第1話 カフェ存続の危機
はぁ……。
自宅戸建の年季の入った台所に立ち、まな板の上に置いたお茄子と包丁を見ながら溜め息を吐く。
いつまでこんな生活を続けなければならないのだろうか。
面倒臭い。そんなことを思ってしまう。
ああ、それでも今は今の現実に向き合わなければならない。お茄子のへたを落として、切って、切り込みを入れて、煮汁を作ってお鍋に入れて、煮浸しに……。
そのとき、目の前に白い光が広がった。え、めまい? そんなことを思った瞬間。それは自らを包み込んだ。
「……以前より、コストが上がりすぎてませんか」
あべのベルタ地下2階の喫茶店のテーブル席で、今日も羽菜と竹林さんは向かい合っている。そして明細を見ながらの竹林さんの一言だった。
季節は秋に移り変ろうとしていた。10月の頭。夏が酷暑だったせいか、まだ残暑の名残りがありありとしているが、それでも朝晩の気温が緩やかに下がり始め、秋の気配が見え始めていた。
「確かにレトルトのときから比べたら上がってしもてます。以前はレトルトの中でも特にお安いのんにしてたから。でも手作りし始めてから来てくれる「人」も増えましたし、それも大事なことなんや無いかって思います」
さすがに外で陰陽師とは言えない。だから「人」と言う。
あのカフェには、清明お祖父ちゃんに相談をしたい陰陽師、そして寛ぎたい陰陽師が訪れる。以前は億劫だと、よほどの用事が無い限り、お役所やお家が遠い陰陽師の足は遠のいていたが、フードの手作りを始めてから、足を伸ばしてくれる様になった陰陽師が増えた。
そんな陰陽師たちをねぎらいたいと思う羽菜の気持ちは、決して間違っているとは思わない。なぜならそれが落ちこぼれてしまった羽菜の唯一の大切なお役目なのだから。
カフェの運営費は確かに大阪府から出ている。有り体に言えば税金だ。だが陰陽師たちは政に関わり、府民を怪異から救っている。
お役所には、日々いろいろな相談事が寄せられる。そのなかには摩訶不思議なものもあり、その場合派遣されるのが陰陽師なのである。
陰陽師はその解決に尽力する。そのとき府民からいただくのは些少な手間賃や実費のみ。住民票や戸籍の写しなどを発行したときに支払いする手数料と同じ扱いだ。
そのお金は当然、その陰陽師が所属しているお役所に収められる。副業陰陽師の場合は府民の住所に沿ったお役所に行く。陰陽師はそれぞれのお役所からお給料をいただいているが、普通のお役人とその金額は大きく変わらないのだ。場合によっては命懸けの案件になるので、いくばくかの危険手当は含まれるが。
羽菜はそうして日々人助けをしている陰陽師を、ただ、いたわりたいだけなのだ。自分ではできないお仕事をしているという尊敬の念もある。自分にはどう足掻いても手に入れられなかった能力を有する人たちだから。
確かに手作りをするのは羽菜のやりがいを生むためでもあるが、それだけの思いでは無い。レトルトの方が楽に決まっている。用意する手間も洗い物の数も変わってくるのだから。
清明お祖父ちゃんにだって、美味しいと思ってもらえるナポリタンを食べてもらいたい。まだまだ素人に足が生えたかどうかのレベルだが、清明お祖父ちゃんこそ霊体とはいえ、神霊として日々無償で働いているのだから。
ちっぽけかも知れない。だがこれが羽菜の矜持なのだ。
この大阪から陰陽師が撤退してしまったらどうなるのか。政治家は一時期でも寄る辺を無くし、府民は件数は多くは無くとも怪異に怯える日々になるのだ。充分貢献しているでは無いか。
あのカフェを守るために、羽菜はできる限りのことをしようと誓う。
竹林さん、実は陰陽師を信じていないのだ。陰陽師というか、占いや超常現象そのものを。
そういう人から見たら、陰陽師という存在は詐欺師みたいなものなのかも知れない。そんな竹林さんはこれまで不思議な現象に遭遇したことが無いのだろう。何より竹林さんは見た目からして現実主義っぽいので、致し方無いのかもと思う。
だが羽菜やあのカフェに集う人々は、紛れも無く安倍晴明の血を継いだ陰陽師で、修行をし、この大役を担う人々なのだ。
竹林さんがなぜこのカフェの担当になったかは、大阪府の人事の判断だから羽菜が知る由は無い。それでももう少し理解があってくれても、なんて思ってしまうのだ。
「そもそもこんなことは、私にとっては眉唾ものですよ」
そんな身も蓋もないことを言われてしまえば、どうしようも無い。
「でも、あるもんはあるんです。信じてもらえんでも、あることなんです。お祖父ちゃんはカフェにおるし、私かて、血を継いでるんですから。落ちこぼれであっても」
竹林さんは鼻白んだ様に目を細める。もう羽菜が何を言っても平行線なのは分かっている。それでも。
陰陽師たちの尽力を、軽んじて欲しく無い。
「ま、こちらとしては、そちらに払ってる分は府民の皆さまの税金てことを忘れん様にしてくれたらええです。無駄遣いは許しませんし、あまり増える様ならカフェの廃止、閉店も視野に入れます。ええですね?」
羽菜は目を見開いた。何てことを言うのだ。
「それは困ります。困るのは私や無くて、お客たちです。あのカフェは福利厚生のひとつやって聞いてます。大事な駆け込み寺になってるんです」
「出費が増えて困るんはこっちです。最終的に決めるんはもちろん今の府長ですけど、ま、あのカフェのせいで増税とか、そんなんになったらたまったもんや無いですからね。実際大阪市長が住民税上げようとしてるなんて話も噂ですけど上がってきてます。大事なんは府民の生活です。あるんや無いんや分からんもんに割く余裕は無いんです」
そういえば大阪市の住民税については、渡辺さんが以前愚痴っていた。府と市は一応は別政ではあるが、まさかそんなに切羽詰まったりしているのだろうか。
竹林さんにそう言われてしまえば、もう羽菜は何も言えなかった。




