第86話 不死の薬
そしてもう片方の手錠はジェミナの右手首に。二人が手錠の鎖で繋がれ、エルシャは身動きを封じられてしまう。
「な、何するんですか!?」
「黙って付いてくるんだ。キミの望み通り我々の正体や目的を教えてやろう」
リブラスがそう言うと、ジェミナはエルシャと繋がっている手錠の鎖を引っ張った。身動きが取れない以上、黙って従うしかなかった。
連れて来られたのは、地下にある一室だった。
天井からつるされたランプの真下にある机には、ビーカーやフラスコなど実験器具らしきものがところ狭しと並んでいる。部屋の隅には本棚があり、研究書らしい書物やファイルのようなものが収められていた。
「ここは……いったい……」
見慣れぬ光景にエルシャはぽつりと疑問をこぼす。
「見ての通り、ここは研究室です」
「研究室って、なんの研究をしているんですか?」
「錬金術ですよ。見て分かりませんか?」
ジェミナは呆れたように答えたが、エルシャはそもそも錬金術が何なのかが分からない。ただ、言葉自体は最近聞いた気がする。
『腕のいい錬金術師さんが店主をやってるんです。効果のほどは私が保証します』
『ここの店主さんにはお弟子さんがいたはずよ。そのお弟子さんがいまでも錬金術師を続けているって噂は聞いたことがあるわ』
『名前なら覚えてるわ。えーっと、確かリブラスという名前だったわね』
そうだ、思い出した。ヨミや町で会った住人との会話の中で、錬金術師という言葉は何度か出てきていた。なるほど錬金術とは薬やそれに類する物を作る技術のことらしい。実に大雑把な把握だが、今のエルシャに理解力を求めてはいけない。それより重要なのは、今の話でリブラス達が錬金術師であるとほぼ確定した点だ。
「錬金術……もしかして二人は錬金術師なのですか?」念のためジェミナに確認を取る。
「はい。と言っても、わたくしはまだ未熟者ですが。師匠には遠く及びません」
師匠。その一言で、二人が「師匠」「弟子」と呼び合っていたことをエルシャは思い出した。いったいなんの師匠と弟子なのか引っかかっていたが、これでようやく靄が晴れた。まさか錬金術の師弟だったとは。最初に会った時は思いもしなかった。とりあえず殺し屋の師弟ではなくてよかった。
そして、本棚の上に目を向けると写真立てが飾られていた。それに映っているのは三人の子供だった。
やせ細った外見の少年の傍には、二人の女の子が寄り添っている。女の子二人の顔はとても似ていた。双子なのだろうか。そして少年は双子の兄なのだと思われる。
しかし、いったいなぜリブラス達の研究室に子供の写真が飾られているのか。エルシャはなんとなしに尋ねてみた。
「あの写真に写っているのは誰ですか?」
「――!」
突然、リブラスが写真立てを伏せた。意外な反応だ。まるで見られたくなかったかのような行動だった。
「キミが気にすることではない。どのみちキミには関係のないことだ」
「…………」
仲間に誘おうとしている人間に隠し事をするのは引っかかりを感じる。だが、ここで踏み込んでもきっといい結果にはならない。むしろ今は聞きたいことを聞いてみるチャンスのように感じられた。
エルシャは一度、大きく息を吸い込む。
「では代わりに別のことを教えてください」
「別のこととは?」
「わたしを仲間に誘う理由です。そろそろ教えてくれてもいいんじゃないですか?」
リブラスは気まずそうに視線を逸らす。やはりあの写真を見られたのは都合が悪かったらしい。
「確かにそうだな。いいだろう」
幾分かの間を置き、リブラスは言った。
「我々錬金術師の最終到達点はいくつかあるが、その中の一つに不死の薬がある」
「不死の、薬……?」
「文字通り死ななくなる薬だ。その薬の精製を我々は目論んでいる」
不死。それは誰もが一度は抱くであろう願い。死の恐怖から逃れるため。時の束縛から脱するため。様々な理由で欲する人は少なくない。
しかし、それはあくまで理想の話。
人類史において数多の発明品を産んできた錬金術と言えど、不死の薬はさすがに現実離れしていると言わざるを得ない。
「不死の薬なんて、本当にあるんですか?」
「現段階では存在しない。しかし、我々はその不可能を可能にすべく研究を重ねてきた。そうしてたどり着いた結論が、キミという存在だ」
「わ、わたしが……?」
いったいどういうことですか、とエルシャが聞き返すよりも早くリブラスは語り始める。
「キミは、かつてこの地を支配していた邪竜がいたことを知っているか」
唐突な質問に驚いたが、エルシャは頷いてみせる。
「でも、邪竜って確か倒されたんですよね? えーと、その……ひ、光の魔女に」
エルシャはためらいつつ言った。光の魔女とはもしかしたら自分のことかも知れない存在だ。もちろん確定しているわけではないし、エルシャ自身も記憶がないため自分が光の魔女だと思ったことはない。ただ、自分で言うのは少しはばかられるくらいにはキラキラした肩書だ。
「光の魔女の伝説か。実にくだらない。だが、愚民どもの目を真実から逸らすには実によく出来たおとぎ話だ」
「もしかして何か知ってるんですか?」
「光の魔女などというものは存在しない。それはキミが一番知っているんじゃないのか?」
「そ、それは……」
エルシャは返答に困り、言い淀んだ。まるで向こうはすべてを把握しているかのよう口ぶりだ。
「まあいい。光の魔女とやらは眉唾だが、一方で邪竜は実在する。邪竜は不死の存在として世界各地で語り継がれている。……これを聞いてキミは今こう思ったな? 不死の邪竜が実在するならば、どうしてその姿を誰も見たことがないのか、と。本当は死んでいるのではないか、と」
唐突に話を振られ、エルシャは反射的に頷いてしまう。だが、よく考えてみれば確かに変な話だ。光の魔女がおとぎ話だというなら、邪竜もおとぎ話上の存在として考えるのが普通のはず。
しかし、リブラスは口ぶりからして邪竜の実在を確信していた。誰も見たことがない不死の邪竜が、この世界のどこかに存在していると確信しているのだ。
「答えは至って単純だ。邪竜の姿を誰も見たことがないのは、邪竜が人の姿に化けたからだ。そう、邪竜は死んでなどいない。さらに言えば邪竜は……今、目の前にいる」
リブラスの視線がエルシャに突き刺さる。
「それは、どういう……痛っ!」
訳が分からず聞き返そうとしたが、背後に回られたジェミナに腕を押さえつけられしまう。ただでさえ手錠のせいで身動きが取れないのに、さらに関節まで極められてしまった。
「大人しくしてください。動けばもっと痛くなりますよ」
「なんで、こんなことするんですか……!」
「それはキミが一番よく知っているはずだ。とぼけたふりをしても無駄だぞ。不死の薬を精製するには、同じく不死の生物の血が必要なのだからな」
「わたしは邪竜なんかじゃありません! だってわたしは……」
「人の姿をしているからか? 今は滅びたと言われている竜人族という種族は、竜の姿に化ける能力があったそうだ。貴様はその竜人族の生き残りなのではないか?」
「ち、違います! わたしの話も聞いてください!」
エルシャの叫びも虚しく、二人に声は届かない。
「――ひぎっ!?」
そして次の瞬間、エルシャの腕に鋭い刺激が走った。リブラスがナイフを突き刺したのだ。痛覚が脳に伝わり、思わず悲鳴が漏れる。
「ふむ、邪竜といえど血の色は赤いのか」
リブラスはナイフを抜くと、エルシャの腕から噴き出た血液をガラス瓶の中に入れ始めた。瓶の中には透明な液体が最初から入っており、血と混ざり合っていく。
「……おかしいな。何も反応しない。やはり人間態の血液では効果がないのか。それとも単純に量が足りないせいか。いずれにせよ貴様が竜の姿になれば解決する」
「そんなこと、言われても……!」
「貴様もなかなか頑固なものだ。もしや自発的に竜にはなれないのか? ふむ、ならばさらに痛みを与えてみよう」
リブラスはさらにナイフを突き立てた。
天井からつるされたランプの炎が揺らめいた。




