第2話 飲みたい気分のお客さま
竹林さんとたばこの煙から解放され、カフェに帰り着いた羽菜は、カウンタの内側に入らず、カウンタ席の清明お祖父ちゃんの隣に倒れ込む様に腰を降ろして、盛大な溜め息を吐いてうなだれた。お客である陰陽師たちがいないからできることだった。
「お祖父ちゃん、ただいま〜疲れた〜」
体力は全く何とも無いのに、精神が疲労している。竹林さんに会うと、いつも必ずこうなるのだ。何なのだ、あの人は人の精気でも吸い取っているのだろうか。
この定例面談は月に1度、第1週目の火曜日、カフェを開ける前の10時から30分ほど行われる。
まぁ、短時間とはいえ、始終仏頂面を見せられて苦言を呈されては参ろうともいうもの。このカフェを現状維持するための試練だと思えば、きっと何とか乗り切れる。今のところ発展は考えていない。これ以上経費が掛かることはさすがに難しい。
いつもはカフェ開店ぎりぎりまで寝ている清明お祖父ちゃんだが、竹林さんとの面談の日は少し早く起きて、羽菜が帰るのを待っていてくれるのだ。疲労困憊の羽菜を労ってくれるためである。
「はいはい、お疲れさん。今日も頑張ったな」
清明お祖父ちゃんが穏やかに言い、羽菜の頭をぽんぽんと撫でてくれる。羽菜の心が少し安らいだ。
「ありがとう、清明お祖父ちゃん。さ、ナポリタン作ろか」
「おう、頼むわ」
どうにか力を取り戻した羽菜は立ち上がり、カウンタの中へと入っていった。
お昼過ぎ、からん、とドアベルが鳴る。陰陽師の誰かがランチでも食べにきたのだろうかとドアを見ると、立っていたのは初めて見る若い女性だった。
「……あれ?」
女性は呆気に取られている様な表情で、目を瞬かせる。この様子だと陰陽師では無く、安倍晴明以外の陰陽師の血を引いた一般の人だろう。
「いらっしゃいませ」
羽菜は女性に安心して欲しくて、ゆったりと微笑んだ。だが女性は警戒する様に腰を退かせた。
「ここ、何? 私、家に帰ってる途中やったはずなんやけど」
そのときに心に大きな負荷が掛かって、このカフェに呼ばれたのだろう。羽菜はカウンタ内から出て、女性に歩み寄った。
「こんにちは。よろしければぜひゆっくりしていってください」
「いや、でも」
女性は怪訝な表情になり、カフェを出て行こうとする。が。
「まぁええやん、入っといで。別に取って食やせんから」
清明お祖父ちゃんがのんびりというと、女性は目を見開いて息を飲んだ。若かりし姿の清明お祖父ちゃんは、はっとするほどの美貌なのだ。羽菜たちは見慣れてしまっているが、初めて見る人が驚くのも無理は無いかも知れない。
「あの、ここ、普通のカフェですので。よろしければ雨宿りしていってください。あったかいコーヒーとかありますよ。あ、今日みたいな蒸し暑いお天気やったら、冷たい方がええですかね?」
羽菜がにっこりと笑うと、女性は毒気が抜かれた様にぽかんとしてしまう。そして自嘲気味な笑みを浮かべた。
「はは……、今の私は、優しくされるんに弱いんやわ。ほな、ちょっとお邪魔してこか」
「はい! こちらにどうぞ!」
羽菜は嬉しくなって、はしゃいだ声を上げる。女性をカウンタ席の真ん中あたりに案内し、冷たいおしぼりとお冷やを出した。
椅子に掛けた女性は、カウンタ席に立て掛けてあるメニューを取る。そうメニューは多く無いし、普段は常連の陰陽師ばかり、写真なんて分かりやすいものの掲示は無い。なのでA5サイズ1枚で事足りた。
「……さすがにお酒は無いか」
「お酒、ですか?」
羽菜が首を傾げると、女性は苦笑した。
「何や、今は飲まんとやっとれん気分やねん。でもここ純喫茶やねんな」
「お酒ですか。どんなのがお好みですか?」
「飲みたいねんけど、あんまお酒に強く無いねん。お酒の味も得意や無くて。せやからうっすいロングカクテルとかかな。酎ハイとか」
「ほな、ちょっとお待ちくださいね」
羽菜はカウンタ内にある木製のドアを開ける。上の住居スペースに繋がっているドアだ。階段を上がり、まっすぐにキッチンに向かうと、上半分がガラス窓の食器棚、下半分が引き戸の収納になっている木製の棚の下半分を開けた。
そこに入れてあるのはお酒である。羽菜はお酒が好きで、多種多様なお酒を取り揃えていた。開栓してある何本かの日本酒は冷蔵庫に入れている。カフェを閉めたあとに清明お祖父ちゃんと晩酌するのが小さな楽しみになっている。
ロングカクテルや酎ハイなら、ウォッカのスミノとジンのビフィーター、麦焼酎のいいちこあたりが妥当だろうか。
羽菜はそれらを抱えてカフェに降りる。3本の瓶と紙パックをカウンタに置くと、女性が目を丸くした。清明お祖父ちゃんは面白そうににやにやしている。
「これが飲みたい、とか、ありますか? スミノフをオレンジジュースで割ったらスクリュードライバー、ジンジャーエールで割ったらモスコミュールもどき。ライムが無いので。コーラで割るのもありですよ。ビフィーターをジンジャーエールで割ってレモンを入れたらジンバックですね。麦焼酎で酎ハイもできますよ。レモンとカルピスができます」
女性はお酒に強く無いと言っていて、だからあまり詳しく無いからか、羽菜の説明を聞きながら目を白黒させている。羽菜はやりすぎたかな、と小さく反省する。
「ベースのお酒や無くて、お好きな割り材、ソフトドリンクでお選びになるのがええかもですね。オレンジジュースとジンジャーエールとコーラ、カルピスがありますよ」
「あ、ほな、カルピスがええわ。牛乳とか乳製品が好きやねん」
「分かりました。ほな、カルピス酎ハイにしましょうか。お待ちくださいね」
このカフェは普段お酒を出さないので、カクテルグラスなんて洒落たものはもちろん無い。羽菜は普段アイスコーヒーなどを入れているグラスを出した。
氷をたっぷりと詰め、いいちことカルピスの原液を入れて、炭酸水を注いで、マドラー代わりの菜箸でステアした。
このカフェにお酒を置いていないのは、単純に必要が無いからだ。ここに来る陰陽師はお仕事中のことが多く、さすがに飲酒はしないのである。
「はい、酎ハイカルピス、お待たせしました」
コルク製のコースターを置き、そこにグラスを置いた。
「何や、ごめんな、無理言うて」
「いえいえ、私物で申し訳ありません。チェイサーのお水はいりますか?」
「とりあえずは無しで。ありがとう、いただきます」
女性は言いグラスを掴む様に持ち上げたら、ぐいーっとグラス半分ほどを飲んだ。
羽菜は慌ててしまう。お酒にそう強く無い女性が、そんな一気に飲んでしまって大丈夫なのか。お酒の味があまり好きでは無いとも言っていたので、いいちこは少なめにしてはあるのだが。
「うん! 美味しい!」
女性は豪快に言って、グラスをコースターに置いた。
大丈夫そうだ。顔が赤くなったりもしていない。羽菜は胸を撫で下ろした。
「もののついでや、ちょっと聞いてもろてええ?」
「はい、もちろん」
羽菜は力強く頷いた。




