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陰陽師はナポリタンがお好き  作者: 山いい奈
3章 ねじれたハラスメント
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第2話 ふっくらしているはずなのに

 八木(やぎ)さんがご満悦でカレーを食べ終え、食後のホットコーヒーをブラックで楽しんでいたとき。


 がちゃりとカフェのドアが開いた。そこに立っていたのは30歳代と思しき男性。体型はふっくらとしているのに、顔色が悪くて頬がこけている様に見える。そして、初めて見る顔だった。


 と、いうことは。羽菜(はな)清明(せいめい)お祖父ちゃん、八木さんは顔を見合わせて小さく頷き合った。


「いらっしゃいませ。こちらにどうぞ」


 羽菜は明るい声を出して、手前からふたつめの席に案内する。清明お祖父ちゃんはいつもの最奥の席で、そこからひとつ離れて八木さん。そこからさらにひとつ離れた席だ。


「あの、ここは」


 男性が誰へとも無しに問い掛ける。その顔は呆気にとられている様に見える。


「僕、電車を降りたとこやったはずやねんけど」


 チャコールグレイのスーツ姿で、白のワイシャツにモスグリーンのネクタイ。今はお昼間だから、外回りのお仕事なのかも知れない。相当過酷なお仕事なのだろうか。顔と身体のバランスの悪さが気になった。目の下には隈があって、げっそりとやつれている様に見えるのだ。


「どういうことですか?」


「夢みたいなもんやて思ってくれはったらええですよ。せやのでゆっくりしていってください」


「夢って、それやったら早よ起きなあかんやん。会社に戻らな」


 男性はおたおたと焦り出す。お仕事熱心な人なのだろうか。そこに「まぁまぁ」と声を掛けたのは八木さんだった。


「ここにおったら大丈夫ですから。もしかしたら今抱えてはる問題も、解決するかも知れませんよ?」


「ええ……」


 男性は半信半疑という様に、小さく眉をしかめる。それはそうだろう。信じがたい話だろう。すると。


「つべこべ言わずに座ったらええ。お前さん顔色悪いや無いか。ちょっと休んでけ。ほんまにん心配いらんから」


 清明お祖父ちゃんにちろりと睨まれ、男性はびくりと肩を震わす。怯えまではしていない様だが、男性の中に潜められた陰陽師の血が作用したのか。


 こんな清明お祖父ちゃんだが、安倍晴明といえば陰陽師の頂点と言っても過言では無い、はず。だから令和の今でも語り継がれる存在なのだ。男性の先祖がどの様な陰陽師だったのかはさすがに分からないが、無意識で従ってしまう何かがあるのかも知れない。


「わ、分かりました。お邪魔します」


 戸惑う様にそう言って、おずおずと椅子に掛けた。


「ほんまにお疲れそうですね。ドリンク、レモンスカッシュかレモネード、いかがですか? ビタミンCとか、疲労回復に効くクエン酸とかが摂れますし、すっきり飲んでいただけますよ。レモネードはあったかいのもできます」


 羽菜は冷たいおしぼりとお冷やを出す。このお冷や、実は何の変哲も無い水道水である。羽菜としてはミネラルウォーターや浄水器を通したものを出したかったのだが、竹林(たけばやし)さんの許可が下りなかった。


 というのも、大阪府職員の竹林さんから言わせると、大阪市の水道水はかなり上質なのだ。有害物質と言われるものは基準値からかなり下回り、2度のオゾン処理のおかげで臭みなども無い。


 2007年3月にはこの水道水がペットボトルに詰められて、「ほんまや」という名称で販売され、人気を博し、2年後には累計総数30万本を突破した。ショッキングピンクの派手な地色に大きく「ほんまや」と白に染め抜かれたラベルが、何とも大阪らしかった。


 それは数年後に当時の大阪市長によって製造廃止になったのだが、自治体が製造販売する飲料水として初めて、国際的食品品評会モンドセレクションの金賞に輝いたこともある。


 竹林さんにそう言われてしまえば、羽菜としては黙るしか無い。フードや一部ドリンクをレトルトなどから手作りに変えて、コストが上がったことでも渋い顔をされている状態で、食い下がることは難しかった。


 ただ、大阪市の水道水がまろやかで癖の無い良い水だということは、羽菜も異論は無いのだった。でもやはりそのまま出すのには抵抗と申し訳無さがあって、レモン汁を1滴落としている。


「あ……、ほんなら、あったかいレモネードください」


「はい。お待ちくださいね」


 羽菜はまずお湯を沸かす。電気ケトルを使っていて、ドリンクに使うお湯は基本これで沸かす。続けて白いマグカップを出すと、レモン汁とはちみつを落とし、沸いたお湯を注いでスプーンで混ぜた。


「はい、お待たせしました。お熱いですので、気を付けてくださいね」


「ありがとうございます」


 近くであらためて顔を見ると、細い目の下が落ち窪んでいる。かなりお疲れの様だ。ホットレモネードで少しでも癒されてくれたら良いのだが。


 男性はマグカップを両手で抱える様に持ち上げると、ふぅふぅと冷ましながらゆっくりと口を付けた。こくりと少しばかり口に含むと。


「ああ……、あったまる……」


 ふわりと相貌を崩して、そう呟いた。羽菜は不思議に思う。


 このカフェは確かにエアコンが効いている。この湿度では稼働させなければ不快でしか無いからだ。だがこの男性は外から来たはずで、外はもう夏の気配で湿気も気温もそれなりのはずだ。なのにこんなせりふが出るなんて。あ、電車が大阪メトロだったら、さほど温度差は無いか。どちらにしても今の季節には似つかわしく無いせりふの様に思えた。


 見ると、先ほどよりはほんの少しだが、顔色が良くなった様な気がする。やはり頬などはげっそりとしているが、わずかながらも口角が上がっている。少しは心が落ち着いただろうか。


「なぁ、お前さん、何があったんや」


 清明お祖父ちゃんが男性に不躾にぶつける。男性はマグカップを手にしたまま面食らった様子だ。


 羽菜は意外な気がした。確かにここに来る普通の人は何かを抱えている。だが今までは、その人が口を開くまで急かす様なことはしなかった。それなのに。


「顔色も悪いし、身体はがっちりしとるのに、頬がこけとる。話すだけでも話してったらどうや。気が楽になるで」


 やり方は雑ではあるが、清明お祖父ちゃんのせりふには労わりが込められている。それを感じ取ったのか、男性はくしゃりと顔を歪めた。泣きそうにも見えた。


「聞いて、もらえますか?」


「もちろんや」


 男性は「ありがとうございます」と小さく頭を下げ、「あの」と口を開いた。

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