買い出し
翌朝、窓辺で鳴く小鳥の声でアナは目を覚ました。久しく忘れていた穏やかな朝を噛みしめる。体を起こすと、少し寒さを感じた。
寝る前にリセが用意してくれていた上着を羽織ると、ふわりと身体全体が温かくなった。扉を開けて廊下に出る。昨夜の宴がまるで嘘であるように城の中が静まり返っていた。
「おはようございます、アナ様」
ふとした声に驚いて振り返ると、目の前にリセが立っていた。
「うわっ、びっくりした」
「申し訳ありません。声をかけるべきだと判断しましたので」
「なんで?」
疑問が口から抜けていく。
「出歩かれるのに、靴を履かれてなかったので」
少し考えて、昨日渡された靴の事を思い出したアナ。自分の物と思ってなかったと考えていると、少しジトっとした目になって言葉を並べだした。
「…良いですか、アナ様。靴を履かなければ足を痛めてしまいます。怪我の具合も…スターチスさんの処置があったとはいえ、まだ好くないのですから」
「あ、あ~…でも、裸足の方が慣れてるし…」
言い訳を並べるが意味はない。
「慣れの問題ではないですよ。これからはもっと、ご自身を大事にしてほしいという事です。主様だけでなく、配下である我々も…貴女を大切に想っているのですから」
淡々とした性格と思っていたからか、温かな感情をアナは少し意外に思った。
「そういうもんなの?」
「そういうものです」
感情的な面を見せてくれたのは初めてだったから、こそばゆくなった。
「それで、どこに行かれるのですか?」
「ちょっと外の空気を吸おうかなって。山だからかもだけど、空気が美味しくて」
その言葉に少し考えこんだ後、声を発する。
「でしたら、良い場所がありますよ」
◇
一度部屋に戻ってリセに靴を履かせてもらうと、部屋を出て右に曲がる。
「この先です」
そこには大きな窓があった。リセはそれを徐に開けると先に出るよう促した。
「わぁ…すっごいね…!」
思わず大きな声が出る。そこには、広々とした空が広がっていた。流れてくる雲が身体と少し被って足元が朧げになる。雲を泳いでいるみたいで、とても幻想的な雰囲気を感じた。その端から下を覗くと、中庭が見えた。
「ここは屋上でございます。開放的な空間を作るために主様が作らせました」
「ここ、連れてきて良かったの?」
そう問うとリセは微笑む。
「アナ様が行きたい場所には、連れていくよう言われていますので。何より…私の知る中で最も空気が美味しい場所でしたから」
「ありがとう、たしかに靴は必要だったね」
踏ん張れなかったら直ぐに落ちるだろうなあ、と考えながら下を見る。中庭の方には、おそらくこれから仕事に出る軍の者が姿を見せていた。
「まだ陽が出て間もないですから、冷えますね…そろそろ戻りましょうか」
少し経って、リセが中に入るのを促す。それに賛同して部屋の方へと戻った。
◇
部屋に戻ると扉の前に魔王が立っていた。
「おお、戻ったか。起き抜けに出歩けるほど回復しているのなら良かった」
「おはよう。リセに案内してもらって、屋上を見てきたよ」
「そうか、あそこは良い場所だろう」
「うん、此処で一番いい場所かもね」
冗談と他愛もない会話を続けながら、共に食堂へと向かうことにする。さっきまでの静謐がまるで嘘かのように、食堂に近づくにつれて声が増えてきた。
「今日は朝でも結構いるんだ」
入口から中を見てアナがこぼす。
「早朝だからな。今から済ませて出る者が大半だ」
そう言いながら昨日と同じ席につく。近くをアゼットとその部下たちが通った。
「お、アナ。おはよう!」
「ああ、アゼット。おはよう」
アナへ挨拶をした後に魔王にも挨拶をする。もう出ていく様子だった。丁寧な感じで喋ることもできるんだな、とアナは感じたが、口にはしなかった。
食事が来た。今日は昨日と違うスープだった。手を合わせる。
「今日は図書館に行きたいんだったな」
「うん、あの時はあまり見れなかったから」
スープを一匙、口に運ぶ。
「マナリアにも告げておいた。前回は急だったからな」
口にスープを含んだ状態で肯く。頬が少し揺れた。
「お前の事を気に入った様子だったぞ」
「え、なんで」
「知らん、気まぐれな奴だからな。まあ大体暇しているだろうから良いだろう」
そっか、と返してまたスープを呑む。
◇
食事を済ませて席を立つ。ちょうど給仕部隊も朝の仕事を終えたらしく、調理場から元気に出てきたマカロンが、大きく手を振っていた。それを見て思い出したかのように魔王が口を開く。
「おお、そうだ。少し考えたんだがな…図書館に行った後は、ビスケット部隊の買い出しに付いていきなさい。ビスケットの方には十時に中庭で落ち合うよう言っているから、衣類や必要なものを買い揃えてくると良い」
急な申し出に少し驚く。
「あの時は、何日か後にするって言ってたけど…まあいいや。ビスケット、ってのは会ったことないよね」
「そうだな。だが、特徴的な外見であるから直ぐにわかると思うぞ。それに…部隊には会ったことのある者も所属していることだしな」
少し笑いながら言う魔王に、アナはなにか嫌な予感に襲われた。
◇
食堂を出て少し歩き、図書館がある壁に着いた。そのまま直進しようとする魔王に、アナが疑問を呈する。
「一階から入れるの?」
「昨晩、刻印を渡したろう。それで図書館の罠もすり抜けることが可能だ」
そう言われて昨晩の事を思い出す。手の甲に何かしていたのが頭に残っていた。
「ここ以外にも結構罠を張ってるとこあるの?」
「まあな、城まで攻めてくる者などほとんどいないが。念には念を入れておくのが、何事においても重要だろう」
それはそうだが、と心の中でアナは突っ込んだ。
「さ、マナリアが待っている。早く入ろう」
「そうだね」
壁を抜ける。扉をくぐるのとは違って、スッと入り込んでいく。液体のようなモノが体を覆っていくが、何かに当たっている感触はない。身体をそれが覆ってから数歩、前に進むと図書館に出た。
「あら、いらっしゃい。待ってたわ~」
大きく一つ伸びをして、浮遊した状態で近づいてくる魔女。
「ここを気に入ってくれたみたいで嬉しいわ」
「おはよ、マナリア。気に入ったってのもあるけどね…やっぱりちゃんと顔を出しておいた方が良いかなって思って。此処で暮らすことにしたからさ」
律儀ねえ、と笑う。
「そう畏まらなくてもいいのだが…」と魔王が口を挟む。
「アナがそうしたいってことでしょ、全く貴方って人は…」
水掛け論で少しの痴話喧嘩を見せられたアナは呆れた顔で待っていた。少しして気づいたかのように声を投げてくる。
「…オホン。ええと、読みたい本があったらいつでも言ってちょうだいね。私は大体カウンターの方で暇してるから」
「うん、頼りにするよ」
魔王と同じ言葉に少し笑って返事をした。
色んなタイトルの本がずらりと並び、本棚が彩っている。一つ取ってぱらりとめくる。多少読むことは出来るが、内容はてんで理解できない。
「其処らのはアルの趣味で置いてるものばかりだから、アナには少し難しすぎると思うわよ~。二階のちょうど真上部分辺りは、読みやすいかもしれないわ」
カウンターの方からした声にありがとう、と返して階段を上がる。魔王は、昨日と同じ席で本を読んでいた。
「ちょうど真上部分、この辺かな」
さっきのモノより少し厚さが薄い本が並べられている。
開くと童話のようで、触りだけ読んでみても、難しい言葉はあまりなかった。何冊か面白そうなタイトルを取ってカウンターに向かう。
「あら、読んでいかないの?」
少し残念そうに貸出処理をする魔女。
「うん、読んでっても良いんだけどね。今日はこの後、出なくちゃいけなくなって。服を見繕ってもらうらしいんだ」
「あら、素敵ね」
と言った後、少し悩む様子を見せる。
「…私も行こうかしら」
「あんたはここが持ち場なんでしょ」
アナは笑って本を受け取った。
「ビスケット調理部隊ってのに付いてくんだけど、どんな奴らなの?」
そう問うと難しそうな顔をした。
「え、なにその顔。変な奴らなの?」
「良い子たちではあるんだけど…給仕部隊はそもそも、変な子が多いから…」
その言葉に少し不安を感じる。
「上手くやれるかな」
「どうかしら…『《《全にして個》》』が彼女たちの性質というのもあるし、貴女もリセたちと上手くやれているから大丈夫だとは思うけど…」
そっかぁ、と俯きがちになるアナを見て、マナリアは近寄り頭を撫でる。
「大丈夫よ。アルを信じるって決めたんでしょ?だったらドンと胸を張って前を向いてればいいの。そうすればきっと大丈夫」
照れながらも礼を言う。そうして借りた本を抱えて魔王と共に部屋を出た。
◇
「さて、そろそろ中庭に行こうかな」
短編集を読み終えて外着に着替える。今回は手伝いなしで出来た。
靴の歩きやすさを改めて実感しながら中庭に出ると、マカロンやマドレーヌと同じ格好の者が、二十人ほどで隊列を組んで並んでいた。
先頭、背を向けているモフモフしたピンクの長髪を靡かせる女性が、気づいたのか、アナの方へと振り返った。
「おう、アンタがアナだな。魔王様から聞いてるよ。私はビスケット、此処の調理部隊の部隊長を務めている。以後、よろしく頼むな」
思っていたよりちゃんとしていて、アナは面食らった。
「…おーい、大丈夫か?ぼーっとしてるけど」
呆けていたアナに声をかける。
「ああ、ごめん。よろしくね。イメージと少し違ったからびっくりしちゃった。変な奴が多いって聞いてたから」
「変な奴ぅ?ああ、まあ多いとは思うが…」
多いのかよ、と突っ込みを入れる。
「でもみんないい奴だから仲良くしてやってくれ」
さっぱりとした顔で笑う。
「アナちゃ~~~~~ん!!!!!」
途端、大きな声がアナの耳に入る。嫌な予感とは、的中するものだ。
「…わぷっ!?!?」
こいつはいちいち抱き着かなきゃ挨拶できないのか、と少女は頭を揺らされながら考えていた。
「マカロン、アナが苦しんでんだろ。離しな」
「あ!ごめん、アナちゃん!!」
ビスケットの言葉で落ち着く。
「…っ、大丈夫。まさかマカロンもいるとは…」
「だってマカロンも調理部隊だもん!!こう見えても!!!」
「調理に集中出来なそう、邪魔とかしてそう」
「出来るもん!!!」
「でけぇ胸は、邪魔になってるかもな」
笑いながら横からビスケットが口を挟む。
「何おう!!」
ムキになって顔が膨れていく。そのまま浮いていきそうだ。
「もう少し落ち着きなさいと言っているでしょう、マカロン。何にも全力なのは貴女の良いところだけれど、他者に迷惑をかけるのはダメです」
マカロンの後ろから進み出た一人の給仕を、アナは以前に見たことがあった。
「アナ様、昨日ぶりでございます。私、マドレーヌと申します。初めてお見掛けした際に挨拶が出来ず申し訳ありません。これからよろしくお願いしますね」
ああ、そうだ、と思い出す。マドレーヌ、あの時マカロンを叱りながら入ってきていた給仕である。
「大丈夫、よろしくねマドレーヌ」
「ありがとうございます」
横でまだ膨れてる様子のマカロンを放っておいてビスケットが話し始める。
「二人は会ったことあるんだったな…じゃあ今日の買い出しは、二人はアナに付いててくれ。主に服を任せる」
「承知しました」
「は~~い!!!」
部隊全体に出発の号令を出す。皆各々の役割を確認して歩き出した。
外庭を抜けて南に進むと大きな門があった。城の門よりもいくらか大きい。上の方は少し霞んで見えるほどに高く聳え立っている。
「わ、大きいな」
「外に繋がる門だよ。外敵の侵入を阻む機能もあるんだ~」
「これを越えて入ってくる奴、いるの?」
「たまーにね。めんどくさい奴」
本当に面倒臭そうな顔のマカロンに思わず吹き出す。
「あんまはしゃいでっと、こっから先で逸れるかもしれねえぞ~」
ビスケットが声をかける。
「分かってる、気をつけるよ」
「ならいいさ」
門を抜けて広い平野を進んでいく。道は整備されていて所々に建造物もあり、辺りはとてもひらけている。今日は最も近い街に出るらしい。
平野には魔獣がたくさんいた。アナが施設で戦わされていた魔獣とはまた違っている。猪だったり鹿だったり、鳥だったりもいた。どれも凶暴そうだったけど、調理部隊の奴らに怯えていたみたいで、大人しくしていた。
「大体どれくらいで着くの?」
「そんなにかかんねえよ、十五分くらいか?」
「そうなんだ、意外と近いんだね」
「まあ、城下町だしな」
出た単語に困惑する。
「城下町って、城のすぐ近くにあるモンじゃないの?」
あー、と少し説明に詰まる様子で話す。
「ウチはちょっと違うんだよな。城の領地が広すぎるせいで、壁の外縁付近にある街は軒並み、城下町ってことで扱ってんだよ」
アナは納得を見せる。
「東西南北それぞれあってな、今日行くのは南の街、トルッカだ。ウチの領地内でも物流がかなり盛んでな、買い出しはこの街で済ませることが多いんだよ」
「四つも城下町があるの?」
「まあ明確な境界はないけどな。っと、そうこう言ってるうちに見えてきたぜ」
指を伸ばす先に大きな門が見えた。
「さっさと済ませちまおう。気に入った服、見つけてきな」
近づくと賑やかな声が聞こえてくる。魔王軍ほどではないが、かなり多くの人々でごった返していた。
「…予想はしてたけど、やっぱり多いね」
「まあ城下町だしなぁ、特に昼前で用がある奴らばっか、ひしめいてやがるし」
邪魔だというような顔で吐き捨てるビスケット。
「おっし、お前ら。事前に分けていた通りに調達を済ませな。二時間後にまたこの場所で集合だ。では、解散!」
ビスケットが号令をかけると部隊の者たちは各々の担当を済ませに散開した。
「じゃ、行こっか!」
「ええ。アナ様、服屋に向かいましょう」
アナは、マドレーヌとマカロンに促されるまま後をついていった。
読んで頂きありがとうございます。
買い出しが続きます。見守ってあげてください。