第7話 珍しいお客さま
蘆屋さんの襲撃から数日後の夕方、カフェに珍しいお客さまが来た。
「あ、里子おばちゃん」
「羽菜ちゃん、清明さん、お久しぶり〜」
このカフェ運営の前任者だった里子おばちゃんだった。羽菜が驚いて目を丸くすると、里子おばちゃんは笑顔でひらひらと右手を振る。ふっくらとした身体に品の良いネイビーのロングワンピース、ベージュのカーディガンをまとっていた。お買い物でもした来たのか、左腕にショッパーが掛かっている。
「何や里子、珍しいやん、えらい久しぶりやなぁ」
里子おばちゃんは勝手知ったるで、清明お祖父ちゃんからひとつ席が離れたカウンタ席に掛ける。羽菜は温かいおしぼりとお冷やを出した。
「お久しゅう。今日はハルカスに行って来たんよ。ほら、うちって家が東三国やからさ、デパートやったら梅田で事足りるんやけどね」
東三国駅は大阪メトロ御堂筋線沿線の駅である。ビジネス街と住宅街が混在している街だ。また、新幹線の発着駅である新大阪駅や、JR京都線の東淀川駅まで、気軽に歩いて行ける距離ということからか、単身赴任してきた人が多く住まうという特徴がある。ジェネリック医薬品の製造で名を馳せている沢井製薬の本社もあるのだ。
梅田にも近く、メトロに乗ってしまえば10分も掛からない。梅田には阪急百貨店に阪神百貨店、大丸と、デパートが3軒もあるのだ。それぞれに特徴があり、しのぎを削っていたりいなかったり。
里子おばちゃんは結婚してから、東三国のお家から、天王寺のこのカフェまで通っていた。時間にして30分近く掛かるが、朝のラッシュ時と重なっていなかったので、乗り換えが無いこともあって楽に通勤できていたそうだ。御堂筋線の通勤通学ラッシュはメトロ1なのである。ちなみに交通費もお給料と同様大阪府から出ていた。
「でも、ハルカスでしか売ってへんのがあって」
「え? そんなんありましたっけ」
「ほら、マスターのハルカス限定クッキー缶」
「ああ!」
人気の洋菓子店バターバトラーのブランドのひとつ、ザ・マスター。店舗があるのは神奈川県の横浜と天王寺の2店舗で、天王寺はあべのハルカスの近鉄百貨店に入っていた。
あべのハルカスは、近年までは日本でいちばん高いビルだった。東京の麻布台ヒルズにそのお株を奪われたが、今でも西日本ではいちばんの高さを誇っている。
地下2階からは近鉄百貨店が入っており、中層階には景色の良いレストランや美術館、高層階にはホテルなどがあり、もちろん最上階には人気の展望台も。テナントビルの一面もあって、企業や学校、クリニックなどが入っている。
ザ・マスターが入っているのは地下1階の正面出入り口そばにあるスペースで、ハルカス限定のクッキーボックスは大々的にポップを飾って売り出している。羽菜もそれに惹かれて、買って食べたことがあるが、上質なバターがふんだんに使われていて、風味豊かでとても美味しかった。一緒に食べた清明お祖父ちゃんも感服していた。
羽菜にとっては、12センチ四方ほどのコンパクトな缶で3,000円近くする贅沢品である。なのでそうほいほいとは買えなかった。しかしその価値はある美味しさだと思っている。
里子おばちゃんはショッパーからクッキーボックスをひとつ出すと「はい」と羽菜に差し出した。
「いっこあげる。食べたことあるやろうけど、お土産や」
これには羽菜も「え!」と困惑してしまう。
「そんなええの、いただけませんよ。ご家族とかで食べてください」
恐縮して慌てて辞退するが、里子おばちゃんは「あっはっは」と笑い飛ばす。
「ええやんええやん、ここで頑張ってるご褒美やと思ったらええねん」
そうしてぐいぐいと押し付けられてしまう。羽菜は困って清明お祖父ちゃんに助けを求めようとしたが。
「ええやん羽菜、もらっとき。わしも食いたいわ」
明らかに含みのある笑顔でそう言われてしまう。
「清明お祖父ちゃんはそれが本音やろが!」
羽菜が弱って叫ぶと、里子おばちゃんがまた「あっはっは!」と大声を上げた。
「ほらほら、清明さんもこう言うてはるんやから、もらっとき。清明さん、ちゃんと羽菜ちゃんと仲良う食べるんやで?」
「分かっとるって」
清明お祖父ちゃんもおかしそうに笑っている。こうなったらもう、羽菜が引くまで押し問答が続くだけだ。里子おばちゃんは大阪のおばちゃんらしく、押しが強いのだ。こうなったら絶対に譲らない。羽菜は観念した。
「ありがとうございます。ありがたくいただきます」
そう言って、謹んで受け取った。
「うんうん」
里子おばちゃんは満足げに頷いている。清明お祖父ちゃんは油断をすると缶を奪いかねない顔をしている。
「あかんで、清明お祖父ちゃん、私が開けたときに、いっこ、うーん、2個ずつ!」
「んな殺生なぁ〜」
羽菜のせりふに清明お祖父ちゃんが嘆きうなだれる。そんなふたりのやり取りを見てか、里子おばちゃんがまた「あはははは」と笑う。
「羽菜ちゃんと清明さん、巧いことやってるんやな。ほんまに良かったわ」
里子おばちゃんが安心した様に微笑んだ。
「ほら、清明さんて癖あるやん? やんちゃっちゅうんかな。わたしが羽菜ちゃんにここ引き継ぐころには、大分丸くなってたと思うけど」
すると清明お祖父ちゃんは心外だったのか、不機嫌そうに顔をしかめた。
「何言うてるんや。わしはいつでも紳士やろ。「じぇんとれめん」っちゅうんか?」
「言えてへんがな。まぁ昔はちょっとしたことで不機嫌になる人やったから、ほんまに面倒やった。今はそこまでや無いと思うけど」
「はい。お祖父ちゃんどっきりをせんかったら不機嫌になりますけど、それ以外は全然」
「何や、あれまだやっとるんかいな。ほんま飽きひんなー」
「うるさいわ」
お祖父ちゃんはぶすっと頬を膨らませた。清明お祖父ちゃんも、里子おばちゃんに掛かれば形無しなのだった。




