第99話 最後にして最強の――
◇
「う、うぅ……やっぱりわたしに構わず先に行ってください!」
「駄目よエル、そんなこと出来ない!」
「でも、早くしないと手遅れになってし――うわぁ!」
エルシャの体は突然軽くなり、その反動で前のめりに転んでしまう。
「どうしたの突然!? 大丈夫!?」
「だ、大丈夫です……」
エルシャはマリーベルの手を借りて立ち上がる。自身の体に起きた変化について告げると、ヨミは即座に一つの考えに思い至った。
「…………」
だが、それを口にしようとはしなかった。考えというより、嫌な予感とでも言うべきか。出来ることなら当たっていて欲しくない予感だった。
「どうしたの、ヨミさん」
「すみません、少し考え事を。とにかくエルシャさんが元に戻ったのは何よりですが、喜んでいる暇はなさそうです。先を急ぎましょう」
ヨミの言葉に二人は、特にエルシャは強く同意した。遅れを取り戻すべく、一刻も早くジェミナの元へ向かわねばならない。
……妙な胸騒ぎがする。
三人とも口には出さないが、胸に抱く思いは同じだった。
徐々に早まっていく歩行速度に比例するようにして、心臓の鼓動もどんどん早まっていく。
気づけばエルシャ達は駆け足で森の奥へ向かっていた。
そして、この胸騒ぎが単なる思い過ごしでは済まないことをエルシャ達は知ることになる。
やがて開けた場所へと出た三人の目に飛び込んだのは、地面に横たわるリブラスとジェミナの姿だった。
脈を確かめてみたが、残念ながら二人とも息はしていなかった。
「まさか、手遅れだったのでしょうか……」
「そんなことはないと思いますよ。見てください、彼らの顔を」
膝を落として嘆くエルシャの肩に、ヨミがそっと手を添える。促されるままに覗き込むと、リブラスとジェミナは穏やかな顔で目を閉じていた。とても死んでいるようには見えない、安らかな寝顔だ。
「……確かにそうかも知れませんね。三人とも、とても穏やかな表情をしています」
「えっ、三人? 二人じゃなくて?」
マリーベルの言葉に、エルシャは首を横に振る。
「いえ、合ってますよ。……三人で、ちゃんと」
風が吹き、木々がざわめく。日は落ち始め、森に夕焼け色の薄闇が広がり始めた。エルシャはリブラスとジェミナの亡骸にそっと手を触れ、優しく撫でる。
「エルシャさん。無理してまで見る必要は……ありませんよ」
「大丈夫です、ヨミさん。確かに人の死を直視するのは辛いですし、出来ることならこんな思いはしたくありません。けど……死は必ず訪れるものです。だから、目を逸らしちゃいけませんよね」
「……そうですね、エルシャさんの言う通りです」
ヨミは頷き、夕闇に染まり始める空を見上げた。
◇
翌朝。
ガウスの小屋の傍に、一本の墓標が立てられた。
エルシャ達は死者の安らかな眠りを願い、手を合わせる。
そうして深く祈ったのち、墓前には三本の花が手向けられた。
「それにしても驚いたな。あんなにも屈強な男が、帰ってきた時にはもう生きていなかったとは……」
墓標を立ててくれたガウスが、残念そうにつぶやく。彼は幼い頃から物乞いをして町から町へ渡り歩いており、死はとても身近な概念だった。自分よりも幼い物乞いの子供の亡骸も、数え切れないほど目にしてきた。
だが、それでもやはり「死」に対して慣れることはなかった。
死はやはり恐ろしい。
だからこそ、人が死んだ時はどんな形であれ弔う。
そうしてガウスは今の年齢に至るまで生きてきたそうだ。
「と言っても、ここに来てからは誰かを弔ったりした経験はなかったがな。……独りだから」
「寂しいなら町に出て来ればいいのに」
そう漏らしたマリーベルを、ガウスはじろりと睨む。
「いーや、俺はこの場所を気に入ってるんだ。静かだし、空気はうまいし、新鮮な肉も手に入れ放題だ。それに……」
「それに?」
「……俺は極度の方向音痴だ。今さら町で暮らしていく自信がない」
(自覚あったんだ!?)
マリーベルは目を丸くして驚いた。
その直後、ヨミは何かに気付く。
「おや、霧が出てきましたね」
「霧だと? おかしいな、この場所は滅多に霧なんて出ないはずなんだがな」
「でも、本当に霧が出てますよ? というか……だんだん濃くなってきてませんか?」
ヨミの言う通りだった。突如として小屋周辺に立ち込め始めた霧は、時間を追うごとに目に見えて白さを増していく。明らかに異常が発生していた。
「まずい、みんな小屋の中に入るんだ!」
ガウスはヨミ達を小屋の中へ入るよう促す。魔の森に出る霧の危険性は、ヨミ達も身をもって知っていたので素直に従った。ただ一人を除いて――。
「あれ、エルは!?」
◇
(……皆さん、ごめんなさい)
エルシャはすでに濃霧で見えなくなった小屋に向けて頭を下げる。
(でも、これは最後のチャンスなんです。あの人に会える、最後の……)
そして頭を上げると、息を一度飲んで白い霧の中へと進んでいく。もはや手を伸ばした先さえも見えない濃さの霧だ。いったいどれほどの距離を歩いたのかすらも分からないが、エルシャはあの人にもう一度会うため歩き続ける。
ひたすら前へ、前へ。
やがて、エルシャは立ち止まる。
目の前には、いつの日にか見た顔の部分だけがぼやけている謎の人影が立っていた。
この人影こそが、エルシャがもう一度会いたかったあの人だった。
「やあ、また会えたねぇ」
「あなたは……誰なんですか?」
「そんなこと、いちいち聞かなくても本当は分かっているはずだよ。なにせ我の姿は、お前の記憶を媒介に霧が作り出した虚像だ。実物でないにしろこの姿を映し出せたなら、それは頭のどこかに我に関する記憶が残っているということだ」
「で、でも……」
「そんな顔するなよエルシャ~。生きてればそのうち思い出せるさ」
「……」
「まったく、しょうがないなぁ。今回だけは特別に教えてやろう。一度しか言わないからよく聞けよ~?」
「……!」
「我の名はグラスファ。最後の竜人族にして最強の邪竜グラスファとは我のことさ!」
「……っ!?」
「おっと、調子に乗ってつい二度も名乗ってしまったねぇ。まあサービスってやつさ」
「待ってください! 竜人族とか邪竜とか……それにグラスファって?!」
今エルシャが口に出した三つの言葉は、すべてがどこかで聞いたことのある言葉だった。特にグラスファという名は、マリーベルの妹のセイラが罹っていた病気の名前と一致している。単なる偶然の可能性もあるが、エルシャにはどうも偶然とは思えなかった。
気になることが色々と多すぎる。
だが、グラスファは問いに答えることなく霧の中へ消え去っていく。
「もう時間だ。霧が晴れるよ」
「待って! 待ってください!」
「ばいばい、エルシャ――……」
やがて霧が晴れ、謎の人影の姿も同時に消え去った。
先ほどまでの濃霧がまるで嘘だったかのように、上を見上げればきれいな青空が広がる。
「あーいたいた! もう、勝手にいなくならないでよー!」
「本当ですよ。どれだけ私達が心配したことやら」
直後、背後からマリーベルとヨミの声と足音が聞こえてきた。
つい最近もこんなやり取りがあったものだから、二人とも心配半分呆れ半分の感情が声に籠っていた。
「ご迷惑をおかけしてすみません。わたしでも……どうかしてたと思います」
エルシャは放心状態にあった。
だが、謎の人影が言い放った言葉は強く脳裏に焼き付いていた。
竜人族。
邪竜。
そして、グラスファ。
すべてがエルシャ自身に関係しているとすれば、自分は――。
(わたしは……いったい何者なんでしょう……)
〈第三章後編『とある錬金術師の物語』・完〉




