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陰陽師はナポリタンがお好き  作者: 山いい奈
3章 ねじれたハラスメント
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第7話 心地の良い職場へ

 気付いたら、岡安武雄(おかやすたけお)は大阪メトロ御堂筋(みどうすじ)淀屋橋(よどやばし)駅のホームにいた。淀屋橋は大阪屈指のビジネス街で、京阪(けいはん)電車への乗り換え駅ということもあって、乗降者数も多い。淀屋橋駅は上りと下りのホームが一緒になっているので、通勤時間帯は余計に混雑するのだ。


 今は平日の昼過ぎだが、それでも人が多かった。外出中の営業マンなども多いのだろう。そんなところでぼんやりしていては迷惑だ。武雄は慌てて隅っこに走り寄る。そして、今までいたはずのカフェのことを思い出す。


 あれは、夢やったんやろか。


 現実感はしっかりとある。温かなレモネードと卵雑炊、パイナップルをごちそうしてもらって、今もお腹が久しぶりにぽかぽかしている。だが腕時計で時間を見てみたら、時間はほとんど経っていなかった。


 どちらにしても、自分があのカフェで癒されたのは確かなのだ。


 また今日も叱責されるかも知れない。そう思うと気が重いが、少し力が沸いた。あと少しがんばってみよう。武雄は息を吐きながらも拳を握り締めた。




 駅から少し歩いたところにあるビルの1フロアが、武雄の職場である。


「ただいま戻りました。って、あれ?」


 社内が騒がしかった。戸惑う様な声があちらこちらから聞こえる。そんな中に「小坂(こさか)課長が」というものもあった。小坂課長とは件の人である。


 武雄は慌てて自分の部署がある一角に向かう。すると小坂課長を除く主任や同僚たちが、立ったまま顔を突き合わせて何やら話していた。


「戻りました。何かあったんですか?」


 武雄が聞くと、若い女性の柿谷(かきたに)さんが駆けてくる。肩まで伸びたボブカットが跳ねた。


「岡安さん、あの、小坂課長の移動が決まったみたいで、あの」


 途中まであった勢いがしぼんでいき、最後にはまごついてしまっている。あとを引き受けたのは、先輩男性の針金(はりがね)さんだった。細い首筋を掻きながら。


「小坂課長、移動になるらしいで」


「え? この中途半端な時期にですか? 何でまた」


「コンプラ違反の訴えがあったんやて。そんでみんなで話しとったんや。誰なんやろって」


 コンプライアンス違反。ハラスメントもこれに含まれていて、武雄たちが小坂課長に晒されていたものも、これに確かに当てはまる。


「え、僕やないですよ」


「あー、岡安もちゃうかぁ。ほな、誰なんやろな。ちゅうても犯人探ししてもしゃあないんやけど。確かに大ごとにはしたか無かったけど、俺らが助かったことは確かなんやし」


「そう、ですね」


 武雄は不思議な思いに駆られた。あの夢の様なカフェで和ませてもらい、おまじないをしてもらって、現実に戻った途端に状況が改善に向かおうとしている。


 因果関係なんてものは分からない。本当にあのおまじないが効いたのか、それともたまたまだったのか。


 そう言えば、あのカフェにいる人が言っていた。「巻き込まれたのだろう」と。それがもし小坂課長のことだったとしたら。


「小坂課長は今どこに?」


「人事とかちゃう? 移動になるんやったら」


「その前にコンプラ対策室ちゃいます? 何や注意とかそんなん受けはるんやと思うんですけど」


 針金さんと柿谷さんが応えてくれると、武雄は「ちょっと行ってくる」と、自分のデスクにビジネスバッグを置いて部署を後にした。


 まずはコンプライアンス対策室に向かう。するとそこの室長である女性の畑中(はたなか)部長が小坂課長に訓告を行なっていた。


 凛々しい黒いパンツスーツの畑中部長はそう強く言葉を発しているわけでは無かったが、小坂課長はうなだれて、ただただ黙ってそれを受けていた。


「畑中部長、小坂課長」


 武雄が声を掛けると、ふたりの視線が武雄に注がれる。小坂課長はすっかりと憔悴していた。気の毒になるほどだ。


「岡安くん、大変やったらしいなぁ。もう大丈夫やから」


 畑中部長のねぎらいに、武雄は「え、いえ」と応えるのがやっとだった。つい勢いで来てしまったが、どうしたら良いのか武雄は戸惑ってしまう。


「小坂くんは別部署に移動になる予定やから」


「あ、あの、僕、小坂課長に話を聞きたくて」


「ん?」


 畑中部長はきょとんとする。小坂課長がはっと目を見開いた。武雄を見る目に拒絶の色は見られなかった。むしろ。


「悪かった、岡安くん。ほんま、自分でも何であんないらいらしとったんか分からへんねや」


 そう言って頭を深く下げた。これには武雄も面食らってしまって。


「課長、頭を上げてください」


 慌てて言うが、小坂課長は微動だにしなかった。


「何や、反省はめっちゃしてるんや。せやけどあったことはあったこととして、処理せなあかんからな」


 畑中部長が言いながら溜め息を吐く。


「言うても信じてもらわれへんかも知れんけど、会社に来ると無性にいらいらしてしもて、特になぜか岡安くんの顔を見たらそれがピークに達して、怒鳴り散らしてしもたんや。ほんまに申し訳無いことをした。すまんかった」


 小坂課長が絞り出した言葉を、武雄はすんなりと受け入れることができた。あのカフェにいたからだろうか。現実感があるのに、まるで幻かの様だったあのカフェ。明らかにあのカフェが転機になっている、そんな実感があった。


「分かってます」


 武雄が言うと、小坂課長は「え?」と顔を上げた。その顔は呆気にとられている。武雄は小さく笑みを浮かべた。そのまま視線を畑中部長に移して。


「部長、僕は大丈夫です。課長ももう大丈夫なはずなんで、処分とかは待ってもらえないですか?」


 お願いします。武雄はそう言って畑中部長に頭を下げた。畑中部長は「へ?」と間抜けともいえる声を上げた。


「嘘やん、岡安くんがいちばんきっつぅされとったって聞いてるで。そりゃめっちゃ反省はしてるけど、昨日今日でそんな変わらんやろ」


 小坂課長は呆然としている。まさか武雄に庇われるなんて思いもしなかったのだろう。武雄にいちばん強く当たっていた自覚もあるのだし。


「岡安くん、何で」


 小坂課長の力の無い声。武雄はゆったりと微笑んだ。


「ほんまに、もう大丈夫なんやと思うんです。せやからもう少し待ってみてもらえませんか?」


 畑中部長に言うと、部長は「うーん」と唸る。


「岡安くんがそう言うんやったら、様子見してもええけど、でもそれと処分は別や。あったことはあったこととして、減給なりなんなりはせなあかん。もう1度検討するわ。ほな、とりあえず小坂くんも岡安くんも自部署に戻って。小坂くん、様子見せてもらうからな」


「はい! ありがとうございます」


「はい」


 小坂課長は威勢良く返事をし、武雄と並んで部署に戻る。


「岡安くん、ほんまに済まんかったなぁ。私、もうあんなことせんから。今岡安くん見ても、全然いらいらとかせぇへん。あれはほんまになんやったんか。しかも会社におるときだけや」


「大丈夫ですよ。部署のみんなにも事情を説明しましょうね」


 神妙に謝る小坂課長に、武雄は安心してもらえる様に穏やかに言った。


 きっと、武雄には及びもつかない様な何かが働いていたのだと思う。こんなこと、あの不思議なカフェに行かなければきっと納得できなかった。きっとあの綺麗な男性がしてくれたおまじないが効いたのだ。だから誰かは分からないが訴えてくれ、事態は好転したのだ。




 それからは、充実した会社員生活になった。小坂課長はもちろん理不尽に怒らないし、部署みんなで協力して仕事ができている。食欲も戻り、顔も以前の丸いものに戻った。


 あのカフェに行けて良かった。また行けるだろうか。あらためてお礼が言いたい。だが、もう行く様なことには陥らない方が良いのだろうな、武雄はそんなことを思ったのだった。

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