第98話 互いの距離
マリーベルが転移先に指定したのは、魔の森奥地にある小屋だった。椅子に座って寛いでいたであろう家主のガウスは、突如出現した魔法陣と、そこから続々と出てきたエルシャ達に目を丸くして驚いていた。
「うおっ。なんだいきなり揃いも揃って。俺はまだ捕まるようなことは何もやってないぞ」
「突然すまない。このくらいの背丈の……女の子はここに来ていないか?」
リブラスは身を乗り出し、未だ口をあんぐり開けたままのガウスに詰め寄る。
「いや、お前達以外には誰も来ていないぞ。そもそもこんな森の奥に小さな子供が来れるはずないだろう」
「ジェミナは子供などではない!」
「いやいや、最初にお前から言い出したことじゃないか。というより、お前はいったいどこの誰なんだ?」
リブラスはガウスの質問に答える様子はなく、今度は小屋の中を見回し始めた。匿われてどこかに隠れているんじゃないかと疑っているようだが、この狭い小屋の中にはそもそも隠れられる場所などない。
ガウスが隠し事をしている様子もなく、どうやら本当にここへジェミナは来ていないらしい。
「いないのであればここに用はない。行くぞ」
事実確認が済んだところで、リブラスはさっさと小屋を出て行ってしまう。
「いやいやいや、だからお前は誰なんだ? どこから来てどこへ行くんだ?」
「申し訳ありません、ガウスさん。これには色々と事情がありまして」
ヨミがリブラスに代わって頭を下げるが、やはりガウスは色々と理解が追い付いていない。だが今は一刻も早くジェミナを見つけたいので、ヨミ達は説明も程々にガウスの小屋を後にするのだった。
「それにしても、こんな広い森のどこから探せばいいのかしら。本当にこの森のなかにいるかだって分からないし……」
とマリーベルが不安を口にするのも束の間、リブラスは迷うことなく深い森の中へ足を踏み入れていく。
「こっちだ。こっちからジェミナの気配がする」
「あーちょっと! 勝手に進まないでよ!」
「仕方ありません。ここは彼を信じましょう」
ヨミがリブラスの勘を信用することに決めると、エルシャとマリーベルもそれに従ってリブラスの背中を追って森の奥へ進む。
先頭を行くリブラスが歩くペースはかなり速く、ついて行くのがやっとだ。
「本当にこの方向にいるの? あてずっぽうにしか思えないんだけど!」
「いえ、マリーベルさん……おそらくこの方向で、合っていると思います……」
「え? どうして?」
マリーベルが振り向くと、エルシャが苦悶の表情を浮かべていた。足取りもとても重そうで、一歩一歩が非常に遅い。三人との距離もいつの間にか大きく開いていた。
「エル、大丈夫? まさかどこか怪我しちゃったの!?」
「いえ、問題ありません。けど、奥に進めば進むほど足が重くなって……もしかしたらジェミナさんの居場所まで近づきつつあるからなのかも知れません」
ジェミナは少し前、エルシャに「近寄らないで!」と叫んでいる。もしジェミナの魔眼の効果が“命令の絶対遵守”で、今もなおその効果が続いているのならば、エルシャの足が重くなっていることにも説明がつく。さすがに飛躍し過ぎだと一度は捨てた考えではあるが、こうも不可思議な偶然が連続するとも思えない。
エルシャの足取りが極端に重くなり始めたのは、リブラスの背中を追って程なくした後だ。
つまり、この先にジェミナがいる可能性は高い。
「怪我していようといまいと、付いてこれないならここで置いていく。ここで時間を取られるわけにはいかないからな」
リブラスはそう言い、エルシャたち三人には目もくれず先へ進んでいく。
「ちょっと、少しくらい待ちなさいよ!」
マリーベルは叫ぶが、当然リブラスは聞く耳を持たない。
「わたしのことはいいので、みなさんは先へ進んでください」
「そういうわけにもいかないわよ。エルを一人にするわけにはいかないわ!」
「私もマリーベルさんに同意です。こんな森の中に置いておいたら、それこそ遭難者が一人増えるだけです」
ヨミは冷静に言い放つ。
エルシャは「でも……」と呟きつつ、少し残念そうな表情を浮かべた。その先の言葉が続かなかった。ヨミの言っていることはまったくもって正論で、反論のしようがなかった。
またしても足手まといになってしまうのかと、エルシャは奥歯を噛みしめる。
「すみません。わたしがいたばかりに……」
「気にするな。キミがいたおかげで私の考えに確信が持てた。キミは決して足手まといではなかったぞ」
「……っ」
もしかして励ましたつもりなのだろうか。リブラスはそう言うと、三人を残して深い森の奥へと消えていった。
◇
「はぁ、はぁ……っ」
鬱蒼と生い茂る草木をかき分け、ジェミナは歩き続けていた。自分がどこにいるのかも分かっていないし、どこに向かおうとしているのかも分かっていない。
目的も目途もなくただ彷徨い続けている。
だが、ここは危険な魔物も多く生息する魔の森の奥地。
ジェミナの背後には、赤黒い体毛のブラッドウルフが群れを成して迫りつつあった。
「はぁ、はぁ……あっ!」
そしてついに限界が来てしまい、ジェミナは足元に絡まるツタに足を取られて転倒してしまう。すると次の瞬間、ブラッドウルフの群れは物陰から姿を現し、一斉にジェミナへと飛び掛かった。
「グルルルル……ガウッ!」
「ひっ……!」
思わずジェミナは目を強く瞑り、腕を顔の前に突き出す。ブラッドウルフが持つ鋭い爪や牙の前にはまったくもって無意味な行動だ。
当然のごとくブラッドウルフは止まらない。
その鋭い牙がジェミナの柔肌に突き立てられようとした、その時。
ドゴオォォンッ!!
突如、ブラッドウルフの群れは鈍い音と共に遥か上空へと吹き飛ばされる。
そして、ボトボトとブラッドウルフが雨のように降り注ぐ中、悠然と歩みを進める一つの人影があった。
「どうやら間に合ったようだな」
「師匠!? どうしてここに!?」
リブラスだ。彼はジェミナにちらりと視線を送ると、再び拳を強く握り、仲間をやられた義憤に駆られたブラッドウルフの残党の前に立ちふさがる。
「話は奴らを片付けてからだ」
「ガルルル……ッ!」
「来い!」
リブラスは襲い掛かるブラッドウルフを次々に殴り倒していく。彼の拳が振るわれるたびにブラッドウルフは軽く宙を舞い、無残に地面に打ち捨てられていく。
数分も経たないうちに全てのブラッドウルフはリブラスの鉄拳によって打ち倒され、その場にはジェミナとリブラスの二人だけが残された。
戦いを終え、リブラスがゆっくりとジェミナの方を振り向く。
その鋭い眼光はどこか優しげな光を帯びているように感じられたが……。
「さあ、帰ろう。だがその前に魔素を打ち込まないとな」
「……わ、わたくしに近づかないでください!」
ジェミナはそれを拒んだ。リブラスの体は急に固まり、ジェミナに近づけなくなってしまう。
「なっ!? こ、これが魔眼の効果か……ジェミナ、なぜ私を拒む。早く魔素を打たなければ、お前の体は朽ちてしまうのだぞ!?」
「それでも……今のわたくしは魔眼の制御が出来ない状態にあります。これ以上の迷惑を師匠に掛けたくないんです!」
「何を言っている、迷惑などとは一度も思ったことはない! さあ、早くしなければ本当に命を落としてしまうぞ!?」
「わたくしは……もうこのままでいいと思っています」
「――っ!」
リブラスの眉が釣り上がる。
「わたくしの体のことはわたくしが一番理解しています。わたくしはもう……充分なくらい生きることが出来ました」
「そんなこと言うな! お前はもっと生きれる! お前はもっと、生き続けていいはずだ!」
「いえ……わたくしは本来であれば20年前に潰えていたはずの命でした」
「違う! 潰えていいはずの命などあるものか!」
「でも、わたくしがこんなにも長く生きられたのは……お兄ちゃんのおかげです。ありがとう、お兄ちゃん……」
「ジェ、ミナ……否……」
リブラスは魔素溶液の詰まった麻袋をその場に落とす。そして、全身を叩きつけてくる向かい風をこじ開けるかのように、重い足を一歩前に踏み出した。
「ぐっ……!」
当然、全身が傷だらけのリブラスには負担も大きい。一歩踏み出すごとに、ジェミナとの距離が縮まっていくたびに傷が開いていき、白い包帯には赤い染みが浮き出していた。
「やめて、お兄ちゃん……!」
「やめるものか!」
「どうして!? どうしてわたしのためにそこまでするの!?」
「……最後かもしれないだろ? 最後の瞬間を……こんな、こんな遠く離れた場所で終えるなんて認められるものか!」
一歩、また一歩と踏み出すたび、包帯に滲む赤い染みは広がっていく。これはきっと罰なのだろう。潰えていいはずの命はない。確かにそれは正論だが、命の価値を語る資格は、間違いなくリブラスにはない。
だが、たとえこの命のともしびが消えようとも、最後の時間は二人の妹のために費やしたかった。そんな、小さな贅沢を叶えるため、リブラスはさらにまた一歩前に進み続ける。
「だったら、わたしも……!」
ジェミナもまた一歩前に踏み出し、リブラスとの距離を縮める。だがリブラスに比べて圧倒的に体が弱いジェミナでは、一歩出るだけで体力を使い果たしてしまいそうだった。
「ジェミナ、お前は無理するな!」
「お兄ちゃんにだけ苦労はさせられない! わたしだって、頑張る時は頑張るんだか……ら!」
ようやく踏み出した二歩目。ものすごく小さなその一歩により、二人の距離はもうすぐ手が届くところまで縮まる。
「ジェミナ……よし、最後は俺に任せろ!」
リブラスは歯を食いしばり、一気にジェミナの元へ飛びついた。互いの距離は完全になくなったが、その代償にリブラスの体は限界を迎える。全身の傷が開き、血が包帯から溢れ出し、立っていることすらままならなくなってしまう。
しかしリブラスは満足げに微笑み、ジェミナを抱き寄せながら耳元でこう囁いた。
「愛してる……ジェシー、ミーナ」
「わたし達もです……お兄ちゃん」
兄妹は互いに抱き寄せ合い、そして目を閉じた。




