第5話 カップラ投げ付けてやれ
かちゃり、とカフェのドアが開かれる。見ると、おなじみ和柄ジャージの三津谷さんと、黒いワンピースの渡辺さんだった。
「こんちゃー」
「こんちは」
いつもと変わらぬ挨拶で入ってくる。店内が一気に華やか、賑やかになった。
「いらっしゃいませ」
羽菜も笑顔でお迎えした。
「あ、「お客さま」やね」
柳田さんに気付いた三津谷さんのせりふに、羽菜は「はい」と頷く。
「解決したん?」
お客さま、柳田さんの問題が解決したのか、という意味だろう。羽菜は「まだです」と首を振った。三津谷さんと渡辺さんは柳田さんからひとつ空けたカウンタ席に腰を降ろした。羽菜は常温のおしぼりとお冷やを出す。ふたりはさっそく手を拭いて。
「お母さん、あたしらもお話聞かしてもろてええですか? 三人寄れば文殊の知恵っちゅうでしょ?」
渡辺さんが柳田さんに気安く話し掛ける。すると柳田さんは少し戸惑いつつも「え、ええ」と笑みを浮かべた。
「お嬢さんたち、ここの常連さん? 私の悩みなんて、そんな大したことは無いと思うんよ。ちょっと熟年離婚考えてるだけで」
「いや、それ大ごとですやん」
三津谷さんの突っ込みに、柳田さんは「そうかしらねぇ」と小首を傾げた。やはりあまり先のことを深く考えていないのかも知れない。
「でもそう思ってまうってことは、それなりの蓄積があるってことでしょ? 熟年離婚てここ近年で増えてるって聞くけど、ボクが持ってるんは、たいがい旦那が亭主関白やったりなイメージやけど」
「うちもそんな感じなんよ。しかもね、夫は外食や惣菜が嫌いで、毎日ごはんを作り続けてきたんよ」
柳田さんが苦笑しながら言うと、三津谷さんも渡辺さんもあからさまに顔をしかめた。
「何やそれ! ボクやったらそんな旦那絶対に嫌や。奥さんの苦労を増やしてどうすんねん!」
「ほんまや。あたしも嫌やわ。そんなん言われたら、あたしやったら旦那にカップラでも投げ付けて、自分は外で美味しいもん食べるわ」
興奮したのか丁寧語が外れたふたりの憤慨に、柳田さんは呆気に取られた様な顔になるが、すぐに「ふふ」と笑顔になる。
「私も、そうやって強くあれたら良かったんよねぇ。夫に食べさせてもろてるからって、何でも言うこと聞いてきてしもた。さっきも言われたとこや、私が調子に乗らせてしもたって」
「せやね、ボクもそう思う。男って阿呆やからさ、すーぐ調子に乗るし。亭主関白やったら自分が偉いて思ってそうやし。ほんま阿呆。亭主関白って奥さんが賢いからこそ成り立つのに。従順やからや無いで」
その通りだ。賢いにもいろいろあって、亭主関白の旦那さまに付き合っていられるのも賢さだし、そんな旦那さまに対抗するのも賢さだ。亭主関白であっても無くても互いが納得していれば良いのだが、していないから不満が生まれる。当たり前のことだ。
だから熟年離婚に繋がる。旦那さまが何も考えずに踏ん反り返っている間に、奥さまはふつふつとフラストレーションを溜めているのだ。
男性から希望する熟年離婚もあるらしいが、やはり圧倒的に女性からの方が多いと聞く。それほどに奥さまに我慢を強いているということだ。
きっと、昔の価値観に沿わない女性ごと同一視され、それに無理に当てはめられて来たのだ。妻とは、母親とは、こういうものだと。
男性、旦那さまがそれを理解していないから、こうした事態を招くのだ。旦那さまにとっては思いも寄らないことなのかも知れない。奥さまやお子さんを養ってきた自負があるのだから。
だがそれだけでは駄目だということが、これから分かる。お家にいるのなら家事を手伝うとか、子育てを一緒にするとか、しなければならなかった。
感謝も然り。お世話をしてくれることへの感謝は大事なことだ。旦那さまだって毎月生活費をお家に入れるときに感謝が無ければ良い思いはしないだろう。同じことだ。
「はっきり言うてこてんぱにしてやり! ごはん作りめんどくさいんやーって。言うことなんか聞いてられへーんって」
「そうそう! お母さん、お子さんは? え、双子!? うわ、めっちゃ大変やん。そんなお子さんふたりを独立させたって大役を担いはったんやから、もっと堂々としたらええねん。いてこましたれ、そんな馬鹿旦那! なんならあたしがやったろか? きっちりシメたんで」
三津谷さんも渡辺さんもなかなか過激である。清明お祖父ちゃんは大笑いだ。柳田さんはおろおろとしながらも。
「あ、あの、でもね、あの夫にも、ええとこが……あったかな……」
そんなことを言うものだから、清明お祖父ちゃんも三津谷さんも渡辺さんも爆笑である。羽菜も噴き出してしまった。
「ああ、でも、おふたりに怒ってもろて、笑い飛ばしてもろて、何やすっきりした。私、帰ったら夫に言うてみるわ。面倒やって。それで外食ができる様になったら、離婚は考え直すわ。もし不機嫌になられたりしたら、また改めて考えるわ。それこそカップラ? カップラーメンのことやんね? それでも渡して外食しちゃう」
柳田さんはそう言って、楽しそうに笑った。羽菜はその表情を見て、良かった、と胸を撫で下ろしたのだった。呪縛から逃れた瞬間なのだと思った。




