盗賊三箇条
その屋敷は、町の外れにあった。
城壁の内側ではあるが、商人街からは距離があり、夜になると人通りが極端に減る。土地が余っている証拠だった。敷地は広く、塀は高い。古いが手入れはされていて、崩れかけた箇所はない。金を持っている家だと、外からでも分かった。
数日前から、男はその屋敷を見ていた。
昼間、門を出入りする使用人の数。
夜、灯りが落ちる時刻。
裏手の勝手口に鍵をかける癖。
警備兵はいない。番犬もいない。
だが、生活の匂いは確かにあった。
盗みに入るかどうかの判断で、彼はいつも三つのことを思い出す。
一つ、貧しいものから盗まない。
二つ、決して人を殺さない。
三つ、決して女を犯さない。
盗賊三箇条。
誰が決めたのかは知らない。親に教わったわけでもないし、組織に属しているわけでもない。ただ、下の方で生きている連中の間に、当たり前のように共有されている線だった。
落ちるところまで落ちても、これだけは越えるな。
それが、人として残れる最後の場所だと、彼は思っていた。
屋敷は、その線の外側にあると判断した。
貧しい家ではない。生活必需品を奪わなければ、人は死なない。そう考えた。
侵入は簡単だった。
塀の影を伝い、裏手の物置から中へ入る。床板は古いが軋みは少なく、廊下も広い。成金ではない。長く続いた家だ。そういう家は、金の隠し場所が分かりやすい。
書斎の奥に、古い金庫があった。
鍵は一重。道具を使えば、音も立てずに開くことができた。
中には銀貨の袋がいくつもあった。
宝石箱もある。装飾品も揃っている。
彼は少し迷ってから、銀貨袋を二つだけ抜いた。全部は取らない。
箱の底に残った銀貨を見て、「これなら即座に破滅はしない」と自分に言い聞かせた。
その時、屋敷の奥で物音がした。
足音ではない。木が軋むような、誰かが座り直したような音。
彼は即座に身を低くし、動かなくなった。
人の気配があるなら、それ以上は踏み込まない。
結局、誰も来なかった。
彼はそのまま屋敷を出た。
線は守った。
そう思っていた。
――数日後。
酒場で、噂話が耳に入った。
町外れの屋敷の主人が、自殺したらしい。
首を吊っていた、と誰かが言った。
理由は分からない。ただ、その家の娘が少し前から姿を消していた、という話が続いた。誘拐されたらしい。身代金を要求されていたが、期限までに金を用意できなかった、と。
男は、酒を飲み干しながら聞いていた。
胸の奥に、嫌な重さが溜まったが、まだ確信にはならなかった。
別の日、路地で古道具を売っている男から、もう少し具体的な話を聞いた。
あの屋敷、最近やたらと金を集めていたらしい。
装飾品を質に出し、使用人も何人か解雇した。
それでも、身代金には足りなかったらしい。
「遺体は戻ってきたんだとさ」
男は声を落とした。
「乱暴された跡があったって話だ。医者が見たらしい」
その言葉で、すべてが繋がった。
銀貨袋の重さ。
金庫の中に残っていたはずの金。
身代金が足りなかった理由。
自分は殺していない。
自分は犯していない。
だが、自分が抜いた分がなければ、金は揃っていた可能性があった。
盗賊三箇条は、自分たちが人でいるための戒めだと思っていた。
違った。
あれは、盗賊と、それ以外の人間が、同じ町で共存するための最低限の線だった。
盗む側が踏みとどまっていれば、踏み越えずに済む人間がいた。
その夜、男は町を歩いた。
川沿いまで行き、濁った水を見た。
高い建物の裏に回り、縁を見上げた。
暗い路地に入り、誰も来ないことを確かめた。
どこでも終われると思った。
自分が死ねば、この因果は自分のところで止まる。
そう考えかけて、足が止まった。
それは償いではない。
ただ、背負えなくなった現実から逃げるだけだ。
気づけば、教会の前に立っていた。
祈るつもりはなかった。ただ、ここなら何かを口に出せる気がした。
懺悔室は狭く、暗かった。
彼は、盗んだことを話した。
結果として、人が死んだことを話した。
直接手を下していないことも、事実として述べた。
神父は、判断を下さなかった。
許しも与えなかった。
それでよかった。
言葉を出し切ったとき、はっきりした。
自分が生きるしかない理由が。
盗まない。
働く。
逃げない。
この命を、人のために使えるかどうかは分からない。
だが、少なくとも――壊す側には戻らない。
懺悔室を出ると、夜が明け始めていた。
町は、昨日と何も変わっていなかった。
それでも彼は、歩き出した。




