リアーナ・ストラーダという少女
「……凄いわ、本当にあの本と同じ世界に転生したのね」
激しく揺れる車体のせいか、それとも硬い椅子のせいか、痛くなってきた腰の辺りを擦りながら殺風景な窓の外を眺める。
冬が近づいてきたからか、雑草も枯れ始めて茶色くなり始めていた。馬車の中も薄っすらと寒いのだ、外の御者は更に寒いだろう。
まだ頭の中は混乱気味だけれど、とにかく今は状況整理が大事だ。リアーナは前世で読んだ本の内容をもう一度記憶の中から引っ張り出した。
『地味令嬢は冷酷辺境伯に溺愛される〜何の取り柄もない私が旦那様に愛されるなんて〜』
リアーナがヒロインだった本のタイトルだ。女性向けらしく華美なイラストと豪奢なフォントの表紙だった。
物語は家族に冷遇されるリアーナが、妹の身代わりとして冷酷と噂されるイギオン辺境伯へと嫁入りする所から始まる。
ヒロインであるリアーナの家は子爵家で、辺境伯に嫁ぐには少し家格が低い気もするがそれには理由がある。元々家格の釣り合う家に婚約の打診をしていたが、軒並み断られたことが原因のようだ。
辺境伯は王都から離れており、流行に敏感な上位貴族の御令嬢達は流行から遅れてしまうことを嫌がったのだろう。それに綺羅びやかなあの世界を知っていながら、武骨で碌な娯楽も無い田舎の土地に嫁ぐなんてという思いもあったようだ。
断られた以上、王家といえど上位貴族にしつこく婚約の打診も出来ない。次に王家が目をつけたのが下位貴族だった。
下位貴族の中でも家格が釣り合い、跡継ぎが居て、婚約をしていない年の合う娘が二人以上居る家。その条件を満たしている家がストラーダ家だった。婚約していない娘が二人以上、というのは断りにくくなることを見越してだろう。その上今度は王命で以て婚約を命じ、そして今に繋がる訳だ。
リアーナはかなりのお人好しで、かつ押しに弱く自分の主張というものが殆ど無かった。良い子にしていれば、いつか家族に愛してもらえるかもしれないという希望を捨て去れなかったからだ。
しかしその願いも虚しく、両親は妹の我儘を優先してリアーナを差し出した。
弟は待望の嫡男として、妹は愛玩子として両親からは可愛がられていた。その皺寄せを押し付けるように、リアーナは搾取子として両親からは扱われていたようだ。
家族がリアーナを軽んじるからだろう、使用人達も彼女の世話はおざなりだったように感じる。
そうして妹の代わりに嫁いだリアーナだが、家族がばら撒いた悪評を信じ込んでいて夫になる男はリアーナを冷遇するのだ。主人がそうなのだから、使用人達も当然それに倣って彼女を冷遇する。
彼女はその過酷な境遇に耐え抜いて前向きに過ごし、やがてその姿を見た夫が噂は本当なのか疑いを持ち始める。その時になって調べた事でやっと噂は捏造されたものだと気づきリアーナに謝罪、リアーナは謝罪を受け入れて夫を許し、溺愛される毎日が始まる。
なんというか、コテコテなテンプレドアマットヒロインの溺愛モノって感じだ。ざまぁ展開もおまけ程度にあり、リアーナの家族の断罪シーンもあったような気がする。
あまりにもテンプレ過ぎて、そういうテンプレでも売ってるの? と聞きたくなるくらいありきたり。ありふれ過ぎて、他の溺愛モノと間違い探しレベルで見分けがつかないくらいだ。
とはいえ、それもあくまで物語だから成立すること。ツッコミ不在で突き進むからこそテンプレが成り立つ訳で。
しかしここは現実。物語の中では誰も触れなかったけれど、確実にそのツッコミ所満載な展開の違和感に誰かが気づくはずだ。
だが、現実でもリアーナの悪評は原作通り広まっている。リアーナは身持ちが悪く、令嬢としての務めを果たそうとしない不真面目な娘らしい。
その噂だって彼女が社交していれば嘘だと気づく者も居た可能性があるが、悪評をばら撒く両親が狡猾にもリアーナを一切社交に出さなかったため、誰もその噂が捏造されたものであると気づかなかった。
まあ、姿を現さない者の悪評なのに、信じる方もどうかと思うが。しかし身内が言っているのだし、信憑性がぐっと増すのも仕方ないことかもしれない。
両親も何故リアーナの評判をわざわざ下げたのか、それはまだ幼い弟のステファンのためだ。優秀なリアーナにステファンの補佐をさせるため、嫁の貰い手が見つからないようわざと噂を流していたらしい。完全に家で飼い殺すつもりだったようだ。
そしてトドメの身持ちの悪い噂。実際にリアーナと遊んだことのある者も居るようで、嫁入り前の娘としては致命的な悪評が付いてしまった。
身持ちの悪い噂は妹のキャロラインが関与している。というより、キャロラインが男遊びを覚え、その際にリアーナの名を騙ったことが原因だ。
キャロラインは政略的にメリットの大きい家へ嫁に出し、リアーナはステファンの補佐をさせることで両親は引退後も安心だと計画していたようだが、ここで王家からの婚約の通達である。王命のため、婚約は決定事項だ。
本来ならキャロラインを嫁がせるつもりだったが、お得意の我儘で婚約を嫌がったためやむを得ずリアーナを嫁がせることにしたようだ。
世間から見れば悪評の付いた姉を厄介払いしたように見えるだろう。しかし実際はこんな内情である。
「……それにしても、両親はステファンの補佐をどうするつもりなのかしら。キャロラインは嫁入りさせる算段だったから領地経営について何も学んでないはずだし」
とはいえ、ステファンはまだ幼い。今からしっかり勉強させれば爵位を引き継ぐ頃にはどうにかなるのではないだろうか。後は家令にサポートしてもらうなり、優秀な者を補佐として迎えるなりいくらでも方法はある。
もう嫁ぐ身。実家のことは親に任せれば良い。あんな毒親のことなどもう気にする必要もない。
「なのに家族の心配をしてしまうのは、元のリアーナの人格を引きずっているからでしょうね」
未だお人好しな部分に苦笑いしながら独り言つ。それを聞く者は誰も居ない。
とはいえ今の自分は、本来のリアーナ・ストラーダと前世の田中恵子の性格が混ざってしまっている。比率的に、恐らく前世の方が色濃く出ているように感じた。感性も前世のものに近くなっている。
前世と言えど別人格だ、今の状況は生まれ変わりより憑依に近いのではないだろうか。であれば、元のリアーナの人格は田中恵子の人格に上書きされてしまったのだろうか。
それとも完全に混ざってしまっている? もしくは田中恵子の人格がこの身体を乗っ取っている?
分からない、どれも予想でしかないから。
「そういえば、ステータスが解放されたって出てたわよね」
一度確認してみるのも良いだろう。この疑問も解決するかもしれない。
目を閉じ、頭の中でステータスと念じてみる。しかしそういった画面が脳裏に表示されることはなかった。
「……まさか、口にしろというの? あんな厨二病じみたものを? 魔法の概念のない世界で?」
信じられない、と思ったが相変わらずステータスは表示されない。前世の享年三十四年、こちらでは十八年、合わせて五十四年。まさかこんな小っ恥ずかしいことを口にする日が来るとは。
「…………ス、ステータス、オープン」
せめてもの抵抗で出来るだけ小声で言うと、目の前にゲームでよく見るようなあのステータスウィンドウが表示された。己の厨二心が少しだけ喜んでしまったことに悔しさを感じながらも、自分自身のステータスを確認する。
【リアーナ・ストラーダ(前世:田中恵子)】
年齢:18
性別:女性
職業:子爵令嬢
スキル:ホームLv.1
称号:異世界転生者
所持金:200000ギルラ
持ち物:旅行鞄、質素なドレス
「うーん、人格に関しての記載は無いわねえ」
他にも気になる点はあるが、一番知りたかった情報が無いことにがっかりする。簡素な記載に、ふと気になる項目に触れると注釈のあったソシャゲを思い出し名前の項目に触れてみる。
すると、別ウィンドウでリアーナに関する記載が表示された。
「…………そう。リアーナ、貴女は自分を変えたかったのね」
事細かに記載されたリアーナの情報を読み切り、天を仰ぐ。物語の中ですら書かれていなかった彼女の本心がそこには書かれていた。
本当は、こんな流されるだけの自分が嫌だったこと。自分の意思を持って行動したかったこと。ヒロインではなく主人公になりたかったこと。
そして文末には、リアーナという人格は自ら望んで田中恵子の人格に混ざり、もう本来のリアーナ・ストラーダは居ないことが書かれていた。
「貴女は自分の意思で変わることを望んだのね。分かったわ、リアーナ。こんな運命を変えましょう、私達二人で」
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