」
淡々と告げると、彼はたじろいだ。強気な態度が一瞬だけ揺らぐ。
「しかしシャルロッテが、そう言ったのだ。シャルロッテもミルフィーユ公爵家の娘だろ」
「義妹は養子ですので、何かあれば除籍して終わりです」
その瞬間、彼の顔に露骨な嫌悪が浮かんだ。
「そういう冷たい態度が、彼女の心を病ませる原因なのだ。疫病神め」
胸の奥が冷えた。だが、怒りも悲しみも湧かなかった。ただ、呆れと疲労だけが静かに積もっていく。
「でしたら、これ以上お目汚しするわけにはまいりません。失礼します」
私は踵を返し、扉へ向かった。重い沈黙が背中にまとわりつく。取っ手に手をかけたところで、ふと思い出したように振り返る。
「ああ、臣下として最後に、ご忠告いたします。純潔検査は早くなさるべき。それも義妹と接点のない医者で」
王族に嫁ぐ者は、結婚式前日に純潔検査を受ける。
彼の顔が、怒りで真っ赤に染まった。
「それこそ侮辱だ!」
「では、どうぞ裁判所にその旨、申し立ててください。困るのは、そちらです」
彼は歯噛みしながら叫ぶ。
「そんなこと言って純潔だったら、どう責任をとる?」
「嘘だと思うなら尚更さっさと検査し、それでもし純潔だったなら、私に謹慎なり投獄なり命じればいいでしょう。
逆に私が不貞してなかったら、殿下は責任をとって男爵に臣下降籍なさいますね? 王家と公爵家の政略結婚を壊した罪は、それほど重いですから」
彼はなおも食い下がるように言葉を吐き捨てた。
「シャルロッテと再婚約するのだから、契約は壊してない」
私は肩をすくめる。
「私が不貞してると言ったのが義妹なのだから、その場合、養子縁組解除するに決まってるでしょう」
彼の眉がぴくりと動いた。
「……そうなれば彼女は、男爵令嬢になるのか?」
「いいえ、実父には縁を切られてますから平民です」
短い沈黙が落ちる。彼は口を開きかけ、しかし言葉を失ったように黙り込んだ。
「では、今度こそ失礼します」
私は軽く会釈し、部屋を後にした。
馬車留めに向かうと、冬の風が頬を撫でた。夕刻前の王宮は静かで、石畳に響く自分の足音だけがやけに大きい。馬車の扉に手をかけた瞬間、慌てた声が背後から飛んできた。
「お待ちください! しばしお部屋で待機なさってください。王子の命です」
ジュリアンの側近が、息を切らしながら駆け寄ってくる。私は小さくため息をつき、再び部屋へ戻ることにした。
窓の外が橙に染まり始めた頃、扉が勢いよく開いた。金髪の王子が怒りに満ちた顔で、踏み込んでくる。
「お前が、シャルロッテを襲わせたのか?!」
私は思わず目を瞬かせた。
「は? いつ? 誰に?」
「それを聞いてるのは、こちらだ」
「話になりません」
「何だと?!」
彼が怒鳴りかけたその時、低く落ち着いた声が部屋に響いた。
「もし、そういった事件なら、こちらで調べます。越権行為は、お止めください」
振り向くと、銀髪を後ろで束ねた騎士団長が立っていた。鋭い灰色の瞳が王子を真っ直ぐに見据えている。長身で鍛えられた体躯は鎧越しでも分かり、威圧感よりも静かな威厳を感じさせた。
ジュリアンは、驚愕と怒りの入り混じった表情で叫ぶ。
「なぜヴァルター団長が、ここにいる? 不倫相手を迎えに来たのか? 王子の婚約者を寝とるなど重罪だぞ」
団長は眉ひとつ動かさず答えた。
「そのことでミルフィーユ公爵令嬢から被害届を出す旨を相談されたので、詳しく詰所で聞く予定だったのが、急遽こちらに戻ると連絡を受けたため参った次第です」
その声音は冷静で、しかし王子の暴走を明確に制する力があった。
王子の顔色がみるみる青ざめていく。怒りよりも、恐れが勝っているように見えた。
「本気で訴えるつもりか?」
震える声だった。
「当然の権利です。この国は、絶対王政ではありません」
私が淡々と告げると、傍らにいた騎士団長が静かに頷いた。その仕草だけで、王子の肩がびくりと揺れる。
「……もし……もしも、シャルロッテが……いや、そんな」
彼は何かを否定したいのか、それとも認めたくないのか、自分でも分かっていないようだった。
「ミルフィーユ公爵です」
「は?」
「診断の結果、妊娠が判明したのでしょう? 義妹のお腹の子の父親を、知りたいのではないのですか?」
王子の瞳が大きく見開かれた。
「……冗談だろう?」
私は小さく笑った。すると、彼は冗談だと思ったようで、胸を撫で下ろす。
「私と殿下は、冗談を言い合う仲ではありません」
その瞬間、彼の顔から血の気が引いた。よろめいた拍子に花瓶を倒し、床に砕け散る音が響く。メイドが慌てて駆け寄り、破片を片付け始めた。
王子は頭を抱え、呻くように言った。
「……そんな……」
「義妹は誰の子だと言ってるんです?」
「突然襲われ、暗くてわからなかったと」
「どこで襲われたんです?」
「学園の倉庫だ」
私は思わず声を荒げた。
「学園?! 王立貴族学園ですよ? 王子の婚約者の義妹を襲うわけないでしょう」
彼は口を開きかけたが、何も言えず黙り込んだ。
私は椅子から立ち上がる。
「諸々の手続き等ありますので、これで」
「ま、待て、待ってくれ。ほ、本当にミルフィーユ公爵なのか」
「子供が生まれれば、色素や顔の形でわかるでしょう」
「それまで待つわけにはいかない」
「それは大変ですね。失礼します」
扉へ向かう私の背に、縋るような声が飛んだ。
「待て。何故そんなに冷たい?」
私は振り返り、淡々と答える。
「はい? 仰る意味がわかりません。殿下は私にとって、他人より遠い存在なので、親切にする理由がありません」
王子の表情が崩れ落ちる。唇を震わせながら、必死に言葉を絞り出した。
「っ……確かめる」
その声音には焦りと、恐怖が混じっていた。
「どうやって?」
私が静かに問い返すと、彼は胸を張り、妙な自信を取り戻したように言い放った。
「お前の家に潜入する。従者として」
「そうですか。お気をつけて」
あまりに突拍子もない発言に、私は淡々と返すしかなかった。だが彼はさらに踏み込んでくる。
「お前と一緒に家に入る。荷物持ちとして」
「私は家には帰りません」
「は? 帰らずに、どこへいく」
「修道院です。幸い持参金は、用意できますので」
彼の顔が強張った。
「……このまま行くと?」
「そうです。先触れは出しましたので、もう行かないと」
私が淡々と告げると、彼は慌てて手を伸ばした。
「いや、待て! お前が、いなければ計画が上手く行かない。修道院には、こちらで連絡するから一緒に帰ってくれ」
その言葉に、私は思わず眉をひそめた。
「それは私に『殴られろ』ということですか?」
「どういう意味だ」
「このまま帰れば、ミルフィーユ公爵に殴られるに決まってるではないですか」
王子は目を見開き、信じられないというように首を振った。
「いや、そんな……しかし、お前の言う通りなら、シャルロッテが嘘つきだと知ってるのに。なぜ殴る?」
「分別のつく人間が、養女に手を出すはずないでしょう」
彼は言葉を失い、視線を彷徨わせた。
「しかし……。とにかく、お前の言うことが事実かどうか証明する義務が、お前にはある。王子命令だ」
隣で騎士団長が口を開きかけたが、私は軽く手を上げて制した。
「承りました。その代わり、事実だった時は男爵に臣下降籍すると約束してください」
王子は苦しげに顔を歪めた。
「それは……俺の一存では決められない」
私は呆れたため息をついた。
「さようですか」
その一言に、彼の肩が小さく震えた。
私はもう、彼にかける言葉を持っていなかった。
自宅の居間に足を踏み入れた瞬間、空気が張り詰めた。暖炉の火がぱちりと弾ける音だけが響く中、父がゆっくりと立ち上がる。次の瞬間、頬に鋭い痛みが走った。
「お前というやつは! ミルフィーユ公爵家の面汚しめ! 殿下に公衆の面前で婚約破棄されるなど!」
怒号が耳を打つ。私は痛む頬を押さえながら、ただ黙って立っていた。
その横で、従者に粉したジュリアンが一歩前に出た。
「殿下に『公衆の面前で婚約破棄するよう』唆したのはシャルロッテ様ですから、レティシア様の非ではないでしょう」
父の顔が怒りで歪む。
「なんだと? 従者の分際で意見するか!」
「お止めください。その方は王宮所属の使用人です。彼を殴るのは、王家に歯向かうことです」
私が制すると、ミルフィーユ公爵は舌打ちし、乱暴に手を振った。
「ふんっ。とっとと荷物を置いて帰れ!」
メイドが従者(王子)を案内し、私はその後を静かについていった。
案内された部屋に入ると、王子は目を見開いた。
「ここが公爵令嬢の部屋?」
狭い。家具も最低限。飾り気は一切ない。
メイドが薬箱を抱えて駆け寄り、私の頬を見て眉をひそめた。
「すぐ手当てします」
王子は私の顔を見つめ、低く問いかけた。
「大丈夫か?」
「あなたが、それを言うのですか?」
皮肉でも怒りでもなく、ただ事実を述べただけだった。
彼は苦しげに視線を落とす。
「……しかし、ミルフィーユ公爵が、あんなだと知ってたら……」
「知ってたら? だから『殴られる』と言ったではないですか。信じてなかったのですね」
彼は言葉を詰まらせ、部屋を見回した。
「……こんなに何もない部屋に薬箱があるということは、日常的に暴力をふるわれているのだろう」
「顔を腫らした状態で、何度も王宮に妃教育で上がってますけど」
彼は驚いたように目を見開いた。
「俺は会ってないから、気付かなくて当然だろう」
その言葉に、私は小さく息を吐いた。
「気付かなくて当然。そうですか。
では、この先も一生そのまま無関心でいてください。婚約破棄した後にしゃしゃり出られたら迷惑です」
彼は悔しげに眉を寄せた。
「婚約者だった時に、言えば良かっただろう」
「あなたは業務連絡以外話したことない仕事の関係者に、家の内情を相談するのですか?」
彼は一瞬言葉を失い、それでも反論しようとする。
「婚約者は単なる関係者じゃない」
「いいえ、婚約者とは単なる役職名です。政略結婚という名の仕事の関係者です」
その瞬間、王子の表情が痛いほど歪んだ。
だが、そこへ控えめなノックが入り、メイドが顔を出した。
「お嬢様、申し訳ありません。時間が……」
「ええ、ご苦労様。気をつけてね」
「はい、失礼します」
メイドが頭を下げて部屋を出ていく。
王子はその背中を見送りながら、ぽつりと呟いた。
「……通いだったのか」
「そうです。
では食事を持ってきますので、どこかそれまで隠れていてください。従者がどうしたか聞かれれば、裏口から帰ったと言いますので」
王子は驚いたように私を見る。
「お前が持ってくるのか? 他にも使用人がいるだろう」
「私の世話をするのは、今のクロエだけです。
もっと言えば、彼女は私が雇ってるのでこの家のメイドではありません」
王子は完全に言葉を失った。
その顔は、これまで見たどんな表情よりも愕然としていた。
彼はようやく絞り出すように息を吐いたが、声は出なかった。
私はそんな彼を横目に、淡々と立ち上がる。
トレイに簡素な夕食を乗せ、私は部屋へ戻った。扉を閉めると、従者の姿をしたジュリアンがこちらを振り返る。私は淡々とトレイを机に置いた。
「私はパンを半分いただきます。残りは、どうぞ。
足りないかもしれませんが、イレギュラーなのでご辛抱ください」
王子は皿の上を見つめ、言葉を失ったように固まった。
パン1つ、薄いスープ、そして小さなチーズ。
「これが……夕食? 俺が婚約破棄したから?」
私は慣れた手つきでパンを半分に割り、口に運んだ。
「いつもこうですが? 殿下も私が『痩せすぎだ』と仰ってたではないですか」
「それは……体質だと思って」
「体質? 何を言ってるのです? 婚約した当時はまだ母が存命で、私は標準体型だったではないですか。病気で痩せたなら定期検診で引っ掛かってます。
私が痩せ始めたのは、継母が来てからです。それとも殿下は、私の母が亡くなったことも覚えてないのですか。葬儀に参列してくださったのに」
王子は息を呑み、視線を落とした。
「参列したのは覚えてる……しかし……いや、そうか。これ全部食べるといい。俺は1日くらい何ともない」
「そんなこと言われても食べにくいので、私には必要ありません。
では、湯を汲んできます」
私は部屋を出て、キッチンで沸かした湯をバケツに汲んだ。重さに腕が少し震えたが、慣れた動作だ。戻ってくると、王子は所在なげに立っていた。
「これで身体を拭いてください。終わりましたら、私も使いますので」
王子は湯気の立つバケツを見つめ、信じられないというように眉を寄せた。
「湯浴みは? これだけ?」
「この部屋の、どこにバスタブがあるのです? 夏は井戸の脇で水浴びもできますが、この時期はこうやって身体を拭くしかありません」
王子は言葉を失い、ただ沈黙した。
その沈黙が、どんな怒号よりも重く響いた。
廊下の向こうから、軽い足音が近づいてきた。私は反射的に顔を上げる。
「クロゼットに隠れて」
小声で告げると、王子は驚きながらも従い、狭いクロゼットの中へ身を滑り込ませた。扉が閉まる直前、彼の不安げな視線が一瞬だけ私を捉えた。
次の瞬間、部屋の扉が勢いよく開く。
継母と義妹が、香水の匂いを撒き散らしながら入ってきた。義妹は明るい金髪を揺らし、わざとらしく私を見下ろす。
「まあ! もう帰って来ないと思ったのに、なぜ帰ってきたの? 信じられない! その顔は、やはりお義父様に殴られたのね?」
継母は冷たい目で私を見つめ、鼻で笑った。
「どうして帰ってきたのか、理解できないわ。今後、縁談があるとも思えないのに。ただの役立たずじゃないの」
義妹は待ってましたと言わんばかりに、抱えていた箱を開けて見せつけてくる。
「それより見て! また(王室が用意した)婚約者予算で買い物してきたの」
宝石、ドレス、靴──どれも高価なものばかり。
私は淡々と答えた。
「そう。きちんとドレスルームにしまっておくといいわ」
「言われなくてもやるわ。嫌な言い方。さすが負け犬ね!」
義妹は勝ち誇った笑みを浮かべ、継母とともに去っていった。
扉が閉まると、部屋に静寂が戻る。
やがてクロゼットの扉がゆっくりと開き、王子が蒼白な顔で姿を現した。
「今のが……シャルロッテ? 医者の検診を受けた後は泣いていたから、落ち着くまで王宮にいるよう言ったのに買い物?
しかも婚約者予算だって? 今日、婚約者にすると発表しただけで何の手続きもしてないのに、なぜ勝手に婚約者予算を遣っている?」
私は肩をすくめた。
「ずっと前からですよ? この部屋を見れば予算が私に回って来ないことくらい、おわかりでしょう」
王子は言葉を失い、呆然と部屋を見回した。
「そんな……」
「王宮で使う宝石も、いつもレンタルでした」
「なっ……王子の婚約者がレンタル?」
「私が準備できる範囲もそうですし、王宮で用意してくださるものも、いつもレンタル品でした。だから影で笑われてましたよ」
王子は額に手を当て、深く息を吐いた。
「…………もう充分だ。帰る」
私は首を横に振った。
「これから決定的なものが見れますのに」
王子は言葉を失い、ただ私を見つめる。
「少しだけ、お待ちください」
夜の屋敷は静まり返り、廊下には私と彼の足音だけが落ちていた。
薄暗い灯りの向こうから、ベッドの軋む音が聞こえる。私は歩みを止め、ジュリアンと目を合わせた。
その直後、甲高い声が響く。
「レイナルドっ! レイナルドぉ! もっと……」
義妹の声だ。
レイナルドとは、ミルフィーユ公爵の名である。
王子は歯を食いしばり、拳を震わせた。
私は無言で扉に手をかけ、ゆっくりと押し開けた。
ベッドの上で絡み合っていた2人は、私とジュリアンの姿に気づくと、悲鳴を上げてシーツを掴んだ。
ミルフィーユ公爵は蒼白になり、義妹は震えながら身を隠す。
「な、なんだ?!」
公爵の狼狽を無視して、私は壁を指差した。
「あそこに」
王子は壁に飾られていた剣を手に取った。
そして、鞘から剣を抜くと、憎しみを込めて2人を斬りつけた。
部屋の中に悲鳴と混乱が渦巻き、私は目を閉じた。
すべてが終わったとき、屋敷中が騒然となり、駆けつけた継母が悲鳴を上げて倒れ込んだ。
公爵家は取り潰され、継母は流刑となった。
私は全面的な被害者として扱われ、女侯爵の爵位を賜る話まで出たが、丁重に辞退した。他国で静かに暮らしたかったからだ。
港町のカフェで、私は待ち合わせの相手に微笑みかけた。
「ごめんなさい、待った?」
「いいや、いま来たとこ」
銀髪の騎士──セドリック・ヴァルターが穏やかに笑う。
「嘘つき」
私も笑い返し、問いかけた。
「奥さんは?」
「本当の旦那が迎えに来て、無事に離婚したよ」
「良かった。それにしても、バカな王子で助かった」
王子は一連の騒動の責任を負い、王族籍を外され、今は屋敷に引きこもっていると聞く。
セドリックは肩をすくめた。
「僕らが嵌めなくても、あれはいずれ失脚してたね」
私は小さく笑った。
義妹の言っていたこと──それは事実だった。
私とセドリックは、昔から恋仲だった。
それが露見すれば、すべてが壊れるため、彼は偽装結婚し愛妻家を演じ続けていた。
継母からの虐待など、実際には殆どなかった。母が亡くなってすぐに再婚してやってきた継母と義妹を、使用人たちがあっさり受け入れたことがどうしても許せず、自分で彼らから世話を拒否した。
公爵令嬢としての予算も、実父への当て付けで受け取らなかった。
食事を減らしたのも、自分の意思だった。
継母が来てから痩せ細れば世間は虐待だと思うだろうし、実際あの親子と同じ屋敷にいるだけで食欲など湧かなかった。
使用人部屋だったのも、主人家族のいるフロアが嫌だったからだ。
自分の資産は家族を信用できず、別の場所に預けていた。
だから自室には何もなかった。
私は殿下とのやり取りで、一言も嘘は言っていない。
ただ、彼が勝手に思い込んでくれただけだ。
港へ向かう道で、私は隣を歩く彼に微笑みかけた。
「これから行く先が楽しみだね」
「ああ。これからは2人でいられる」
セドリックは穏やかに笑い、私の手を握った。
私たちは、一連の騒動がきっかけで恋仲になった──と公表した。
彼の妻は以前から不倫していたという設定にしたため、世間は私達の恋を美談として受け入れた。
けれど、この国に長くいれば、いつか綻びが出る。
どこで事実が明るみに出るかわからない。
だから私たちは爵位も役職も捨てて、他国へ行くことにした。
私に対する婚約破棄と冤罪の慰謝料は、義妹と実父が王族を騙したことへの慰謝料とで相殺された。しかし、実家の資産を継いだことで、一生遊んで暮らしても余るほどの財が残った。
騎士団団長と女侯爵という肩書きを捨てるのは少し惜しいが、これだけの資産があれば、爵位などいくらでも買える。
春風が頬を撫でる。
私は彼の手を握り返した。
私たちは手を繋いで歩き出した。
お腹には、新しい命がいる。
未来は、誰にも奪わせない。
□完結□




