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一つの決意

 所在なさげに少し離れた席で書物を読む魔王をよそに、魔女は話し始めた。

「あなたの事はすでに聞いてるの。聖痕を持つ四人目の勇者…どうしてあなたを連れ帰ってきたのかは私の知る所ではないし、彼のすることを諫めもしない。それでも、一つ聞いておきたいことがあって…」


 少し言い淀んだものの、問いを投げる。

「どうしてあなた、素直に従ってるのかしら」

「別に、特別何かあるということでもないけど。物珍しい場所ではあるし、見ておきたいなって思っただけ」


 アナの言葉を聞き少し考えこんだ後、魔女は続ける。

「では、率直に。あなたがスパイである可能性は?珍しさだけで嫌いな種族たちの世界になんて、居座りたくないでしょう?そんなの、狂人かスパイくらいだもの」

 身体がびくりと固まる。実際にスパイではないのだが、アナにとってはその言葉が少し緊張を強めるものだった。

「…違う、スパイじゃない。でも…理由がないとも言えない」

「と、言うと?」


 魔女は次の言葉を待っている。一つ息をつく。

「言っておくと、少なくともアタシは人間が嫌い」

「ええ、そう」


「人間がアタシを嫌う理由の、魔王も嫌い…魔族も嫌い。だから、全部壊そうと思ったの。そのために敵情視察は大事でしょ?」


 打ち明けた独白、数分の沈黙、のちに魔女が切り出した。

「なんだ、そういう理由ね~。だったらいいわよ、別に見て周っても」

 意識外の言葉に力が抜ける。

「…あんたもしかして自分は大丈夫だと思ってるの…?アタシは誰に情けをかけることもしない、あんたも魔族、だから殺すよ」

「ええ、だからいいわよ。だってあなた、弱いもの」


「なっ…!?」

 少女は思わず怒りを露わにする。魔女は気にせずに続ける。

「ああ、もちろん能力的な問題ではないわ。勇者と言うだけあってポテンシャルは素晴らしいし…あと数十年すれば、アルとも良い勝負すると思う。でも私が言っているのはそうじゃない。分かるでしょ?」

 マナリアはアナの方をじっと見つめる。

「真に弱いのは心。あなた、自分の心の弱さを棚置きしているでしょう。先程の目的とやらを聞いてそう感じたわ。自分がないもの…」

 だったらなんだ、と口をつく前に魔女は言葉を続けた。


「その心の弱さは、真に大切な場面で必ず出てくる。それこそ、あなたの目的が達成できるかどうかってほどに重要な場面でね」


 ずけずけと、遠慮なく入り込んでくる。アナは痛いところを突かれた、と感じたが顔には出さないように努めるのに精いっぱいだった。

「あんたに言われなくたって…」

「分かってるって?分かってないわよ。少なくとも自分の意思で今ここに居るなんて思ってるのならね」


 どういう意味、という言葉は口から出ない。心当たりが無意識の中で小さく、引っかかってしまっていた。

「心が弱いことを私は悪とは言わないけれど、あなたにとってはその弱さは悪になってしまう…とだけ、忠告しておこうかしら」


 図星だと思った。少女は固まったまま、悔しさで圧し潰されそうだった。正確にはよくわかっていなかったけれど、甘えだと言われて、それが弱さであることを突き付けられて。

「心を読んだ気にならないで」

「別に、そういうつもりで言ったわけではないけれど。まぁ、そんなことは良いのよ。私があなたに知っておいてほしいのは一つだけ」


 そうして少し物憂げな表情を浮かべる。

「アルはね、大のお人好しなの。困っている者が居たら、適当に理由つけてなんでも拾い上げようとするほど、愚直なね。だから、自分の手の届く範囲である、あなたの心すらどうにかしたいと思っているのよ」

 なんだか少し浮ついた声音で話し続ける。

「私は彼のそんな所が好き…私も別に、あなたを完全に信用しているわけじゃないけど、彼が助けたいと思うなら、共に手を伸ばしていたい。それが私にとっての彼に対する忠誠だから」


「だから、なに…?アタシに手を取れって?」

「そうじゃないわよ。ただ、あなたを見てくれる人は居る。彼もその一人、それに付く私もその一人と言うだけ。その事実だけでも知っておいてほしかったの。たったそれだけ」

 魔女は落ち着き払っている。憐憫れんびん博愛はくあいも、その他諸々の感情をも含んだ目で、アナのことをじっと見ている。


「言いたいことはそれだけ?」

 魔女は一つ、首を縦に振る。

「…それだけなら、もう行く」

「ええ、また来てちょうだい」

 返事はしない。してしまえば、失ってしまう気がしてならなかった。





 二人は入ってきた別の方角にある、一階の扉から図書館を後にする。暇だったのか、魔王は少し眠たそうにしていた。

 それからは、中庭に出た。先程、窓から見えていた大きな鉄扉は出口ではなく中庭からの城への入口だった。


 アナは図書館を後にして以来、どこかぼうっとしていた。庭の造形がシンメトリーだとか、見たこともない植物が植えられているだとか、中庭担当の給仕の者にも会っただろうか、魔王に紹介されるそのどれもが頭に入ってこなかった。ただ、先刻のマナリアとの会話が、彼女の頭を支配していた。


 見てくれる人は居る。そんな人は、これまで居なかったというのに。もし居たのであれば、少女の両親は死ぬことはなかったのに、連れ去られ非道を受けることはなかったのに、年相応の無邪気さを今でも持ち合わせていただろうに。


 恨むべき敵が自身を見てくれるなどという戯言が、頭の中で巡ってアナを苦しめていた。そうやって苛立ちが抑えきれなくなったアナの顔を、魔王が覗き込んだ。

「まだ調子が悪いのであれば部屋に戻ろうか。どうせ今日だけでは案内しきれないからな、無理をしても意味はない」


「大丈夫、次はどこ?」

 即答で返したが、かえって怪しまれた。少し不満げな顔で給仕を呼ぶ。

「部屋に戻るぞ。リセ」

 手を二回叩く。足音もなく食堂に居た給仕が出てくる。

「こやつを運べ」

「承知しました。アナ様、失礼致します」

 そう言うなり、少女へと身体を向け、構えたと思うと…顔面目掛けて掌底しょうていを打つ。勢いのあまり、突風が吹いて、そのままアナにぶつかっていく。あまりにも早すぎた一瞬の出来事に、アナは気を失った。





 アナが目を開くと、最初に居た部屋のソファに座らされていた。魔王は、対面にあるもう一つのソファで紅茶を飲んでいた。その背もたれの後ろには、リセと呼ばれた給仕が立っている。


「おお、気が付いたか」

「何がどうなったの、確かその女が、アタシを…」

 そう言って額を撫でるが、痕どころか痛みすらない。

「直前で止めるように指示をした。リセの格闘術は我が軍でも随一のもの、拳圧で気絶させるくらい朝飯前というものだ」

 部下の能力を鼻高々と説明している。後ろに控える当の本人は、スンッとした顔をしている…いや、耳が少し赤い。照れることもあるようだ。そうして一つ咳払いをすると綺麗な声を発した。

「主様、恐縮でございますが…そろそろ、本題に入った方がよろしいかと」


「ああ、そうだったな。アナよ…何をそう考えこんでいる。マナリアと二人で話して以降だが、顔に少しの焦燥が見える。話してはくれないか」

 先刻から学んだのか、少し物腰が柔らかになっている。しかし、それでもアナは口を噤んでしまった。


「これからこの城に住むのだから、先刻も言ったが今後を円滑にするために、不満は出来るだけ解消しておきたい。言ってみてくれ」


 魔王が発した言葉を、アナは理解することが出来なかった。

「今なんて…?」

 咄嗟に吐いた言葉も、気の抜けた声に乗ってしまった。


「うん?何かおかしなことでも言っただろうか。すでに言っていたと思うが…」


「言ってないよ!!いや、おかしなことは言ってるよ!なんか違和感があったんだ…まるで何回もここに来るみたいな話だったから!!」

 感情が爆発する。アナは勢いで立ち上がってしまった。あまりに怒涛に喋ったからか、少し驚いた様子でアナの方を見ている。


「あんたも聞いてたでしょ。ずっとアタシらに付いてきてたんだし」

 そう、リセに促す。彼女は少し思案してのち、言葉を並べた。

「確かに主様は、はっきりと口にはされていませんね」

「な、なに!?」

 このバッサリ具合、意外と仲良くなれそうだ。

「ほらね、言われたんなら拒否してる。してないってことはそういうこと」

「それは、すまない…しかし、お前は此処に住んだ方が良い」

「アタシは此処に住むつもりはない。傷もお陰様で充分癒えたし、そろそろ帰るよ。これまで、世話になったね」


「帰るって、どこへだ。まさかまたあの街に戻るわけでもあるまい」

 図星を突かれ狼狽える。身体が少しよろめき、アナは腰を落とした。

「そ、それは…どこでもいいでしょ、言えば追ってくる可能性もあるし」

 苦し紛れの言い訳が空を切る。

「あんな路地裏で死にかけていたような者に、行く当てがあるとも思えんが」

 キッと睨みつける。

「アテがなくとも生きていける。今までだって、そうしてきた」

 アナは、知っていた。もうどこにも居場所は無いのだと。だからこそアナはまた死地を探して彷徨うことになるだろう。


「であれば、此処に居ろ。どこぞの馬骨に自身が助けた身を傷つけられるのは見過ごせんからな。知らん土地で知らんように死ぬな」

「なんだよ、勝手な事を。アタシの命はアタシが決めるんだ」

「それはそうだ。お前の命はお前のものだ。ただ、私にとってもお前の命は大切なものである。育て導く義務が拾った私にはあるのだ」


 言ってる意味が分からない。

「だったら、ここで今、死んでやるよ。重みなんて知らない、アタシの命にはこれから先にも意味なんてない。それでいいか」

 吐きだした言葉が宙を舞う。


「いつかは、此処で息を引き取ることにもなるかもしれない。だがそれもこの先を知ってからで良いと私は思う。命を無下に扱うのも気に食わん」

 どこか哀しそうな表情を浮かべる。

「お前の身に起こったことなど、私に想像できるものではないが、簡単に命を捨てようとするのは許さん」


「分からないなら言うなよ…!!!あんたが身勝手な行動で此処に連れてきて、アタシの命まで管理しようとするなよ!!!」

 荒い声が出た。アナがふっと魔王の方を見上げる。態度は変わらないものの、哀しそうな顔を一層強めると、一つ息をついた。


「…すまない、だが、私も折れるわけにはいかん。お前が何を思っているか、分からない身ながらも、お前が自壊に向かう様を黙って見ていることもできん」

 見透かすような眼でアナを見る。

「お前は弱い…おそらくそれはマナリアにも言われたのだろう。その弱さは、自身にしか乗り越えられない。だが、その弱さを支えていくことは私にもできる。我が軍の者たちに寄りかかってもらっても構わない。お前の生きていく拠り所として、此処を使ってくれ」




 なんだよ、それ…


 私は一人だったんだよ。生まれた時から、今の今までずっと。子供に聖痕があるだけで親を殺したくせに、アタシは勇者だからと、施設に入れた村の奴らは勝手に言って、施設の奴らもアタシを助けるわけじゃなかった。

 

 あの時…必死に逃げて、逃げて、逃げて、街に着いて。誰でもいいから助けてくれって、泣きじゃくって叫びまくって、それでも誰も助けてくれなくて…


 いつものように路地裏でじっとうずくまってたら、男たちが近づいてきて、助けてくれるって、とっても嬉しかった。だけどそれも嘘で、無理やり服を破かれて、その時初めて、異性を知った。


 怖かった、悔しかった。叫ぶこともできず、抵抗することもできない、ただ無力に痛めつけられる自分が、情けなかった。


 飽きた頃には、アタシの身体はボロボロだった。痛みすらもう感じない。寒さすら身体に響かない。ただ心臓の音が少しずつ小さくなっていくだけ。


 じゃあもう、このまま死ねばいいや。このまま死んだら父さんと母さんに会えるんだから。もう、頑張らなくていいんだから。




 少女の頭に過去が映り込む。痛々しいほどの記憶に、強く堪えるよう、手を握りしめていた。噛みしめた唇がはじかれる。

「そういうの、もう要らないんだよ!!どうせ誰も助けてくれない、利用するだけして捨てるだけなんだ!だから、あのまま死ねれば、どれだけ楽だったか…!!」


 死にたいと願い、人生を諦めた。あのまま死体に成って逝きたかった。そうしてそこに現れたのが、魔王だったということが、彼女にとって辛い現実だった。


「では、私は、過ちを犯したのか」

 暗く、重い声が部屋を埋め尽くした。アナは、ふっと顔を上げた。

「…違う、そう、言いたいんじゃない…違う…」

 分からない、どうしてそこまで魔王が自分に対して篤くしてくれるのか、アナにとっては理解が出来なかった。そう思ってふと、マナリアの言葉を思い出した。


「…そうか、あんたは本当にただ、手を伸ばしたいだけ…」


 目頭が熱くなる。感情があふれ出す。心臓が跳ねている。

 如何いかんともし難いような、本人もよく理解していないが、安堵とも言える感情が心を満たす。零れた涙が床に、ポタポタと落ちていく。アナには、霞んだ目で其れを捉える事は出来ない。


「…なんで、そこまでしてくれるの?」

 目をぬぐい、しゃがれた声で問いかける。情けない声音、しかし一つの想いを乗せていた。聞かなければならないものだった。


「お前が、大切だからだ」


 ああ、分かりきっていた。こいつは、この魔王は、何の裏もなく、何の策謀もなく、ただ一個人として、アナを助けたいと、手を伸ばしたいと考えている。認めたくなかっただけだ。認めてしまえば失いそうだから。

 それでも、もうよかった。どうせ一度捨てようとした命、愛してくれるのなら、今度こそ愛を得られるのなら、この魔王を信じてみよう、そういった思いが少女を満たして離さなかった。


「…分かった、アタシの負け。その代わり…裏切ったら承知しないから」

 魔王は安堵と喜びの表情を浮かべる。

「無論だ、ゆめ忘れぬ。これから、よろしく頼む」


 礼を言うのはこっちの方だ、と言おうとしたが辞めた。少女よりも安心しきった表情の魔王を見て、少し可笑しくなる。不安がないわけではなかった。

 それでも、誰かを信じるというのは、存外悪いものでもない…少女は今、そう感じている。窓を開く。強く冷たい風が吹き込み、身体全体で冬を感じる。


「アタシは死なないよ。もう、命を諦めるのもやめる。あんたから拾った命、これから先は好きなように生きてみる。だから、見ててよ。ずっと」


 窓から振り返り、そう宣言する。ああ、笑顔とはこうも簡単に出るんだな。


 魔王も微笑を浮かべる。冬とは思えないほど暖かな日差しを浴びながら、少女は新たな自分に、少しくすぐったく思った。

読んで頂きありがとうございます。

今後ともよろしくお願いします。

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