第3話 突然のできごと
時間はそろそろ19時になろうとしている。閉店まであと1時間。この時間からはさすがに陰陽師は来ない。来ても清明お祖父ちゃんへの緊急の相談と、注文があってもドリンクぐらいである。
閉店時間を20時にしているのは、夜の調伏に行く陰陽師の相談を受けるためだ。あやかしの類の多くは夜に活動が盛んになる。
日中に府民の相談を受け、まずは下見をする。異変の起こりやすい時間を聞いて、その時間に合わせて現場に向かうのだ。
「夜中なんですよ。時計を見たら、大概2時ごろとちゃいますかねぇ。それから30分から1時間ぐらい続くんですよ。もう気味が悪くて」
丑三つ時である。正確な時間は2時から2時30分までの30分間。
この丑三つ時の丑とは、十二支の丑のことだ。昔は時間を表すのにも使われていたのだ。23時から1時の2時間を子として、時計回りに十二支の動物が割り振られていた。丑の刻は1時から3時までの2時間だ。
この2時間を30分ずつに分け、一つ時、二つ時、三つ時、四つ時と呼ばれ、丑の刻の3番目が丑三つ時なのである。
十二支は方角を表すことにも使われていて、方角に十二支を当てはめたとき、丑寅は北東の鬼門を指す。鬼門は邪悪なものが出入りするとして、昔から忌み嫌われてきたのだ。
丑三つ時といえば幽霊が出る時間帯だとの印象があるが、それはあやかしも同様である。
そもそも十二支を当てはめる、この表し方そのものの起源が陰陽道なのである。鬼門という考えかたは日本のオリジナルなのだが、それでも悪しきものは鬼門に乗って現れた。
そうしてそのときを生きる人に悪さをする。壁を引っ掻く様な音を立てたり、鳴き声をあげたり、お家を軋ませたり。これぐらいならまだいたずらの範疇だが、人に取り憑いたりするあやかしもいるからたちが悪い。
あやかしは基本、人間の善悪の埒外である。人間の常識が通用しないので、陰陽師としても力尽くで調伏するしか無いのだ。
三津谷さんたち3人がこの時間に来ているのは、単に晩ごはんのためである。深夜の視察などがあればむしろ来ない。準備のためにお家に帰るからだ。その視察で手に負えないなどの事態だと分かれば、翌日のお昼などに清明お祖父ちゃんに助力を求めに来たりする。清明お祖父ちゃんはそのためのお札などを作成して授けたりするのだ。強大な力を持つ神霊の清明お祖父ちゃんだからできる妙技である。
ただこれも、その陰陽師に能力があるからこそできることである。羽菜の様に元々の力が小さければ引き上げることもできない。伸びしろが無いのだ。
「ごちそうさまでした。美味しかった」
「ありがとうございます」
八木さんがカレーを食べ終える。追い掛ける様に清明お祖父ちゃんも。
「ごっそさん。羽菜、今日も旨かったで」
「ありがとう」
三津谷さんと渡辺さんは、ゆっくりとナポリタンを手繰っている。閉店まではまだ時間があるし、あとの予定が無いのなら、急ぐ必要も無いのだろう。
「八木さん、清明お祖父ちゃん、何か飲みます?」
お冷やはいつもの様に出しているのだが。
「いや、今はええかな」
「俺も」
「はい」
やがて三津谷さんと渡辺さんもナポリタンを食べ終えた。羽菜は全ての食器を引き上げ、手早く洗う。食洗機なんて便利なものはこのカフェには無い。羽菜ひとりで充分追い付くからという理由もあるが、もし羽菜が欲しがっても、竹林さんが許してはくれないだろう。
「……そろそろかいな」
清明お祖父ちゃんがぽつりと言う。すると三津谷さんたち3人が硬い表情になって「うん」と小さく頷いた。
何だろう。洗い物を終えてタオルで手を拭いた羽菜が小さく首を傾げると、お祖父ちゃんが両手を組んで人差し指を上げ、ふっと息を吹き掛けた。
すると。
カフェ内に、強風が巻き上がった。
「あ、え?」
羽菜は目を見開く。ごうごうと吹き荒れ、誰も座っていない椅子ががたがたと音を立てる。
「何これ」
羽菜は呆然としてしまう。そしてうろたえる。このカフェが攻撃を受けている? どうして。このカフェには清明お祖父ちゃんの結界が張られているはずである。そこいらの陰陽師では破れないはずだ。何せ「安倍晴明の結界」なのだから。
「やっぱり来たか。ゆうやけ! 咲良! 竜五! 「かうんた」の中に入っとれ。そこは大丈夫やと思うけど、羽菜を頼むで!」
「オッケー!」
三津谷さんが威勢良く返事をし、3人は素早く立ち上がると走って、カフェのドア近くにあるカウンタ内への出入り口から中に入ってきた。竜五とは八木さんの名前である。
三津谷さんが立ちぼうけの羽菜の頭や身体を庇う様に抱きしめ、羽菜たちを守る様に渡辺さんと八木さんが立ちはだかった。軽く中腰になり、手はいつでも印を組める様に、ファイティングポーズの様な格好になる。
こちら側には確かに暴風は届いていない。だがその渦中にたったひとりでいる清明お祖父ちゃんの髪はばさばさと派手に振り乱れていた。結わえている黒のヘアゴムがちぎれそうな勢いである。
また、ごうと風が強くなる。清明お祖父ちゃんは座ったまま、手を組んで人差し指を伸ばした。
「其、柔らかくなりて、たゆたい、均されたり、急急如律令」
その瞬間風が止んだ。羽菜はほっとするが、またごうごうと吹きすさぶ。
何で!? と思うが、文言からして、完全に沈めようとするものでは無い。どうしてだろうか。羽菜は少し混乱する。
「めんどくさいなぁ」
清明お祖父ちゃんは舌打ちでもしそうな顔で言うと、カフェのドアがある壁の右側の角に向かって吠えた。
「分かっとるんや! 姿を見せぇ! 道満!」
こんな激昂した清明お祖父ちゃんを見たことが無かった羽菜は、思わずびくりと肩を震わす。それに気付いたのか、三津谷さんが優しく囁いた。
「大丈夫や、おハナ、清明おじいに任せとったら大丈夫やから」
それで羽菜は少し安心して、「はい」と三津谷さんに委ねる。すると。
「わはははは!」
何とも芝居掛かった様な高らかな笑い声が、カフェの店内に響いたのだった。




