神様とラーメン
あれきり、書庫には訪れていない。鍵を返しそびれてしまったが、屋敷の者に会う気にもなれずリアーナは部屋に引きこもりがちになっていた。当然、あれから一度も執事とは会っていない。
憂鬱な気持ちが抜けないまま、夕食の支度のため冷凍庫の扉を開ける。今日は簡単に済ませるつもりだ。
「こ、これはっ……!」
そこに鎮座する物を見た瞬間、憂鬱な気持ちが吹き飛んだ。ただならぬ声を聞きつけ、シーナが駆け寄ってくる。
「お姉様、どうかしましたか!?」
「見て、シーナ。これ、なんと届麺よ!」
「ええっと、届麺、ですか?」
「届麺というのはね、名店のラーメンの味が一式そのまま届くサービスなの。そうね、例えるなら常にチケットが即完売するような劇団の超人気俳優が家に来てくれるような、とても素晴らしい物なのよ!」
「そ、それは凄いですね」
鼻息荒く説明したからだろうか、シーナがごくりと固唾を呑む。
昨夜美味しいラーメンが食べたいなあとぼんやり考えていたら、まさか翌日にこんなとんでもない代物をお出しされるとは思わなかった。
前世でもグルメ番組で何度も特集され、いつも行列で数時間待ちは当たり前の名店の味を今世で味わうことが出来るとは。
これは、襟元を正して頂かなければならない。
シーナもラーメンの味は既に知っているため、互いに目を合わせて頷く。この名店の味は二人体制で調理に挑まねば。
恭しく冷凍庫から取り出し、調理の仕方をしっかり読む。オススメトッピングも記載してあったので冷蔵庫を確認すると、なんとそれらも用意されているではないか。流石神サポート、サービスに抜かりがない。
これにはリアーナも心の中で感謝の五体投地。実際にやるとシーナに困惑されそうなので、流石に自重しておいた。
「お姉様、お鍋はこちらでよろしいですか?」
「ええ、そうね。麺はたっぷりのお湯で茹でなければ、粉臭くて食べられたものではないもの。唐突に豚汁を大量生産した時に買っておいた寸胴鍋がこんな形で役に立つとは思わなかったわ」
前世ではカレーや豚汁を大量生産する時に使っていたものだ、今回も有り難く使わせてもらおう。備えあれば嬉しいな、である。
「鍋は麺用、スープと具材温め用の二つが必要なのね。シーナ、もう一つの鍋でもお湯を沸かして頂戴」
「分かりました」
「私はトッピングの用意に取り掛かるわ。お湯を沸かす準備を終えたら、ラーメン丼を三つ用意しておいて」
「三つですか?」
「ええ、冷蔵庫に三人前あるの。一つは神様へのお供え用、といった所かしら」
恐らくだが、自分の分もよろしくということだろうか。お供えするにしても神棚とかはないのだが、まあそこは神様が上手いことやってくれるのだろう。今は作ることに集中するとしよう。
今回作るラーメンは豚骨ラーメンだ。それも豚骨と言えば誰もがまず思い浮かべるであろう博多豚骨である。
青ネギを切り、湯がいた木耳も細切りにしておく。紅生姜は好みもあるが、あるとさっぱり食べられるため用意しておいた。にんにくは今回はやめておく。勿論あると美味しいけれど、暫く人に会えなくなるので。
鍋で温められたスープを注ぎ、麺は細麺ストレートのためすぐに茹で上がる。麺をそれぞれの器に入れると、温めておいた具材を乗せ、トッピングは好みなので別皿に。
あっという間に博多豚骨ラーメンの完成である。
「シーナ、すぐに食べるわよ! ラーメンは熱々を食べてこそラーメンなのだから!」
「はい、お姉様!」
迅速に天板の上にラーメンを置き、すぐに手を合わせる。空いているスペースに三つ目の丼と箸も置いたけれど、どうなるだろうか。
「頂きます!」
「頂きます」
いざ! と箸で細麺を持ち上げる。ストレート麺は一見スープが絡みにくそうに見えるが、実際は縮れ麺よりもスープの絡む量が多いとか。
お行儀悪くも一気に麺を啜ると、途端に豚骨の濃厚でまろやかな味わいが広がる。
言葉にならない美味しさだ。
更にもう一口啜る。トッピングとして乗せた青ネギの風味と、木耳のコリコリとした食感がアクセントになって更に美味しさを引き立たせる。
「この間のラーメンも美味しかったですけれど、こちらは更にその上をいきますね!」
「この間食べたものは袋ラーメンと言ってね、言わば即席ラーメンなの。そしてこれは豚骨ラーメンと言って、その道のプロであるラーメン職人が作る至高の一杯よ」
勿論、インスタントラーメンにはインスタントラーメンの美味しさがある。しかしラーメン屋で食べるラーメンとは別物なのだ。
しかもこの豚骨ラーメンは名店の味を取り寄せたもの。桁違いの美味しさだ。
「トッピングの青ネギと木耳を乗せると更に美味しく頂けるわよ。もし途中で味に飽きたら紅生姜を……」
居る。何かが居る。
空いた所に置いていたラーメンを、光の集合体が器用に箸で啜っていた。そしてその隣には、人ならざる美しさをした者が控えている。その背中には大きな羽根があり、その者が人ではないことを知らしめていた。
「――――」
「創世神様が『ラーメン、とても美味しいね』と申しております」
「えっ、創世神様、えっ!? ありがとう存じます、箸の使い方がとてもお上手ですね!?」
なんと、光の集合体は創世神だった。恐らく傍に控えているのは御付きか何かだろう。
まさかの存在の登場に、流石のリアーナも驚きのあまり謎の褒め言葉を発してしまった。
「――――」
「創世神様も『本当? 嬉しい、ありがとう』と申しております。リアーナ様達がラーメンを食べる姿を見て、いつか一緒に食べたいと一生懸命練習しておりましたので。この度、箸を使えるようになり満を持しての降臨と相成りました」
「まあ、光栄です」
「――――」
「え、『それは内緒にしてって言ったでしょ』と? すみません、毎日箸の練習に励まれる創世神様を見ておりましたのでつい」
なんだか微笑ましいやり取りをしている。ほのぼのと眺めていると、それに気づいたのか創世神が再び何かを言っている。
「創世神様が『ラーメンが伸びたら勿体ないから食べよう』と申しております」
「そうですね、続きは食べた後にでも。ああそうですわ、味に飽きたらこちらをお使い下さい。味変、という行為ですわ」
再びラーメンに向き合うと、横目にシーナが状況についていけないような顔でこちらを見ている。とりあえず今は食べなさい、と促すと慌ててラーメンに手をつけるのだった。
「ご馳走様でした」
「ご、ご馳走様でした」
「――――」
「創世神様も『とても美味しかった』と申しております」
「創世神様のお口に合ったようで何よりですわ」
口直しにと温かいコーン茶を出すと、そちらも気に入ったのか飲んでいた。御付きの分も出すと一緒に啜っている。
とんでもなく美形な存在が可愛い犬のイラストをプリントされたマグカップを持っている様は、なんだかミスマッチで不思議な気分になる。
「ところで、その、創世神様は何か御用があったのでは」
「創世神様が箸を使えるようになった姿を見せたいと意気込んでおりまして、食事がてらその成果をご覧頂こうかと。その後に話したいこともありましたし」
「なるほど、そうだったのですね」
神妙に頷いてみせるが、内心その姿を想像して可愛いなと和んでしまった。
創世神がそんなフランクに降臨しても良いのだろうか。いや、現に今そうなっているので良いのかもしれないが。
「あとですね、失礼かもしれないのですが、創世神様は何故光を纏った御姿を?」
「こちらですか。実は前からこうだった訳ではないのです。リアーナ様から熱心に信仰を頂くようになり、ある日突然光り輝くようになりまして」
「ある日突然光り輝くように」
「神界でも大騒ぎになりましてね。こういった前例は無いものですから。恐らく、リアーナ様が大きく関係しているのではないかと」
「私が?」
「ええ、貴女は特殊な生い立ちをしている。それが大きく関係していると思われます」
「言われてみれば、確かにそうですわね」
そう言われてしまえば納得するしかない。それはリアーナとこの世界の者との決定的な違いなのだから。
「お姉様、一体何の話をしているのですか?」
震えるような声にはっとする。そうだ、すっかり置いてきぼりになっていたがこの場にはシーナが居る。
彼女にはリアーナの特殊な生い立ちは明かしていなかった。この部屋で共に過ごしているが、手元にある原作も隠している。自分が異世界の物語の中の存在なのだと教えられたとして、きっと信じられないだろうから。
そして何より、この世界で生まれた彼女に原作の内容を教えるのはとても危険な行為に思えた。その揺り返しとして、どのような結果をもたらすか想像もつかない。であれば、最初から教えない方が良いと判断したのだ。
異世界に関するコンテンツに触れさせはしたものの、それが具体的にどういう物かは誤魔化していた。ここにある物は全て、彼女は魔法に関するものだと思っている。
「おっと、失言でしたね。非常に残念ですが、シーナ様はここまでとさせて頂きます」
パチン、と御付きが指を鳴らす。するとシーナの瞳が次第に虚ろになり、そのまま体勢を崩した。
「シーナ!?」
慌てて彼女を抱き起こす。いくら揺すってもシーナが目覚める気配は無かった。
「我々の話が終わるまで、彼女には眠って頂こうかと。それに伴い、記憶も少々書き換えさせて頂きました。目が覚める頃には我々の存在も忘れています」
「――――」
「創世神様も『とても残念だ』と申しております。しかしこれより先の話は、シーナ様は知らないほうがよろしいかと思いますので」
「シーナに聞かせられないなんて、何の話をするつもりなのです?」
シーナをベッドに寝かせ、続きを促す。
先程までの柔和な雰囲気が嘘のように、部屋の空気が変わっていくのが分かった。目の前の存在が人ならざるものであると、改めて思い知らされる。
御付きは唇に人さし指を当て、内緒話でもするかのような素振りで言う。
「貴女の知るこの世界と、同時に存在するもう二つの世界について」
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