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第85話 得体の知れない人間

「どうぞ、粗茶ですが」


 エルシャの手前に紅茶が並々と注がれたマグカップが差し出される。まさか言葉どおり手厚く歓迎してくれるとは思わず、どうしてもカップに手は伸びない。ゆるやかに立ち上る湯気と香しさが、時間が経つにつれて部屋に充満していく。実に美味しそうではある、が。


「安心したまえ。キミは大切な客人だ。毒や薬の類は入っていない」


 リブラスはそう言っているが、エルシャが紅茶に手を付けない理由はただ単純に緊張しているだけだった。毒が入っているかも、なんて疑うほどの余裕があるわけなかった。


「……まあ仕方あるまい。キミが疑おうとするのは当然のことだ」


 肩を落とすリブラスを見て、エルシャは慌ててカップに手を伸ばす。


「い、いえ、頂かせて頂きます!」


 そしてぐいっと一飲み。まだ熱々の紅茶が喉を通り抜け、胸のあたりが燃えるほど熱くなった。香からしてそこそこ上等な茶を用意してくれたものと思われるが、緊張と熱さのせいで味はまったく感じなかった。口の中には残り香すらない。舌がひりひりする。


(ちょっとやけどしちゃったかも……)


 もちろんそんなことを言いだせるはずもなく、エルシャは本心を飲み込むしかない。歓迎してくれているのだとは思うが、雰囲気があまりに異常だった。


「それで、その……わたしはなぜここに連れて来られたのでしょうか」


 恐る恐るエルシャは尋ねる。


「キミに聞きたいことがある」


 と、リブラスはエルシャの目を見据えながら言った。あまりの威圧感に、エルシャは思わず視線を逸らす。


「えっ、わ、わたしに聞きたいことですか? すみません、わたしのことはわたしが一番答えられないといいますか……」


「いや、聞きたいことがあるのはキミについてではない。キミの仲間の、眼鏡をかけた少女のことだ」


「もしかしてヨミさんのことですか?」


「ほう、ヨミという名なのか」


「あっ!」


 エルシャは不意に口を押える。どうやらリブラスが求めているのはヨミの情報だったらしい。さっそく名前を教えてしまった。しかし、いったいなぜヨミのことについて聞きたいのだろうか。そんな疑問をよそに、リブラスは矢継ぎ早に質問を投げかけてくる。


「変わった名だな。どこの国の者なんだ?」


「えーと、分かりません」


「ならばどういう目的でこの国に来ている?」


「それも分かりません」


「我が弟子が言うには、銃で撃たれたにも関わらずすぐに立ち上がったらしい。かの地下牢にはキミも居て、それを目撃しただろう。何か知らないのか?」


「……分かりません」


 その状況はよく覚えている。確かにあの時、ヨミは自分を庇って凶弾に倒れ、のちに何事もなく立ち上がった。だが、それ以上のことは何も分からない。

 分からない以上は首を横に振るしかなかった。


「仲間なのに何も知らぬのか。キミはそんな得体の知れない人間と旅をしているのか?」


「……っ」


 言われてみれば確かにそうだ。考えれば考えるほど、いや、考えるまでもなく自分はヨミのことについて何も知らなかった。


「そこでどうだろう。一つ提案がある」


「提案、ですか……?」


 リブラスは頷く。

 そして、おもむろに口を開いた。


「我々の仲間になれ、影の魔女よ」


「か、影の魔女?!」


「ほう、驚くのはそこの部分か。てっきりキミが影の魔女と呼ばれているのは既知のことだと思っていたのだがね」


「噂には聞いたことがあるってだけです。いきなり出てきたので、少し驚きましたが」


「影の魔女であること自体は否定しないんだな」


「……ッ!」


 またしても口を抑えるエルシャ。喋れば喋るほどボロが出てきてしまう。演技や嘘をつくのは苦手以前の問題だった。


「い、今のは言葉のアヤっていうのやつです」


「まあいい。話を戻そう。重要なのはキミが我々の仲間になるかどうかだ。そろそろ答えが固まった頃合いだろう?」


「その前に一つ聞かせてください。どうしてわたしを仲間にしようとしているのですか?」


「ふム、仲間になった後に教えてやろう」


 リブラスの口は堅い。エルシャとは違い、叩いても埃一つすら出さなさそうな雰囲気だ。

 視線は泳ぎ、頭の中は思考が渦巻く。

 いったいどれほどの時間が経っただろう。

 傍に置いてある置時計の秒針が何周か回った段階で、ようやくエルシャは口を開く。

 

「すみません。あなた達の仲間にはなれません」


 そう言った瞬間、額には大粒の冷や汗が浮かんだ。まるで「NO」を言った瞬間に叩き潰されそうな威圧感を醸し出してはいたが、やはりヨミやマリーベルを裏切ることなんて出来なかった。ある意味この選択は必然とも言える。


「愚かな。キミはあんな得体の知れない人間を選ぶと言うのか?」


「ととと、当然です……! だいたい、得体が知れないのはあなた達も同じじゃないですか……!」


 エルシャは声を張り上げた。相変わらず額には大粒の冷や汗が滲み出て止まらないが、このくらいのことは言ってやらないと気が済まなかった。


「そうか、それがキミの最終判断か」


 リブラスは一度、深く頷いた。

 これでようやく解放してくれるのか、とエルシャは淡い期待を抱く。

 もちろんそんな期待が叶うはずもなく、リブラスは後ろに居るジェミナに目くばせをしながらこう言った。


「ならば我々の得体が知れれば仲間になるわけだな? やってくれ、ジェミナ」


「かしこまりました」


「え?」


 どうしてそうなるんですか――と言い出す暇すらなく、エルシャの左手首には固く冷たい手錠がはめられた。

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