寒村
とにかく南東へと進んでいくだけの旅程なのだが、そうは言っても都合よく南東の方角だけに街や村があるはずもなく、俺は一旦東へと向かって行った。そうでなければ、南東にも街はあるそうなのだが、流石に距離が遠い。夜が危険だということを考えると、急ぎでもないのなら街から街へと中継しながら向かうのがいいのだそうだ。
いや、急いではいるのだが──だからといって生き急ぐつもりはない。
夜が危険だというのなら、俺はそれに従うだけだ。向こうの三人もそこまで急いで動いているわけじゃないのだろうし、その分の遅れは別の所で取り返せばいいだろう。少なくとも、ニーデルの街には数日滞在していたそうだし、次の場所にも一日か二日ほど滞在したとして、確かに俺も俺でそれくらいの期間の滞在は必要なのだろうが、なんとかすれば追いつける気がしている。
だが、問題もある。それは旅費だ。確かにリゼルさんから貰った分の金はまだ残っているのだが、稼げるときに稼いでおかなければ、必要な時に金が無いという事態に陥りかねない。金無いのだ。
だから次の場所、名前は確かランガーの村──だったか、そこででも何か仕事をしてみるのがいいのかもしれない。こんな世界なのだし、履歴書なども必要はないだろうし、日雇いで何とかなればいいのだが。だからといって延々と金を稼ぎ続けているのではいつまでたっても追いつくことができない。向こうは俺と違って国側からの援助も受けているのだろうし、宿泊費や交通費を稼ぐために働いているということも無いのだろう。
もしかしたら道中で魔物を斃させるために、わざとその援助を渋っているという可能性が無いでもないのかもしれないが。いや、寧ろその方がこちらとしては都合がいいのか。否が応でも足止めを喰らうわけだから、その分俺が追いつける可能性が高まるのだし。
もし本当にそんなことをしているのであれば、なかなかどうしてふざけた連中だが。
そんな風にして出立した俺だったが、到着したのはこれまでの街などと比べるとかなり寂れている。街ではなく村の時点でそんなものなのだろうが、日本の田舎の風景さえろくに知らない俺としてはそこそこ新鮮と言うか、言ってしまえば衝撃的な光景であった。
こんな場所に人間が住んでいるのか──と。
かなり失礼な感想ではあるのだが、現代での生活に浸りきった人間の感想としてはこれを素直にすんなりと受け入れてしまえる方がおかしいというもの。捉えようによってはこんな場所でも人間は存外暮らせていけるものなのだなと思うこともできるのだろうが、俺としては御免被りたい所存である。
早く帰らねばならないのだし、どうせ明日には出て行く村でもある。
そんな事を思っていたのだが、その意に反して、俺はこの村に滞在しなければならなくなってしまった。
というのも、俺は最短経路を通っていきたいとのことで、馬車に乗ってから終点であるこの村まで数時間ほどガタガタと揺られていたのだが、俺が馬車を降りる頃には、他に人がいなかったのだ。勿論馬車を動かす人はいるわけだが、俺以外は既にその手前までで全員が降り切っていた。
俺は初め、それを全く不思議には思わなかった。この馬車を電車やバスのようなものだと考えていた俺からすれば、終点に着く頃には車内が無人になっているということも決して珍しいことではなかったし、ましてやこの馬車はそもそも電車やバスなどと比べて乗れる人の数には大きな差があるのだから、そういうこともあるのだろうと考えていたのだ。
事情を知っていればそれこそ、俺はこの村では降りなかったかもしれない──いや、降りてから思ったことなのでこれには何の意味もないのだが、思えばそれを示唆していた場面自体には俺自身幾つか心当たりもあったのだ。この村の一つ前で降りようとしない俺を奇異の目で見る他の乗客だったり、俺を降ろすなり爆速でどこかへと逃げ去っていった御者だったり、この村に漂う不吉な空気感だったりだとか。
そこでおかしいと思えなかった──たとえ全く別の世界だとてそこら辺の反応は同じはずだという当たり前の事さえ頭から抜けていた俺のミスだった。
根本的な話をすれば別に俺は何も悪いことはしていなかったのだが、これに関しては運の悪さや間の悪さというのもあったのだろう、話を聞いたときには思わず剣信さんたちを恨んでしまいそうになった。
俺は村に這入ると同時に嫌な空気感に包まれてはいたのだが、取り敢えず宿を取らなければどうすることもできないと考え、それらしい建物を探しながら辺りを散策していた。どれもこれも普通の民家にしか見えなかったが、その中に一つだけ大きめの建物を見つけると、取り敢えずそこに向かって行ったのだ。違っていたらそこで訊けばいいだけの話だし、取り敢えずどこかに入らなければと考えたが故であった。入り口付近には人が集まっていたし、その行動自体は間違っていなかっただろう。
「あの……すいませ~ん…………?」
何かを話し合っているような雰囲気の中、俺はそれに割り込むようにして話しかけた。初めは少し遠くから終わるのを待っていたのだが、なかなか終わりそうな気配が無かったため、致し方なく。すると、彼らはバッとこちらを振り返り、ぎょっとしたような表情でじっとこちらを見始めた。
何か不味いことをしてしまったのではという思いと共に、俺は一歩後退り、その瞬間、彼らに周囲を包囲されてしまった。もう最早何を言っているのかも分からない様な雄叫びを上げ始めた彼らに底知れない恐怖を感じていると、俺はそのまま担ぎ上げられ、その家の中に運び込まれてしまった。
「何……、何……!?」
何が起こっているのかさえ分からないまま連行されていくと、俺は木の椅子に座らされた。俺を運んできたうちの何人かが部屋の奥へと消えていくと、ややあって、慌てたように一人の老人が飛び出てきた。年寄と言うには少し動きがキビキビとしていて、もっと言えばコミカルな動きをしていたが、白髪も生えていたし年寄に違いない。
そんな彼は、俺を見つけると目を見開き、そのまま駆け寄って来ては俺の両手を取った。俺は身動きが取れなかったわけではないが、それでも何が何だか分からず、ただ為されるがままであった。
「な、あ、えぁ……な、何が……何?」
俺は何度か言葉に詰まりながらも、説明を求めた。すると、その老人は「やっとこの地にも来てくださったのですね」と言って涙を流し始めた。もう何が何だか分からないこの状況の不可解さが、俺を置き去りにしたまま一層加速するようであった。周囲の人間もこれでようやくだとか、救いはあったんだとか、正直言って気色が悪い。
そんな場の空気に耐え兼ねた俺がいつ逃げ出したものかとタイミングを見計らっていると、
「噂には聞いております。貴方が、かの勇者様なのですよね」
と、真っ直ぐに目を見て語り掛けてきた。
誰が勇者か。何と何を間違えたらこんな発想に至るのだ。そんな風に俺が呆気に取られていると、やはり周囲はこれで助かったなどと大はしゃぎをつづける始末。沈黙は肯定だという言葉を、俺はそこでようやく思い出した。そして、誰もこの状況がどういうものなのかを説明してはくれないのだろうなと、俺は何かあったのかと尋ねた──思えば、この質問はよくなかったのかもしれない。
彼らは俺がその質問をすると、期待に満ちた目を向けながら、この村に何があったのかを語った。
「あれは、今から数カ月ほど前の事です──」
どうやらこの村の付近に、盗賊──俺の認識からすれば犯罪者グループなのだが、そんな連中がいつくようになったらしい。当然そんな連中のすることは限られていて、この村はその被害に遭っているのだとか。
作物を奪われたり、金品を持っていかれたり、人が攫われたり。
度々救助を外に求めてはいたものの、それもなかなか聞き入れてもらうことが出来ず、彼らの中には諦めムードのようなものが漂っていたらしい。
そんな中、とある噂を耳にしたそうだ。
それが、黒髪の勇者が現れたという──そんな噂。
俺はその瞬間に気が付いた──これは俺の事ではなく剣信さん一行の話をしているのだということに。
どうにも噂というものは人や場所が離れていくほどにねじ曲がってしまうものらしく、それが三人組であるという情報だとか、彼らの見た目の情報だとかいうものが抜け落ちてしまっていて、ここにまで何とか伝わっていたのは、その勇者がとんでもなく強いということと、そして、その人が黒い髪を持つ者であるということ。
やはり黒髪はリゼルさんの言う通り目立つのだろう。馬車の中では特に何かを言われることも無かったが、確かに物珍しそうな目では見られていた。この村の場合、そんな彼らが来るのを待ち望んでいたというのだから、なおさら注目もするのだろう。
だが、俺は彼らではない。老人は話の中で、やれ竜を打ち滅ぼしただの、小鬼の群れを一刀のもとに殲滅しただの、どうにも信じられないような話をちょこちょこと織り交ぜてきていたのだが、俺にそんな実績はない。ましてや盗賊を征伐してほしいなどと言われても、俺にはその覚悟さえない。
だから俺はこの話をそもそも聞くべきではなかったのだろう。勇者なのかという質問の時点で、俺はキッパリとそれを否定して帰るべきだったのだろう。俺が話を聞くという選択をしたことで、彼らは俺が依頼を受けるために事情を尋ねたのだという風に勘違いをしている──祭り上げられている。
俺だって話の中でそれとなく否定はした。しかし、それは向こうにとって謙遜か何かのように映ってしまったのだろう、完全に聞く耳を持っていなかった。そして、話が終わって、俺は崖っぷちに立たされていた。
今このタイミングで俺がそれとはまた別の存在だということを明かしたとき、この人たちはどういう反応をするのだろうか──と、そう考えた時、俺は何も言えなくなってしまった。俺はそもそもこの村に宿を取ろうとしていたのだ。その状況で、ここまできて彼らを落胆させるようなことをした時、「ああそうだったんですかなら仕方が無いですよね」で終わる気がしていない。村を平和的に追い出されただけでも村の付近に盗賊がいるという時点で致命的だし、もし平和的に行かなかった場合が一番恐ろしい。
俺はどうしたものかと考えて、ひとまず今日は陽も暮れてきたからと、宿を取らせてもらうことにした。
そうだ、何も難しいことはない。取り敢えず一日だけここに泊まることができればいいのだから、それだけ出来ればあとは朝早く、皆が起きてこない内にここから離れればいいのだ。
と、考えていた俺が愚かでした。