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【連載版】いつの間にか溺愛されてましたとは言うけれど。  作者: 江入 杏


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カルロス・イギオンという男

 前を歩いていた執事が一際重厚感のある扉の前で立ち止まったかと思うと、その扉を数度叩いた。入れ、と扉の向こうからでも不思議とよく通る声が聞こえてくる。

 執事が扉を開け、その後に続く。リアーナを置いて執事が書斎机に座る男の隣に立った。こちらに対する配慮が一切見られない行動に内心呆れながらも、目の前に座る男に微笑んだ。

 男は書類を手にしながらちらりとこちらに視線を向ける。立ち上がる気は無いらしい。どうやら歓迎するつもりは一切無いようだ。

「初めまして、リアーナ・ストラーダと申します。王命により、イギオン辺境伯家へ嫁ぎに参りました」

「リアーナ? 姉の方か?」

「ええ、妹は体調が悪く伏せっておりますので姉の私が」

「……まあいい。体裁を保ちたいだけで、どちらでも構わなかったからな。どうせならまともな方がまだマシかと思っていたが」

「そう仰らないで下さいませ、遠路はるばる参りましたのに」

 初対面にも関わらず、あまりにも失礼な物言いに出来るだけ穏便に返せば、男はつまらなそうに鼻を鳴らして手元の書類に視線を戻した。

 思わず目を細めたくなったが、執事がこちらを見ている。今は耐えなければ。ここで反抗的な態度を取って、生活基盤も整ってない状態で屋敷を追い出されては詰みだ。

「それと、俺からの愛など望むな。跡継ぎは親族から優秀な子どもを養子に迎えれば済む話だ、三年後には離縁するからそのつもりで過ごせ。俺にはククルスの雛を育てる趣味は無いのでな」

「……ええ、畏まりました」

「もう下がっていい。おい、部屋に案内してやれ」

「はい。リアーナ嬢、外に専属侍女が控えております。後はそちらに」

「分かりました。それでは、失礼致します」

 カーテシーをした後、書斎から出る。扉の傍に控えていた専属侍女が無表情で先導した。

「…………」

「…………」 

 会話は無い。話す事など何も無いということだろうが、それはこちらも同じこと。

 原作のリアーナなら少しでも関係を良くしようと一生懸命話しかけていたけれど、今は違う。どうせ出ていく身、良く思われていない相手に気に入られる必要なんてないのだから。

 無言のまま歩いていくと、目の前の女が立ち止まる。危うくぶつかるところだった、突然立ち止まるのはやめてほしい。

「ここよ」

 案内された部屋を見て、予感が確信に変わる。屋根裏部屋とは、お約束過ぎて一周回って感心する。これがドアマットヒロイン定番の屋根裏部屋か、と眺めていると背後からくすくすと笑う声が聞こえた。

「一体どんな美女が来るかと思っていたけれど、大した事ないようで安心したわ。悪女は悪女でも、はしたない手段しか取れなかったのね」

「…………」

「アンタみたいな女を主人として扱うつもりはないから。全く、旦那様もどうしてこんな女を嫁に迎えようと思ったのかしら」

 何も言い返さないでいると、こちらの反応を見て満足したのか専属侍女は部屋から出ていく。どうやらリアーナの世話をするつもりは一切無いようだ。

 あまりにもテンプレな展開に面食らってただけで、別に傷ついた訳ではない。というか、コテコテ過ぎて逆に面白くなってきた。それを差し引いてもあの男の発言は許し難いが。

「……ふふ、ふふふ。あの男、言うに事欠いて私のことをククルスですって? 流石、高貴な御方は皮肉も洒落ていらっしゃる」

 ここが実家ならベッドに飛び込み、枕に顔を埋めて叫んでいたところだ。この部屋のベッドは埃っぽくて御遠慮願ったが。

 頭に血が上っていることを自覚する。一度深呼吸し、ゆっくり十まで数えた。

「まあ、羽虫の立てる羽音に逐一反応しても仕方ないわよね。ああ、殺虫剤が欲しい」

 屋敷に来てからずっと持っていた旅行鞄を置く。そういえばあの執事、荷物を一切持とうとしなかった。いくらなんでも職務怠慢ではないだろうか。

「まさか言動まで原作通りとはね、期待した私が馬鹿だったわ」

 身辺調査もせずに噂をそのまま信じるとは、情報戦が主となる貴族してどうなのだろう。まあどちらかというと脳筋みたいだし、裏取りをするという考えには及ばなかったようだ。

 短いファーストコンタクトだったが、もう十分。あの男も、この家の者達もそこまで優秀では無い。それでも、腐ってもあの男は辺境伯。辺境の地から逃げられてしまっては困るのだろう、随分評価に下駄を履かせてもらっているようだ。

 その程度の実力で自分が選ぶ側だとでも思っているのだろうか、王命が無ければ嫁も迎えられない身で。わざわざ嫁ぎにやってきた相手に対してこんな仕打ちをするのだから、こちらから見限っても文句は言わないだろう。

 そういう者に限って何故か相手から捨てられるのは気に食わない、という愚かな思考をしていることが多いけれど。

「どうやら今後の身の振り方について再考する必要がありそうね」

 とはいえ、今は衣食住をどうするかが目下の問題だ。ドアマット御用達の屋根裏部屋に来たのは良いが、こうも埃だらけだとくしゃみが止まらなくなりそうだ。ここは早速スキルの出番ではないだろうか。

「そうだ、スキルの確認がまだだったわ。とりあえずそちらを先に済ませましょう」

 ステータス、と唱えてもう一度スキルの項目を確認する。やはり何度読んでも説明の内容は変わらなかった。

「説明通りなら私の実家の自室になるのだけど、ここに居るよりはマシよね」

 頭では分かっているものの、踏ん切りがつかない。スキルを発動させるということは、あれをやるしかないのだろうか。

「やっぱり、これも唱えなきゃいけないのかしら」

 頭の中で念じてみるが、やはり発動しない。これは例のアレをやるしかなさそうだ。

「………………ホーム」

 口にした瞬間、ぐらりと目の前の景色が揺らぐ。次の瞬間、リアーナは見慣れた場所に立っていた。

「あら、ここって――」

 立っていた場所は実家の自室ではない。けれど、とても見慣れた場所。

 何故ならここは。

「前世の私の部屋、よね」

 そう、自室とは言っても前世の自室。リアーナが田中恵子だった頃に住んでいた部屋だった。

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