第8話 カフェごはんの歴史
羽菜は里子おばちゃんの前に、おしぼりとお冷やしか置かれていないことに気付き、慌てる。何ということだ。
「里子おばちゃんごめんなさい、お茶も出さんで。何にしはります?」
「ああもう、そんな構わんでええんよ〜。でも何かもらおか。ミルクティいける?」
「はい。お待ちくださいね」
羽菜は冷蔵庫から牛乳を出し、小さな計量カップに入れておく。続けて電気ケトルでお湯を沸かす。
ティポットを出してアールグレイの茶葉を入れると。
「あ、ティパックや無いんや」
「あ、はい。あれも美味しくて楽やしで助かるんですけど、せっかくやしと思って」
「ええやん。わたしは面倒やからティパックにしたけど、本格的なんやったら嬉しいわな」
里子おばちゃんがもし気を悪くしてしまったら、なんて思ったが、全然気にした様子は無かった。羽菜は安堵する。
「どっちかっちゅうたら、私の自己満足みたいなもんですけどね」
お湯が沸いたので、ティポットに注ぐ。キッチンタイマーを3分に掛けて、抽出と蒸らしを行う。その間にティカップを用意した。
タイマーが鳴ったのでティカップに紅茶を注ぎ、計量カップに出しておいた牛乳を入れる。透明感を持った琥珀色がじわりと柔らかなベージュに移り変わった。それを軽く混ぜてソーサーに乗せて。
「はい、ミルクティお待たせしました。それとこれ、おもたせで失礼ですが」
ティカップのソーサーをお皿代わりに、いただいたザ・マスターのクッキーをひとつずつ乗せた。全部で4種類。丸い形のバタークッキーにお花の様な形のガレット、白いボールの様なブールドネージュと長方形のバターアーモンドサブレである。
「ありがとう。クッキーまでええの?」
「はい。こちらこそありがとうございます」
「あ! わしの取り分が減るや無いか!」
「清明お祖父ちゃん、意地汚い」
羽菜はつい白い目を向けてしまう。
「清明さんはほんま食い意地張っとんなぁ。ほな、いただきます」
牛乳が冷ためだったので、ミルクティは熱々では無い。だが里子おばちゃんは癖なのか、ふぅふぅと息を吹き掛けて、すすっと口を付けた。
「ん、おいし」
里子おばちゃんの顔が和らぐ。羽菜の心もほっこりとした。
「やっぱりちゃんと入れた紅茶は美味しいわ。ほら、わたしって料理苦手やし嫌いやしずぼらやから、ごはんもレトルトにしてたんやけど、紅茶がこれってことは、ごはんも手作りに戻したん?」
「戻したって、元からレトルトとかや無かったんですか?」
羽菜はてっきりそうだと思っていたのだが。竹林さんにも毎月コストのことはうるさく言われているのだし。
「ちゃうちゃう。わたしの前の人は、ちゃんと作ってはった。いやぁさ、わたしも誤算やったんよ。陰陽師としての務めは果たせんけど、このカフェ継ぐことになって。でもわたし、実家暮らしで家のこととかろくにやって来んかったから、自分が掃除以外の家事が嫌いって気付かんかったんやわ」
里子おばちゃんが前任者からここを引き継ぐとき、フードの作り方を教えてもらったのだが、それが面倒で面倒で仕方が無かったらしい。このカフェは軽食ばかりだからそう大きな手間では無い。それでもそう思うのだから、里子おばちゃんのお料理嫌いは筋金入りなのだろう。
「それで前任者と話し合って、レトルトとか冷食とかを使うことになったんよ。当時はまだ今ほど美味しくなかったけど、まぁただで出してるもんやし、ええかなって」
「そうやったんですか。ずーっとレトルトとかインスタントとかやと思ってました」
「レトルトとかがろくに無い時代かてあったし、いや、私が継いだときはレトルトの種類もいろいろあったけどな? でも前は手作りやった。けどレトルト巧く使ったらコストも下がったし、そんときの大阪府の担当者には喜ばれたわ。そりゃあ向こうにしてみたら税金なわけやしな」
「私、手作りにしてから担当の竹林さんにめっちゃ嫌味とか言われてます……」
羽菜が肩を落とすと、里子おばちゃんは「あはは!」と笑う。
「竹林くんは神経質やからなぁ、真面目とも言えるわな。わたしも言われたで、もっとコスト下がらんのかって」
「嘘ぉ……」
羽菜がここを継いでレトルトなどを続けていたとき、仕入れていたものは質より量だった。味は美味しいが具が少ないパスタソースとかカレーとか。それをさらに下げろとは。竹林さんは物価の相場も知らないのだろうか、と思わず思ってしまう。
「ほんまほんま。前の手作りしとったときは、担当者は別の人やったし、竹林くんはわたしのレトルト時代しか知らんからやな。ま、わたしは無視しとったけどな。これ以上は無理や、そこまで言うんやったらあんたがやりぃって」
「竹林さんは、ここに入ることもできひんでしょ?」
竹林さんが陰陽師の血を引いているなんて話は、聞いたことが無かった。そもそも存在や怪奇現象を信じていないのだし。継いでいるのなら、無意識に「ある」と知っているものなのだ。血のなせる技なのだろう。
「うん。無茶振りやて分かってたから言うたんやけどな。むっとしとったわ。おかしかったぁ」
「私も、竹林さんに負けんぐらい、強くならんと」
羽菜はどうしても、まだ竹林さんに腰が引けているところがある。苦手意識もあるのかも知れない。だがもっとどんと構えていきたい。里子おばちゃんの様に。
「わはは! そうそう、その意気や」
里子おばちゃんはまた豪快に笑った。




