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ガム  作者: アブ信者
1章
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転移

 人間には、進む道を定めなければならない時がある。


 それはいつなのだろう──と、考えた時、まず始めにやってくるのは中学から高校へと上がるそのタイミングだろう。


 どこの高校を選び、受験をするのか。


 勿論、受験をせず、進学をせず、そのまま就職をするという選択肢もある──と、そう言ってみたところで、大体の家庭では高校受験をさせるのが一般的で、そしてそのまま大学受験へと繋げていくのが普通だ。


 一昔前であれば普通とまでは言えなかったのだろうが、この現代社会においては、大学は普通の人間の通り道であり、親からすれば、就職活動に必要なステータスとしての大卒という肩書を自身の子に持っておいてもらいたいと考えるのは、やはり普通なのだろう。


 そんな親の庇護下でしか生きていくことのできない子としては、自身の意志がよほど強くない限り、大抵はその親の意志の下、高校に進み、大学に進む道を選ぶことになる。


 とは言っても、学生という身分は護られるものも多いため、社会に出るためのモラトリアムとして、世の学生はその身分に収まることを受け入れていたりするものである。


 早々に社会に出て行って働くことになるくらいなら、親の意志であろうと何であろうと、教育機関へと進み、自由な時間を得る方を選ぶのだ──時間はお金では買えないとはよく言ったものだが、それにも例外というものはやはりあるもので、義務教育終了後の学校での時間というものは、基本的にお金で買った自由な時間だと言える。


 もちろんそこでだって完全な自由時間というものは存在しない──授業もあるし試験もある、単位を落とせば問題なわけで、やらなければならないことは満ち満ちている。勿論学校側だって学生が次々にドロップアウトしていく環境を作りたいと願っているわけではないが、勝手に落ち零れていくような人間一人一人にまで手を差し伸べることはできない。


 だからこそ学生も、お金で買った──厳密に言えば親に買ってもらった自由時間の中で、日々苛まれているのである。


 悩みは尽きない、苦労は尽きない。


 そして、人生の岐路を定める二回目の機会というのは、もちろん人それぞれ分かれては来るのだろうし、人によってはそれが二回目ではないことも大いにあるのだろうが、共通して訪れる機会は、恐らく大学受験だと言えるのだろう。


 これは、高校を選ぶのとはあらゆる意味で重みが違っていて、人によってはそのまま人生が決定してしまうのである。


 教育者になりたい人間は、医者になりたい人間は、官僚になりたい人間は、人それぞれなりたいものはあるのだろうが、その道にあった大学を選ぶことになる。そしてそれは、完全にやり直しが効かないということはないにしても、一度決定してしまうと、引き返せないことの方が多い。


 だからこそ、人はそれを慎重に考える必要がある──にも関わらず、それを選べと言われてから選び終えるまでの期間はあまりにも短い。その選択肢が提示されるのが十七歳だとして、十八までには選び終えていないと間に合わないのだ。


 その先の人生は、日本人が特に問題もなく八十頃まで生きると考えて、残りは六十余年。青春を卒業し朱夏に這入る頃には、もうほとんど変えようのない選択をしなければならないのだ。


 早い──あまりにも早すぎる。


 十八の人間は、確かに八十頃まで生きると考えれば、もう既に人生の四分の一を終えてはいる。だが、自我をモノにし、自分の頭で物事を思案できるようになった時期がいつなのかを考えれば、十八という年齢はあまりにも若いのだ。


 社会経験もない状態で社会に出て行くための判断をしろ──そう言われても首を傾げてしまう人間が大半だ。


 それが優柔不断な人間であれば、それはなおさらである。


 判断能力に優れた人間というものは、それは選ぶ能力が高いのではなく、自分にとって不要なものを見分けて捨てる能力が高いのだ。そしてその能力は、捨てるという経験を積まなければ養うこともできない。


 捨てることは難しい。拾うことは簡単だが、それが自分の手を離れる時、人は大いに悩むのだ。


 そんな悩みを重ねるからこそ、人は自分にとっての無駄を削ぐことに慣れてしまう。


 これは悲しい事でもあるのだろう──だが、それ以上に必要な事でもあるのだろう。だから皆、そういう能力を高めていくのだ。


 そんなことを、俺は思う。


 ガヤガヤと騒がしさのある教室内──俺はその教室の中、進路希望調査として渡された紙を前に思い、悩むのだ。


 どこの大学に行けばいいのか、それを決める為にはまず、大学を出た後に何になりたいのかを決めなければならないのだろう。


 大学でなりたいものを選ぶのではいけないのだろうか、大学はそういう場所でしかないのだろうか。


 そんな事を思いながら、俺は唸った。


 先生は言った。ゆっくり考えればいい──だなんて、そのゆっくりにも時間制限があるだろうに、それには触れず、その紙を配ってから言ったのだ。


 自分も経験があるだろうに、それがどういうものなのか、分からない訳ではないだろうに、どうしてそう簡単に言ってくれるのだろうか。それとも悩んだことが無いのだろうか。初めから教師になることを志していたからこそ、一々悩まず、こんな紙には大きく『教師』とでも書いて提出できたのだろうか。


 そんな風に道を決められている人間がうらやましくてたまらない。敷かれたレールの上は歩きたくないだなんて、俺はそうは思えないのだ──いや、ほとんどの人間がそうなのかもしれない。


 誰かが全てを決めてくれて、俺はただ言われたことをすればいい──そんな人生を送り始めれば、それはそれで後悔したりもするのだろうが、今の段階では、決めることに悩んでしまうような今の段階では、どうにもそういう風にばかり考えてしまうのだ。


 決めたくない──俺の意志で決めると、それは間違っているような気がするから。


 決めたくない──決めるためにあれこれ調べなければならないのは面倒だから。


 決めたくない──自分で決めるとその選択に対して責任を持たなくてはならなくなるから。


 こうしてみると、こういう人間は人間として生きていくのに向いていないというか、人間として生まれてきたことが間違っているというか、人間として生きている資格が無いと、誰かからそんなことを言われているような気がする。神様あたりから叱られているような気がする──叱ってくれる誰かがいるだけでまだマシなのかもしれないけど。


 だがそれでもいつかは決めなくてはならない訳で、いつかは無理をしてでもその選択を捻り出さなければならない訳で、だとすれば、後回しにせず、保留せず、今すぐにでも何かしらの道を絞っていかないといけないのだろうが、それができるような俺なら、こうして悩んではいないのだ。


 その日は授業も全て終わっていたこともあり、俺はそのまま帰路に就いた。進路希望調査など受け取っていなければ帰り道にもあれこれ考えなくて済んだのかもしれないが、俺は思案しながらバスに乗り、悩みながら電車に乗り、車内で周囲を見回した。


 働いている人の姿が多数みられる。この時間なので学生が多いのだが、この時間以降は帰宅する社会人の姿も多い。彼らもこういう時期を乗り越えたのだろうか。それとも、ズルズルと選択を引き延ばした結果の今がある人たちなのだろうか。


 俺が降りる駅はちょうど混み始める一個前の人の乗り降りが少ない場所にある駅なので、俺はそれまでの間、電車内の広告をボケーッと眺めながら揺られていた。


 電車を降りると、明るいとも言えないが真っ暗というわけでもない黄昏時で、俺は改札を出てからしばらく歩き、道中にあるコンビニに立ち寄った。ちょうど俺の後ろを歩いていた人──とは言っても中学生くらいの女の子がいたのだが、その子も入店していた。


 薄暗い道だと後ろに誰かがいるというだけで若干警戒してしまうので、当然俺みたいなのが狙われる理由などないことは百も承知で気を張っていたのだが、コンビニに入ってその姿を確認できた時、少し安心した。


 そして俺はガラス張りの冷蔵庫(リーチインケース)からコーラを手に取ると、お菓子の置いてあるコーナーをうろつく。適当に目線を左右に遣りながら、何を買おうかと考えて──俺はふと、こんな買い物一つサッとできない自分の優柔不断さの様なものを意識した。


 これに関しては将来を選べないのとはまた違っていて、単に所持金が有限であるからこその悩みなのだろうが、それでも似たような気持ちにさせられたのは紛れもなく事実であった。こういう時、何を買うのかをパッと決められれば時間を無駄にせずに済むと思うと──純粋に悲しい。


 何買っても大体外れなんてないんだから、そこはコーラに合いそうなスナック菓子でも適当に選び取ってレジに向かえばいいのに、お菓子メーカーの試行錯誤を信じればいいのに、俺は結局のところで自分を信じられないからこうして悩むのだ。


 安定なのはいつもの奴なのだけど、いつも食べているからこそ、今日は違うのを選んでもいいんじゃないかとか、いつも選ぶ奴にはそれなりの理由があるわけで、新しいのを選んでみても結局そこまでの感動もないのだから、いつものを選んでおきゃよかったじゃないかってなるんじゃないかとか、そもそも俺は今日スナック菓子じゃなくてチョコ系の菓子を食べたい気分だったんじゃないかとか、だったらコーラを戻してチョコ菓子に合いそうな飲み物から探すべきなんじゃないかとか、最近は少し暑いからアイスなんかでもいいんじゃないかとか、でも帰るまでに溶けてしまいかねないのだから距離的にも微妙で、アイスを買うのなら家の近くのスーパーで買う方が安いしいいんじゃないかとか、いっそ今日は普段なかなか手を出さないコンビニスイーツなんかを買うのもいいのではとか、でもこれは値段の割に量がそれほどなくてちょっとがっかりさせられそうだなとか、そういえば俺の後からコンビニに入店した女子中学生はまだ何か選んでるのかとか、あの子も俺と同じような性格をしていたりするのだろうかとか、ジロジロ見て通報されたらヤバいなとか、そんなこと考えてる暇があるなら早く選べよとか──


「──またお越しくださいませ!」


 あれこれかれこれいろんなことを考えた末、俺はコーラとボトルガムを持ってレジに向かっていた。


 何となく目線を上げた時に目に入ったそれに、手を伸ばしていた。


 何でこんな事を考えたのかは分からないが、その会社が出してるいろんな種類のガムを一個のボトルに詰め込んだというそのガムが、優柔不断な自分の欲望を満たしてくれるんじゃないかと考えたのだろう。


 当然ながらコーラには合わないし、と言うかガムの時点で飲み物と合わせる物じゃないし、だったらガム以外で何か買えやと思わなくもなかったのだが、俺は結果的にそうしていた。


 こういう人間は考えたところで碌な結論を出すことができないのだ──それが、考えるのを嫌がり避けてきたからこその結果なのか、考えてもこの程度の思考しかできないから、考えることそのものを避けてしまっているのか──そのどちらかは不明だが。


 とにかく会計を終わらせた俺は、背後に「次のお客様どうぞ──」という声を聞きながら、その店を後にした。


 ここから家までの道はまた少しあるのだが、俺は大通りの裏手の道を歩いていく──目の前にはスーツを着た男女が。会社の帰りが同じとかそのあたりだろうか──そして、俺の後ろには先程の女子中学生らしき気配が。後ろを確認したわけではないので多分としか言いようがないが、どうやら店を出た後俺についてきたのだろう、小走りで近付いてくるのが分かった。


 何か用でもあるのかと思ったが、多分帰り道が同じとかそのあたりだろう。薄暗い道を歩くのが怖いから、取り敢えず大丈夫そうな人間の側にいるというのは、俺にも理解できる。制服だとかスーツだとかを着ている人間というのは、それだけでまともに見えるのだ──見えるだけかもしれないが、そうでない人間よりは、所属がハッキリしている分信用もできるというもの。


 それはいいとして、俺は歩きながら、先程買い上げたガムのボトルを開封した。パッケージを見るに、ガムと言えばな緑色のミント味だとか、少し刺激の強い黒いガムだとか、コーラ味の茶色いガムだとか、後はカラフルなフルーツ味のガムが入っていた。同じボトルにこうして入れてあると風味が移って滅茶苦茶なことになっていそうなものだと思ったが、噛んでみる分には特に問題もなさそうであった。


 まぁしかし、コーラ味があるのならなおさら、コーラを買う必要はなかっただろと思わなくもない。思わなくもないが、コーラとコーラ味はその実全く違う味だと言っていい。いや、これに関しては世の中の何々味というもの全般に言えるのだが。それを言い始めれば、俺はコーラ味以上にイチゴ味というものに納得いっていない。アレを食べた後にイチゴを食べた人間が、それらを同じ味だと認識できるとは思えない。少なくとも、俺は思えなかった。


 それ以外のフルーツ味は大体概ねまぁ納得できるかなという味なのに、イチゴ味だけ何故あそこまで似ていないのだろうか。このボトルの中にはイチゴ味のガムというものはなかったが、あったらあったで今以上に文句を言っていたのだと思う。


 と、ガムを噛みながら歩いていた俺だったが、ふと、違和感の様なものを覚えた。


 空気の様なものが、ガラッと入れ替えられたかのような気がした。屋外なのだから空気は常に入れ替わり続けているはずで、そんな感覚に陥ること自体おかしいのだが、確かに違ったのだ。


 それが何だったのかはよく分からないし、もしかしたら初めからそんなものは感じていなかったのかもしれない──後になってから、俺がそのあと起こることについて、さも初めから予感が出来ていたかのように振舞っているだけなのかもしれない。


 だが、俺がそんな違和感を宿したその直後、目の前から光が流れて来た。


 目の前が光ったのではなく、光の波の様なものが、その道に流れ込んできたのだ。


 前を歩いていた会社員たちを呑み込んで、俺を呑み込んで、多分後ろにいたであろうその子も吞み込んで──


 ──その場には、空になったガムのボトルだけが、残されていたのだった。

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