第4話 嵐の攻防
清明お祖父ちゃんが目線をやる先、鬼門と呼ばれる方向に、黒いもやの様なものがじわりと現れる。それは徐々に形を取っていく。するとやがて浮かんだのは、男性の顔だった。まるで生首の様に浮かび上がる。黒い烏帽子を被り、長い黒髪が乱れている。暴風の影響だろうか。少しいかついその顔は不敵な笑みを浮かべ、まるで勝ち誇っている様に見えた。
「ふはははは! 結界を突破してやったぞ! やはりお前ごとき大したことは無いな!」
男性は自信たっぷりにそう言い放つ。清明お祖父ちゃんはさっき、道満と呼んでいなかったか?
「……三津谷さん、あの人、道満て、もしかして」
「せや、蘆屋道満や」
清明お祖父ちゃんと同じ時代を生き、弟子でありライバルだった、大きな力を持つ陰陽師のひとりだ。
当時の播磨国岸村、現在の兵庫県加古川市生まれとされ、民間陰陽師集団出身とも伝えられている。生没年不詳ともされているのだが、生誕地とされている正岸寺さんの蘆屋さんの位牌に天徳2年、958年生誕との記述があるそうだ。
のちに都に上がり、寛永6年である1009年、藤原道長らが呪詛されたことに、蘆屋さんも関わっていたことが知られている。その道長は当時の清明お祖父ちゃんを重用していて、清明お祖父ちゃんは道長らを守るために蘆屋さんに対峙した。それが清明お祖父ちゃんと蘆屋さんがライバル同士だと称される所以である。
現在は清明お祖父ちゃんを主人公とする物語が多いからか、それらの中では蘆屋さんは悪と描かれる傾向がある様に思える。が、地元播磨国ではその地に住まう人々のために尽力したと聞く。
そんな蘆屋さんも死してなお、この世にあり続けていたのか。
「結界をちょいと緩めただけや」
清明お祖父ちゃんは冷静に言うが、蘆屋さんは聞いているのかいないのか、また「わはははは!」と高笑いを上げる。
「今度こそ! 我の方が上だということを証明してみせる! うなれ! うなれ! 急急如律令!」
何とも雑な文言である。それでも効いているのか、客席にはまた風が巻いた。
清明お祖父ちゃんの手は印が組まれたままである。
「其、暖かなり、分け入り、遥かなり、穏やかなり、急急如律令」
清明お祖父ちゃんの文言で、風はまた和らいだ。そうか、今、清明お祖父ちゃんは蘆屋さんの能力を測っている。調伏するにしてもそれは大事で、相手の力を見誤って早まってしまうと、取り返しのつかないことになる。それは神霊である清明お祖父ちゃんとて同じこと。羽菜は混乱して、さっきはそんな基本を忘れてしまっていた。
羽菜は清明お祖父ちゃんが陰陽師の頂点だと信じている。だが蘆屋さんが清明お祖父ちゃんに挑むために力を磨いて来たのなら、逆転している可能性は無きにしも非ずである。蘆屋さんだって相当な実力者なのだから。
そもそも蘆屋さんはどうしてこんなことをしているのか。清明お祖父ちゃんは分かっている風だったが。さっきの蘆屋さんのせりふからすると、清明お祖父ちゃんより力が強いということを証明したがっている様だが。
「ははははは! 効かぬ! 効かぬぞ! 荒らせ! 荒らせ! 急急如律令!」
また蘆屋さんの雑な文言で、ごうと風が復活する。三津谷さんたちは清明お祖父ちゃんたちの攻防を、緊張感を放って見守っている。何せ力が強大なこのふたりの戦いだ、いたずらに手を出したらただでは済まない。力が及ばねば怪我をしかねない。下手をしたら生命すら落とす。そんな常識は、羽菜などより三津谷さんたちの方が身に沁みて分かっている。
この3人の中では、三津谷さんの力がいちばん強い。それでも清明お祖父ちゃんや、きっと蘆屋さんにも敵わないのだ。
「……其、図られ、沈まし、ゆるりと流れ行きて、急急如律令」
清明お祖父ちゃんの対抗で、また風は緩む。だが。
「わはははは! こんなものか、清明! 吹き荒べ! 急急如律令!」
また蘆屋さんの文言で、風は起こる。
羽菜は陰陽師同士の戦いを見るのが初めてだった。陰陽師としてのお役目が果たせない落ちこぼれの羽菜が、現場に赴くことは無い。危険なだけだからだ。分かっているから羽菜も行こうなんて思わない。
あやかし相手にも、こんな有り様になるのだろうか。あやかしも相手に対して呪いだったり取り憑いたりとしようとする。羽菜は座学でしか知らないから、その攻防がどんなものになるのか。
修行をしているとき、一緒に修行をしていた力のある人たちは、先輩陰陽師に付いて、調伏の実習などをしていた。だがそれには羽菜は連れて行ってもらえなかった。やはり危険だからだ。
この術戦は、互いの力が拮抗している、もしくは清明お祖父ちゃんが全力では無いから、今のところはイーブンで成り立っている。恐らく蘆屋さんは全力だ。感情が昂ぶっているから文言が粗雑だが、清明お祖父ちゃんに本気で向き合っている。
「ん、もう分かったわ」
清明お祖父ちゃんは言うと、立ち上がる。手を組み、人差し指を立て、ふっと息を吹き掛けると。
「其、静かなり、これは凪なり、落としませ、急急如律令!」
これまでとは打って変わって強い文言。その途端、カフェの客席に吹き荒んでいた豪風はぴたりと止んだ。
「ふん、やるな清明。ならこれではどうだ。止まぬ、嵐の渦中に、荒れ狂う、急急如律令!」
不敵な笑みを保ったまま、蘆屋さんが文言を言い放った。だが。
客席には暴風どころか、そよ風すら吹かなかった。
「……どういうことだ!」
蘆屋さんが顔色を変える。瞬時に目が血走った。
「荒れ狂え! 荒れろ! 急急如律令!」
乱暴に文言を投げるが、やはり何も起こらない。
「……清明おじいの勝ちやな」
三津谷さんが安堵した様に言って、羽菜を抱き締める腕の力を緩めた。羽菜は突然の転換に呆然としてしまう。すごい、こんなあっさりと退けてしまえるなんて。
「なぜだ!」
蘆屋さんが金切り声を上げた。さっきまでの余裕はどこへやら、すっかりと取り乱している。
「そりゃあ、ここの結界を張り直して、お前の術を打ち消したからや」
清明お祖父ちゃんがしれっと言うと、蘆屋さんはショックを受けた様に目を見張り、次には「そんな」とうなだれたのだった。




