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第87話 迷子の男

 ◇

 

 

「あれぇー? エルまだ帰ってきてないの?」


 少し時間は遡る。店での買い物を済ませ、外に出たマリーベルはエルシャの姿が見えないことに疑問を抱いていた。確か木に引っかかっていた女の子の帽子を取りに行ったはずだが、未だに戻ってきていない。

 エルシャが向かった木の傍に目を向けてみても、そこには人の影すらなかった。

 

「どうやらそうみたいですね。またどこかにフラフラ行ってしまったのでしょうか」


 二人の脳裏に既視感がよぎる。探しに行くにしても、目途がなければどうしようもない。この前は運よく見つけ出すことが出来たが、今回もそう都合よくいくとは限らない。旅立ち前だから時間もない。

 とりあえずエルシャが帰ってくるのを待つか、それとも勘を頼りに探しに向かうか。


「まさか事件に巻き込まれたんじゃないでしょうね」


「あり得ますね。エルシャさんってなんかこう、巻き込まれやすそうですし」


「いやいや、巻き込まれやすそうってあなたね……」


 マリーベルは反射的に否定ようとしたが、後の言葉が続かなかった。普段のエルシャの姿を想像すると、きっぱりと否定するのは難しかった。もしかしたら本当に事件に巻き込まれたんじゃないかと、どうしても思ってしまう自分がいる。


「おや、キミ達はこの前の」


 頭を抱えるマリーベルに、横から誰かが声をかけた。振り向いてみると、そこには見覚えのある壮年の男がいた。魔の森の奥で会ったミデロの友人だった。


「ガウスさん?! どうしてここに?!」


 マリーベルは驚きのあまり声が裏返ってしまう。こんなところで偶然会うのもそうだが、彼は十数年以上魔の森の奥から出てきていないはずだった。


「ミデロの奴の新作が美術館に展示されると聞いてな。居ても立っても居られず久しぶりに出てきたというわけだ。……おっと、今のは口外してはならないと奴にきつく言われていたな。すまない、忘れてくれ」


 恐ろしいほどの天然を見た気がする。すまないと言う割には、それほど悪びれていないのもポイントが高い。


「ははは、大丈夫ですよ。それ、私達も知ってますから」ヨミは微笑みながら言葉を続ける。「美術館にはもう行かれたのですか?」


「いや、残念ながらまだだ。しばらく見ないうちに町も様変わりしていてな。おかげで道に迷ってしまった」


「それは大変ですね」


 確かにこの町は広く、道も入り組んでいる。十数年ぶりに訪れたなら迷子になっても仕方ない気はする。


(と言っても美術館は中心部にありますし、目立つから分かりやすいとは思うんですけどね……)


 ヨミはそう心の中で思いつつ、視線を美術館がある方向に向ける。美術館は建物自体がとても大きいので、遠く離れたこの場所からでも屋根の一部が見えていた。たとえ美術館までの道が分からずとも、あの屋根を頼りに進んでいけばおのずとたどり着くはずだが……。


(もしかしてガウスさんって、方向音痴さんなのでしょうか)


 道をどう進むかというのは人ぞれぞれである。十数年ぶりに町を訪れたのなら、目的地へ一直線に行かず、フラフラ色んな所へ立ち寄ってみるのもまた一興。

 ヨミはちらりとガウスに目をやった。彼の瞳はまるで幼い子供のように輝いていた。


「まあ、キミ達にまた出会えたのは道に迷ったおかげとも言える。俺は俺でのんびり行ってみることにするよ。幸い、時間だけはたくさんあるんだ」


 ガウスはそう言うと、身をひるがえした。体の向きは完全に美術館から外れている。


「もう行くのですか?」


「ああ。キミ達も旅立ち前なんだろう? 時間は取らせられないさ」


「確かにそうなんですが、ちょっと問題が発生しまして」


「問題? そういえば一人足りないな」


「ええ、実は……」


「あの帽子をかぶった少女だろう? そういえばさっき、小さな女の子と歩いているのを見た気がするな」


「本当ですか? いったいどのへんで見かけました?」


「ああ、あっちの方だ」


 ガウスは町はずれの方向に指を差す。情報提供に感謝と言いたいところだが、ガウスは確実に方向音痴だ。自信満々に指を差してはいるが、それが却って不安にさせる。

 

「ん、どうした? 行ってやらんのか?」


「あ……いえ、ありがとうございます。行ってみることにします」


 少し不安だが、今は藁にも縋りたい状況である。ヨミは一礼し、ガウスが指さした方へ向かってみることにした。


(ねえ、本当にこの方向で合ってるの?!)


 マリーベルも不安に思っているのか、小声でささやいて確認を取ってきた。とりあえずヨミは頷いて見せた。


(信じましょう。もし外れてたら、その時はその時ということで)


(結局あてずっぽうってことね……)


 マリーベルの口から自然とため息が漏れてしまう。果たしてガウスから情報を教えてもらったことに意味はあったのか。当のガウスは離れていく二人の背中を見つめ、思考を巡らせていた。


「やはり見間違いではなかったか」


 彼の魔眼はとうの昔にくすんでしまった。現実改変の能力はおろか、魂の色を見通す力すらも失っている。しかし、どういう訳かたった一人だけ――ヨミの魂の色だけは、はっきりと見えていた。


「いや、くすんだからこそ見えるのかもしれないな」


 そう呟くガウスの唇が、小刻みに震える。

 

「……あんな濁った黒色は初めてだ。まるで何十、何百もの色を混ぜ合わせたような……とても不気味で、おぞましい。いったい彼女は……何者なんだ?」

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