飲めや騒げや
部屋に入るとアナはベッドに転がる。今になって緊張が来たのか、手が少し震えているのに気づき、少し驚く。
しばらくして二つ、ノックがした。返事を返すと扉が開き、魔王が入ってくる。
「部屋に戻っていたのか。宴の準備が済んだ。主役のお前が来なければ始まらんからな、すぐに向かうとしよう」
主役と言われても、アナにあまりその気はなかった。
人間と魔族は根底で違っている。だからこそ、アナが中心に居ることはどちらにとっても良いとは言えないと思っていた。
「そう案ずるな。お前はまだ若い。心に正直に生きていればそれで良いのだ。宴も出たくないのであれば、無理にとは言わない」
魔王もまた、悩みを顔に見せるアナを心配している。
「大丈夫、踏み出すならアタシからだって、そう思うから」
小さく勇気を出して少女は魔王の後を歩いて行った。
◇
「陛下!!もう皆集まってますよ!!」
少女が案内されたのはとても広い空間、給仕が言うには大広間らしい。すでにオーケストラの音が聞こえてくる。中央ではジャズに合わせて、軍の者たちがダンスを踊っていた。様々で皆踊りたいように踊っている。その者たちを見てアナはふと気がつく。
「なんだか、色んなのがいるね」
耳長種、牙豚種、狼頭種、鳥人種…多様な亜人種族だけでなく、スケルトンやゾンビなどの不死種族も居た。アナにとってはどの種も目新しかった。
「さっきも思ったけど、すごい人数だよね」
率直な感想を投げる。
「そうだな、もとより私の代だけではないというのもあるが…それでも、この集積を、私は誇らしく思っている」
一つ、微笑みを浮かべる。先代から続くからこその文明であると、アナが納得を示していると、遠くから声がした。
「おーーーい!!!アナちゃーーーん!!!」
マカロンだ。大声と共に飛び込んでくると、勢いのままアナに抱きつく。スライムみたいな大きい胸が頭にぶつかり、アナの頭を柔らかく揺らした。
「っわぷ…!!」
思わず声を漏らしたが、当の本人は気にも留めず騒いでいる。
「アナちゃん、さっきの演説かっこよかった~!!ここに居るって決めてくれてありがとね!!これからいっぱい遊びたいな~~~!!!」
「ぷはっ…ありがとね」
胸から顔を抜き出し、ようやく息をついて言葉を発する。
「あっちにね!!ロッソ豚の丸焼きがあったんだ~~!!!しかも!!成体のだったから、かなり大きかったよ!!食べに行こうよ~~~」
そうやって腕をひっきりなしに引っ張る。
「わかったから、引っ張るなー!」
そう和やかに騒いでいると、軍服を着た男がアナたちの方へ歩いてきた。
「何やってんだアホ助」
「げっ、アゼ兄…」
男を見るなり、マカロンは動きを止めて嫌そうな顔をした。気にせずに魔王へと挨拶をした後、向き直る。
「あんまり新入りに面倒掛けんなよ…すまねえな、こいつはアホだからよ。あんまり悪く思わないでやってくれ。えっと…アナだったか」
白髪褐色の好青年、体格は細身だが無駄な肉が無く引き締まった筋肉質で、背丈はマカロンより頭二つほど大きい。耳が少し長くおそらく長命種だろうことが伺える。
「うん、大丈夫。それで、あんたは?」
と、アナが問う。
「ああ、名乗るのが遅れたな。俺はアゼット。戦闘部隊の副大隊長と、第一部隊長を務めている。力仕事なら気兼ねなく言ってくれ。菓子ひとつで手を打つぜ」
安上がりだ、とアナは感じたものの、口には出さなかった。
「アゼ兄はね~…普段は周辺警備を任されてるから、おやつのお菓子を食べ損ねることが多いんだ~!だから見返りに菓子をもらってるの。こう見えてけっこう力自慢だから、いっぱい頼ってね」
「なんでお前が言うんだよ」と、苦笑して突っ込んでいる。
「必要になったら頼むかも、そん時はよろしく」
社交辞令を飛ばして微笑む。
「…ところで、勇者なんだってな。強いのか?」
急に距離を詰めてくる。マカロンほどはいかないが、この男もかなり距離感がはかれない者のようだ。
「手合わせしたいんだが、いいか?嫌なら構わないんだが」
「もう、アゼ兄。アナちゃん困らせないでよ」
(お前の時ほど困ってないが)
「お前よりは困らせてないけどな」と男が言う。
なぬっ、と声をあげて項垂れる。
「まあ、ちょっとくらいなら。でもアタシ、そんなに強くないよ」
「いいんだ、職業病みたいなもんでよ。仲間の力量を知っておいた方が、何かと便利ではあるんだ。とりあえず中庭に出るか」
◇
流されるまま外に出た。アゼットは少し離れるとアナへ向き直り声をかける。
「武器はどうする?俺ぁ素手でも構わねえが」
「出来ればあった方が良いかな。素手だとアタシの勝ち目ゼロだし…なんなら、そっちだけ武器無しでもいいんだよ?」
茶化すアナに笑って、そうかと言うなり手をかざす。手の先から光が長く広がっていき、一本の槍が現れた。男は構える。
「死ぬ気で打ち込んできな」
魔王ほどではないが、かなりの気迫を纏っている。これほどの圧を感じさせる存在が一つの部隊長だとは、アナには俄かに信じられなかった。気圧されながら魔王から渡されていた短剣を握り、相手を見る。
「いくよ」
踏み込み、飛び出す。短剣を振りぬき首を狙う。反応が早く、はじかれる。勢いのまま体をひねり、次の剣撃を打ち込む。柄で受ける。そのまま受け流されて、転がる。勢いを殺し顔をあげると、穂先があった。
「詰み、だな」
「まだだよ」
一瞬の隙を突き、穂先を短剣ではじく。すぐさま前に踏み込み心臓めがけて剣先を突き立てる。獲った。と感じた刹那、柄を回して短剣にぶつけられた。
「っぐ…!!」
狙いの外れた剣先は相手の脇を抜けていく。流れた身体を蹴り飛ばされ、地面で跳ねた勢いを使い、宙で返らせ体勢を直す。
一瞬の判断が大きな、逼迫した戦闘。これまで経験したものが微温湯だったと、そう少女に感じさせる。
何度打ち込んだろうか。施設に居た頃よりも、動いているようにアナは感じていた。肩で息をつくが、決して相手から視線を外すことはしない。
「さすがに勇者、なかなかに良い動きだ」
息一つ切らすことなく、にこやかに笑う。
「ハァ…ハァ…あんたの強さは、分かった…アタシの現状は、あんたに勝てないってことも、ね。だから…」
一つ、深く息をつく。
「こっからは殺す気で行く」
鼓動が早くなる、全身に力が入る。全霊で命を感じている。
「ああ…だったら俺も、本気で相手をするよ」
態勢を整える。構えが変わった。
互いに踏み込む。剣先と穂先が、交わった。
「そこまで」
途端、声と手を叩く音がして、互いの位置が入れ替わっていた。
「へーかぁ、そりゃねえっすよ~…せっかく盛り上がってきたのに」
一瞬、アナには理解できなかったが、アゼットの言葉で魔王が何かしたことを悟った。疲れが身体を一気に襲い、ペタリと座り込む。
「戯れも熱が入れば死合になる。武技を使えば尚更だ。緊迫した戦闘が楽しいのは…私にも分かるが、節度は守らなければな」
「ちぇっ…分かりましたよ」
不満を隠さずに不貞腐れている。
「やっぱ実戦に慣れてる奴は強いんだね」
その言葉に少し面食らった様子を見せたが、直ぐに笑った。
「まあな、毎日鍛えてっから」と、手を差し出す。
出された手を掴み、握手をした。マカロンが駆け寄る。その後は少しだけ、三人で他愛もない時間を過ごしていた。
「おっ、メインディッシュが来たみたいだな。そろそろ戻ろうぜ」
大広間の方へと歩いていく。魔王の横でハーヴェがアナたちに手を振っていた。
「アナ様、アゼットも。メインディッシュが出来ましたよ。私も威信をかけて食材を獲ってまいりましたから」
「へぇ、ハーヴェが獲ったのか。久方ぶりで腕は鈍ってなかったか?」
煽るような顔で笑って言う。
「ええ、先程の貴方のヌルい動きよりは」
気の置けない仲なのか、軽口を叩き合っている。
◇
大広間に戻ると、中央に巨大な皿があった。両端に魚の頭と尾びれがデカデカと置かれていて、本来身体がある部分には様々な魚料理と思われるものが盛り付けられている。皿の前でマドレーヌやマカロンと同じ格好をした給仕が何人か、皿の上を説明しているのが見えた。
「皆様、本日のメインデッシュ、巨大回遊魚を使った、海鮮盛り合わせがご用意できました~。焼き物、煮物、揚げ物から生まで、お好きなものをお取りください」
一つ一つ説明をするが、アナの頭には入らなかった。
「どれが欲しい、取ってやろう」
ずいっ、とアナの隣に魔王が来る。
「じゃあ、あの焼いてるやつ。キャベの上に乗ってる」
「ああ、これだな。柔らかいが少し骨がある。取っておこうか」
いや、いいよ。と制止する。そうか、と答えて皿を渡す。
「昼に肉を食べることが出来ていたからな…消化器官の修復も少しずつ進んでいるとは思うが、よく噛んで飲み込むようにな」
「わかった、ありがとね」
皿を受け取りフォークを刺す。少しの弾力があるが、スッと入っていく。一口、含む。素朴な味わいで、繊細な香りが口に広がる。舌触りが良く、溶けてなくなるような感覚が、アナを満たしていった。
「美味い、ね。肉とも野菜とも違ってる。独特な感じ」
「ハハッ、口に合ったのであれば良かった。給仕も冥利に尽きるだろうさ」
アナは、給仕に感謝をした。今度リセにちゃんと言わなきゃなと感じる。
「アナ様が気にすることはないですよ」
と、いつの間にか隣にリセが立っていた。急な言葉にびっくりする。
(今、普通に考えてることを読んできた?)
「そう驚かずとも大丈夫です。癖で見ているみたいなものですので」
(続けるな、続けるな。まだ頭で分かってないんだよ)
「なんで考えてることがわかるの?」
「読心術を心得ていますので。未だに推測の域を出ないもので、完璧に、とは言えませんが…」
読心術と言っても、そこまで読めるものなのか…と、アナは感心する。
「リセって出来ない事あるの?」
「出来ない事の方が多いですよ。給仕として出来る事をこなしているだけです」
そう言って優しい微笑みを浮かべている。同じ給仕でもマカロンとは違って、控えめな奴なんだな、と感じた。
◇
食事も終わり、アナは魔王軍の奴らと少し話したりもしながら、宴の時間を過ごしていた。楽しさによる高揚感、熱をもって身体を満たしていくそれを冷ますために、人気のないバルコニーで風を仰いでいると、後ろから声がした。
「楽しめているか、騒がしいのが苦手だったら難しいかもしれないが」
「楽しいよ、こんなに騒がしいのは初めてだったけど」
「そうか」
そう言うとアナの横に腰を下ろして続けた。
「今日は特別騒がしいからな。合わせずとも、自分のペースで歩み寄ってくれれば、皆それに応えてくれる…少しずつで良いのだ」
「分かってるよ」
グラスに一口、言葉を紡ぐ。
「実はな、配下にお前のことを調べさせている」
急なことに、アナの頭は困惑で満たされた。
「お前をこれから養っていく以上、それを知る義務があると考えた。何より…お前をあそこまで追い込んでいたモノを知っておくべきと感じたからだ」
「信じるって言ったよね」
「無論、信じているとも。お前を信じた上で、それでも知っておかなければならないことを調べている。まあ、大方予想通りだったが」
「じゃあ、もう知ってるの」
「ああ」
「そう」
一時の沈黙を切り、アナが声を発する。
「たぶん、全部本当だと思うよ。その情報」
「そうか、では」
「まずは村を滅ぼそうか」
またもや、アナは困惑する。
「滅ぼす…?」
「ああ、もちろん。お前はすでに私の仲間、家族のようなものだ。であれば、家族を傷つけた者たちは消すのが私の道理であるからな」
言っていることは耳に入るが、頭で理解するのが難しかった。
(確かに、アタシはこいつのとこに居るって決めたし、それが家族みたいなもんだってのも大体わかる…それでも、アタシの過去は、ただの過去だ)
アナにとっては、それに時間を割かせたくなかった。
「別にいいよ。あんたが手を出さなくても」
「世にはケジメと言うものがある。あの村の者たちがどれほどの事をアナにしたのかは、まだ私は知らないが、少なくとも傷つけたことは分かっているのだ。それ相応の報いを受けてもらわねば、何より私の腹が収まらん」
ナンギな性格だ、と思った。しかしアナも、そこまで思ってくれるのに悪い気はしなかった。
「アタシだってあいつらが憎い…それでも、アタシの過去を綺麗にしようとしなくていいから。これからが汚れなければ、それでいい…信じさせてくれるんでしょ」
しばらくの間葛藤していたが、意を決したように声を出した。
「お前がそう言うのなら、私も呑まねばなるまい。だが、これからは過去ではない。お前は私の仲間だ。そのお前に今後も害をなすような者が出てくれば、容赦はしないとも。そこだけは、納得しておいてくれ」
「分かった、ありがとう」
返事に安心したのか、少し顔を綻ばせる。
「というか、調べたってことはあいつらの事も、もう知ってるってこと?」
「ああ、それに関してはお前を拾う以前より知っている。と言うよりも、お前の方が知らないだろう。ほとんど監禁に近い状態だったのだから」
そう言われて、少女は耳が痛くなった。
「良い機会だ。ここで説明しておこうか」
「あんまり難しくしないでなら」
善処する、と言って魔王は話し始めた。
「まず、現在の世界の構造についてだが…ここは大丈夫か。魔族と人間が対立していて、世界の半分を三人の魔王が分割統治している。魔界は国が三つに対して、人間側はそれよりも多く国家がある…大丈夫か?」
「うん、大丈夫」
「その人間側には、大きく二つの宗教がある」
宗教?と問うアナに、肯きで返し続ける。
「そうだ、白鯨教と黒兎教と呼ばれる其れらは、人間の心の支えとなっている」
へえ、と薄く関心を示して、一つの疑問をアナが呈する。
「勇者ってどっちの宗教に居るんだ?どっちにも?」
問いに対して、首を横に振り応える。
「三人の勇者は皆それぞれ、どちらの宗教にも属していない」
「え?どういうこと?」
「勇者にとって信仰すべきはただ一柱の神のみ。白鯨や黒兎などは、信仰の対象にはならない。また、彼らは人間を守ろうとも思っていない。拝命した役割をただこなす為に、自身の矜持を掲げている。無論、二つの宗教はこれを良く思っていない」
「でも勇者は…もしかして…」
何かに気づいたように魔王を見る。気づきたくなかったことに、自分から気づくことになってしまった。
「ああ、そこでお前の居た施設が出てくる。あれは勇者を無理やり生み出すための養成施設だ。素質を持ったモノを強制的に連れてきて育成する。人体実験も厭わない。勇者と魔族に対抗するための人間兵器を造り出すためのものだ」
(やっぱり…ということは、アタシは…)
「アタシは本当の勇者じゃないってこと…?」
それは違う、と否定する。
「どういうこと…?」
「お前には聖痕がある」
「それが、どうしたの」
一口酒を煽ってまた喋り出す。
「演説の際にも言ったが、勇者の選定は神の演算によって行われる。その結果、神からの寵愛の印として身体の何処かに聖痕と呼ばれる逆十字が刻印される。人間の手によって造られる勇者にはこれがない。故にお前は真なる勇者なのだ…理解できただろうか」
そっか、と少し落ち込む。
「…気を悪くしたなら謝ろう」
俯きがちに首を横に振る。少し残念に思ったのは、言わなかった。
「じゃあ、なんでアタシはあそこに居たの?」
「それなんだがな…お前が勇者であるという事を聞きつけたその施設の者たちが連れ去ったものと考えられる。おそらく聖痕があることを村の人間が知り、お前の親に手をかけると同時に、施設の方にも露呈していたのだろう」
怒りが込み上げてこない自分に、アナは胸中で少し驚く。両親が殺されたことを思い出して、また悲しくなるだけだった。
「勇者を自覚したばかりで困惑しているお前を、精神操作して自分たちの良いように育成すればいいと考えたんだろうな…どちらかは知らんが、手段を択ばず他者犠牲を行う点が頭にくる…」
怒りを露わにする。怖い顔をしていたため、少女は目を逸らした。
「どちらか分かり次第、潰しても構わんが…それはお前が嫌うのだろう」
「うん、怒ってくれるのは嬉しいけど、その手はクズを払うのに使わないで」
わかった、と少し微笑んで切り替える。
「さて、そうなると何がしたいか、だな。今後の目標でもいいだろう。やってみたいことはあるか?今までできなかったこと、本当はしたかったこと、何でも言ってくれ。私の届く範囲なら全て応えて見せよう」
そう聞かれて考える。ふと、一つ頭に浮かんだ。
「だったらまずは…」
「また図書館に行ってみたいな」
これまで読んで頂き、ありがとうございます。
これからも引き続き、アナの成長、また、魔界での日常を見守ってくださると嬉しいです。