第1話 日本食としてのカレー
疲れた。身体が重い。
今はまだ昼過ぎだというのに、昨日の疲れが全然取れていないからか、もうすでにぼろぼろだ。
土日には休むことができるので、そこでどうにか寝たりして休養を取るのだが、月曜日の終業後にはもうぐったりしている。
どうして自分だけ、こんなにも目の敵にされるのか。他の同僚にはそこまででは無いのに。
がたんごとんと揺れる電車の中は程よく混んでいて、まるで吊り革にぶら下がる様にして身体を支える。夜には眠いはずなのに眠りにくくなってしまって、こうして昼間には頭がぼんやりとしてしまう。こんなことで今日1日耐えられるのだろうか。明日は? 明後日は?
今は直行からの営業帰りだった。どうにか会社の最寄り駅に到着する。ビジネス街であるここではそこそこの乗客が吐き出され、自分もその波に乗る。
うなだれながらホームに降り立つと、地下鉄のおかげか電車内とそう温度差は無く、むしろエアコンが効いていて身体が冷える。少し嫌やな、そう思った瞬間、まばゆい光に包まれる。それはとても激しいものだった。
梅雨が明け、湿度もまた上がり、夏がすぐそこに見えていた。また今年も酷暑になるとの予報でうんざりしてしまう。数年前まではここまで暑くならなかったと思うのだが、これも地球温暖化というやつなのだろうか。
カフェのエアコンで電気代が上がったら、また竹林さんに文句を言われるだろうか、と思うと憂鬱な気分になってしまう。だが今や、エアコンというかクーラーは夏場の生命維持装置だ。とてもでは無いが、無しでは乗り越えられないのである。
ここ近年日本の夏は亜熱帯を思わせる暑さで、本来なら恵みであるはずのお日さまが、人々の気力体力を奪っていくのである。戦々恐々としてしまうのも致し方無いだろう。
八木さんは、今日も好物のカレーをもりもりとスプーンで口に運ぶ。今日はポークカレーである。
このカフェでは、カレーはビーフとポーク、チキンの3種類の中から選べる。どのお肉もあべのベルタの関西スーパーで特売のときにそれなりの量を確保し、1人前ずつをレンジ対応可能のナイロン袋に入れて冷凍し、注文があったらレンジで解凍して使う。
ビーフとポークは切り落とし肉を一口大に切り、チキンは鶏もも肉を小振りな一口大に切っている。
お肉をお鍋で炒め、表面に火が通ったら作り置きしているカレーを加え、7分ほど弱火で煮る。もっと煮込めたら良いのだろうが、あまり長い時間お待たせする印象がカレーには無い。他のカフェなどにしてもカレー専門店にしても、トッピングにもよるだろうが、カレーは提供時間が早いイメージである。
このカフェは下ごしらえのおかげもあってか、他のメニューもあまりお待たせせずに出している。なのでカレーだけ時間を掛けるということはしないのだ。
正直なところ「カレーがいちばんお待たせするお店ってなんやねん」と思っている。固定概念、思い込みなのかも知れないが。
八木さんがいちばん好きなのはビーフカレーなので、その頻度が高い。だからいつも牛肉を多めにストックしてある。だが時々ポークやチキンも頼まれるので、お肉を切らせないのだ。冷凍しても質や食感がそう変わらない食材だからできることだった。
「カレーなぁ。そんな舶来もん、わしは食う気せぇへんわ」
満足そうな八木さんを横目に、清明お祖父ちゃんは顔をしかめている。いやいや、確かに清明お祖父ちゃんお気に入りのナポリタンは日本生まれだが、パスタそのものはしっかりとイタリア発祥のはずである。
「何言うてんの、清明の祖父さん。今や、カレーは立派な日本食やで。確かに欧風カレーが元なんやろうけど、日本で独自進化して、外国人が日本のカレーを求めてくるんやで。インド人かてココイチのカレー食べるんやから」
「ふぅん? そんなもんなんか?」
そう。清明お祖父ちゃんは胡乱な目を解かないが、今やお寿司やラーメンなどと並び、日本のカレーは日本食として大人気なのである。八木さんの言う通り、テレビのインタビューでインドの方が答えていたのが、羽菜は今でも忘れられない衝撃だった。流暢な日本語で。
「うん、ココイチのカレー美味しい。納豆のトッピングが好きね。ねばねばが良いね。身体に良いね」
日本人ですら好き嫌いが分かれる納豆を、インドの方が好んで食べているとは。
ココイチさん、CoCo壱番屋さんは日本では最大手と言えるカレーのチェーン店で、日本で店舗の無い都道府県は無い。海外にもアジアを中心に展開している。カレールゥは各種お肉類を取り揃え、トッピングの種類も豊富で、組み合わせ次第でかなりのメニュー数になる。
このカフェではさすがにトッピングまではカバーできないが、カレーそのものとしては他のお店に遜色無いものを出せていると思っている。少なくとも八木さんはお気に召してくれていて、「うまぁ」と言いながら食べてくれている。
そんな八木さんはココイチさんや他のカレー専門店にも頻繁に行き、お家でもレトルトカレーなどを食べるそうだ。今やレトルトで多くの国のカレーを食べることだってできる。羽菜もインドカレーやタイカレーは好物だ。サフランライスやジャスミンライスだって炊くのである。
お家でのごはんとして用意するときには、清明お祖父ちゃんは食べてくれないので、お蕎麦などを別に用意する。手間ではあるが、自分の好きなものを食べるためのひと手間である。
大阪には独自のカレー文化があり、昔から大阪名物として親しまれているのが、なんばにある自由軒のカレーである。ルゥとごはんが最初から混ざっていて、中央のくぼみに生卵が落とされている。お好みでウスターソースを掛けながらいただく。スパイシーながらも甘みのあるカレーが、生卵を割って混ぜるとまろやかなり、ウスターソースでスパーシーさが足され、唯一無二の味になるのだ。
このカレー、まだごはんの保温技術が無いころに開発された。お店に来てくれるお客さまに温かいお食事を食べてほしいと、ルゥと冷めたごはんをフライパンで温めながら和えたのだ。それが評判を呼び、令和となった今でも名物として食べられているのである。キャラの濃い女将も有名なのだ。
そして、大阪でカレーといえばもうひとつ。ここ数年台頭してきたのがスパイスカレーである。どのお国のカレーとも違い、多種多様なスパイスを用い、複雑でスパイシーなカレーを生み出している。
パイオニアといえば、コロンビアエイトさんだろう。2008年に開店するとあっという間に話題となり、「ミシュランガイド京都・大阪版2018」では、カレー部門として初めてビブグルマンに選出された。
羽菜は訪れたことは無いが、きっと八木さんは網羅していることだろう。
本店は大阪のウォール街と言われる北浜にあるが、今や大阪だけでは無く、東京や沖縄にも店舗があるそうだ。北浜は治安が良く、羽菜が産まれたあたりの2000年代に入ってからは、住宅街としての顔も持つ様になっている。主要駅は大阪メトロ堺筋線の北浜駅と、京阪本線の北浜駅である。




