第9話 羽菜の幸せ
里子おばちゃんがご機嫌で帰り、もう時間的にもお客は来ないだろうと、羽菜はマグカップに自分と清明お祖父ちゃんの分のコーヒーを淹れ、ザ・マスターのクッキーボックスを開けた。
「よっしゃ」
美味を前に、清明お祖父ちゃんは大喜びである。
「大事に食べるんやで。1回で食べ尽くすとか無しやからね」
「分かっとるって」
清明お祖父ちゃんはさっそくバタークッキーに手を伸ばし、「うまぁ」とその美味しさをじっくり堪能して、端正な顔を綻ばしている。
そんな無邪気な笑顔に対して、羽菜は憂鬱げな表情を浮かべてしまう。
「清明お祖父ちゃん、私、余計なことしてしもたんかなぁ」
「ん?」
清明お祖父ちゃんが口をもぐもぐさせながら怪訝な表情を浮かべる。
「レトルトとかのままの方が良かったんかなぁ。レトルトになってコストが下がって、大阪府の当時の担当さん喜んではったって、里子おばちゃんが言うてたから」
清明お祖父ちゃんがごくりとクッキーを飲みくだし、呆れた様に口を開く。
「何言うとんねん、わしは前のれとるとより、今の羽菜の手作りナポリタンの方が好きや。カレーかてピラフかて、他の孫らもそう思っとるはずや。せやから里子んときより孫らが来る頻度が上がっとる。羽菜はちゃんと結果を出しとるや無いか。もちろん里子のやり方が悪かったかて言われたらそうやあれへん。あれはあれで、苦手ながらも精一杯やっとった。人が変わったらやり方かて変わる。当たり前のことや。わしは今の羽菜のやり方が、今のこの店でのええ塩梅やと思うで。それに里子に言うてたやろ、竹林に負けん様にしたいて。その心意気やで」
清明お祖父ちゃんのこの言葉は、羽菜の心を救ってくれる様だった。
竹林さんにいろいろ言われても、羽菜のやり方を貫き通してきた。大阪府の税金だと言われると、胸が痛くなるときもある。
それでもこのカフェの主役は清明お祖父ちゃん、そして陰陽師たちだ。来てくれる人たちに満足して欲しい、憩って欲しい、穏やかでいて欲しい、その一心でやってきた。それが間違ってはいなかったのだと、そう言ってくれているのだ。
そうだ、蘆屋さんが来たときにも、同じ様なことを三津谷さんたちが言ってくれていたでは無いか。それを思い出した。羽菜の心が晴れやかになる。
「ありがとう、清明お祖父ちゃん」
羽菜が言うと、清明お祖父ちゃんは苦笑する。
「やっぱり、羽菜は自己肯定感が低めなんかな。確かに羽菜は陰陽師としての力は小さかった。けどな、羽菜のここに来るやつらへのもてなしの心とか気遣いとか、それは羽菜の人間性や。それってなかなか身につかん大事なもんやろ。羽菜は頭を使わんでも、それが自然にできてる。それがここに来るやつらの心を癒してる。わしの孫や無い血筋の人間相手でもそうや。問題とか悩みを抱えてしんどい思いしてやって、そんなやつらをどうにかしたりたいって考えてるやろ。それは羽菜のめっちゃええとこやで。自信持ちぃ」
「うん」
羽菜はやっと笑顔になることができた。羽菜はまだ若くて未熟で、だからこそ伸びしろだってあると思いたい。
これからもこのカフェのために、清明お祖父ちゃんのために、陰陽師たちのために、その血を継いだ人たちのために。できることはしていきたいなと思うのだ。
「ほら、羽菜もクッキー食い。ほんま旨いで、これ」
「うん」
羽菜は綺麗に並べられているクッキーを眺め、お花の様なガレットを取り上げる。それをひとくちで口に入れた。さくっと噛むと、程よいバランスの上質なバターと小麦がふわりと広がる。幸せの味だった。羽菜は表情を綻ばす。
「清明お祖父ちゃん、おいしいね」
「おう」
羽菜が微笑むと、清明お祖父ちゃんは満足げに頷いた。
数日が経ち、季節はすっかりと冬になっていた。冷たい風が身も心も冷やしていく。だがこのカフェは温かだ。エアコンのおかげもあるのだが、店内にいる人が皆笑顔だからである。
カウンタ席の最奥に清明お祖父ちゃん、ひとつ空けて八木さん、またひとつ空けて三津谷さんと渡辺さん。
皆、お昼ごはんの真っ最中だった。八木さんはビーフカレー、三津谷さんと渡辺さんはナポリタン。そして美味しそうに食べる孫たちに触発されたのか清明お祖父ちゃんも食べたがり、今、羽菜は再びナポリタン作りの真っ最中である。
フライパンにケチャップと赤ワインを入れると、じゅわぁと甘くスパイシーな香りが立ち上がる。この瞬間が好きだ。美味しいものができるという、確信の様なものが沸き上がる。
しっかりと煮詰まったら茹だったパスタを入れて、しっかりと炒め合わせたら、羽菜特製ナポリタンの完成だ。
清明お祖父ちゃん専用の大振りのお椀に盛って、お箸を添えた。
「はい、清明お祖父ちゃん、お待たせ」
「ん、ありがとさん。いただきます」
さっそく清明お祖父ちゃんが食べ始めると。
「なぁ、清明祖父ちゃん、毎日毎食ナポリタンで、飽きひんの?」
渡辺さんの問い掛けに、清明お祖父ちゃんこそが「何で?」ときょとんとする。
「旨いやん、ナポリタン。何年食っても飽きひんわ」
「いや、確かにおハナのナポリタンは美味しいけどな?」
三津谷さんが笑いながら言う。
「ゆうやけも咲良も、ナポリタンばっかり食うとるや無いか」
「あたしらはここでしかナポリタン食べてへんもん。何か清明祖父ちゃんにつられてもてな」
「そうそう」
「ま、俺は結局いっつもカレーやけど。羽菜ちゃん、今日も美味しいで」
「ありがとうございます」
さらりと話に混じってきた八木さんに褒められ、羽菜は嬉しくなって微笑む。
そんな三津谷さんたちの前には、シンプルな白い小鉢も置かれている。その中は全てが空になっていた。
羽菜がポケットマネーで用意した、大阪の旬の作り置きお惣菜だった。海老芋の煮っころがしである。
海老芋はなにわ伝統野菜のひとつで、富田林市などの河内地方で主に生産、収穫されている。時期は10月下旬から12月だ。あべのベルタの関西スーパーで見付けて「これや!」と飛び付いてしまった。
里芋の一種であり、里芋をずんぐりと大きくした様な見た目で、味もそれに近いものである。ほっくりねっとりとした食感で、お芋ならではのしっとりとした甘みが蓄えられている。
「ごはんができるまで、良かったらどうぞ」
そう言い添えて出したら、三津谷さんたちは大いに喜んでくれた。
「海老芋とか、高級品やん。また新しいサービスやな、おハナ」
「うん、嬉しい。あたし里芋とかその辺好きやねん」
「俺ひとり暮らしやから、家庭的なん沁みるわ」
そんなことを言ってくれて、羽菜は身銭を切ってでも出して良かったと嬉しくなった。毎日はさすがに難しいものの、これからもいろいろな旬を使っていきたい、そう思わせるのだった。
こんな他愛の無いお話をしながら、皆が寛いでくれている。ここでならこんなお話から専門的なお話までできるから、お仕事のお話を周りに聞かれやしないかと警戒する必要も無い。
幸せやなぁ、羽菜はそんなことをしみじみと思う。これからもこのカフェを素敵な空間にしたい。清明お祖父ちゃんへの相談が無くても、三津谷さんたちの様に、気軽に来てくれる様に。
もしまた蘆屋さんが来たら、そのときこそはもっとしっかり立っていられる様に。
羽菜は暖かなものに包まれて、ゆったりと目尻を下げるのだった。




