第82話 芸術の町の日常2
翌日になると、エルシャ達は市街地へ繰り出していた。目的は特にない。強いて言うなら、旅立ち前の息抜きといった具合である。
「この町の景色も見納めだと思うと、なんだか名残惜しいですね」
エルシャは通りを歩きながら、しみじみとした様子で言った。タスマハールは芸術の町だ。こんなにも明るくて独特な雰囲気を纏った町は、他にはない気がする。
だから、少しでも多く景色を目に焼き付けておきたかった。
「そうですね。私もとても気に入っています」
ヨミの反応に続くように、マリーベルも頷いて見せた。次にこの町を訪れるのは、いったいいつになるだろうか。もしかしたら、これが最後の訪問になるかもしれない。そう考えると、少ししんみりとした気持ちになってしまうのも無理はない。
「心配する必要はないわ。きっとこの町の他にもいいところはあるはずだから。けど、もしまた景色が見たくなったら私に言って。転移魔法陣で連れてきてあげるから!」
マリーベルは胸を張って言った。なんて頼もしい言葉なんだろう。その前向きさはエルシャには少し眩しかったが、同時に見習いたい思いもあった。
「……ん? あれは何ですか?」
広場に到着したところでエルシャは立ち止まる。視線の先には一人の少女が立っていた。彼女は小さくて四角い機械のようなものに顔を近づけ、中を覗き込むような仕草をしている。
「ああ、あれは写真機ですよ。カメラとも言いますね。風景を切り取って記録することが出来るんです」
ヨミはそう説明するも、エルシャにはピンと来ていない。
「もしかしてカメラ見るの初めて?」
そんなやり取りが聞こえていたのか、カメラを調整していた少女が歩み寄ってきた。
彼女の名はマレカという。この町で写真家を目指す傍らで、カメラの調整や修理などを執り行う写真技士としても働いているそうだ。
マレカはエルシャ達に向かって言った。
「もしよかったら、みんなを撮ってあげよっか?」
「いいんですか?」
「もちろん!」
ヨミが尋ねると、マレカは笑顔で頷いた。広場の中心に立ち、エルシャ達に向けて手招きする。それに従い、三人はマレカに向かい合うようにして並ぶことにした。
「それじゃあ撮るよー」
マレカはカメラを構えて言った。レンズがエルシャ達の顔を捉える。
これからいったい何が起こるのか。エルシャの心境には期待と不安が入り混じり、緊張のあまり思わずこんなことを口走ってしまう。
「魂を抜き取られたりなんて……しませんよね?」
「あははー。古い迷信を知ってるんだね。もちろんそんなことないから、安心して」
マレカは笑いながら手をひらひらと振った。エルシャはホッと胸を撫で下ろす。それから、ほどなくしてシャッターが切られる音が聞こえた。
……まばゆい閃光が目を襲った。
「うわあああっ! 目が、目があああっ!」
レンズをじっと見つめていたエルシャは、不意の発光に驚いて目を覆う。そして、そのまま体勢を崩して地面を転げまわった。
「ごめんごめん! フラッシュ切るの忘れてた!」
曰く、薄暗い屋内での撮影には先ほどのような発光で明るさを補助するらしい。マレカは直前まで屋内でカメラを使っていたのをうっかり忘れていたそうだ。
「う、うっかりなら仕方ないです」
エルシャはマレカの手を借りて立ち上がる。幸い目はもう慣れてきた。
「本当にごめんね~。フラッシュは今切ったから、気を取り直してもう一枚いきましょ」
マレカは明るい声で仕切り直す。そして、改めてカメラを構えた。
「じゃあいくねー。いちたすいちはー?」
「「にー!」」「……え?」
お決まりの合図に答えたマリーベルとヨミに対し、エルシャはポカーンと呆けた表情を浮かべていた。決して『1+1』が分からなかったわけではない。わけでは、ないのだが……すでに動き出した指は急には止まれない。無慈悲にもシャッターは押され、呆けた瞬間がバッチリと写った写真が現像されてしまった。
「あちゃ~。そういえばカメラを見たことないんだったね。じゃあ分からなくても無理はないか」
「もしかして、算数のテストに合格しないと写真というのはやってもらえないんですか?」
「大丈夫よエル。何が大丈夫かっていうのは……ちょっと分からないけど」
マリーベルの勢い任せのフォローも虚しく、またしても写真撮影に失敗したエルシャは肩を落としてしまう。
「ああ~、またやってしまいました……」
「そんなに気を落とす必要はないですよ、エルシャさん」
「そうそう。別に知らないことは悪いことじゃないわ。それにね、エル――」
と微笑みつつ、マリーベルは言葉を続ける。
「私は時々、あなたのことが羨ましいと思うことがあるの」
「え? どういうことですか?」
「だって何も知らないということは、目に映るものすべてが新鮮に映るってことでしょ? さっきのカメラもそう。夕日を見た時だって、今の私じゃあんなに驚いたりは出来ないわ」
「うぅ……。恥ずかしいので掘り返さないでくださいよ……」
「でも本当のことだから。きっとエルはこの世界で一番旅を楽しめてると思うわ」
「た、確かにそうかもしれませんね……! けど」
「けど?」
「わたし、二人がいなかったらこんなにも楽しめてなかったと思います。マリーベルさんとヨミさんと一緒に旅が出来て、本当に良かったです」
「おお、嬉しいこと言ってくれますね。旅人冥利に尽きます」
「ふふ、私もよ。でも旅はまだまだ終わりじゃないんだからね!」
――カシャッ。
唐突な音に振り向くと、ちょうどマレカがシャッターを押していた。
「お話の邪魔してごめんね。あまりに楽しそうだから撮っちゃった。でも見て、すっごい良い写真が撮れたよ!」
マレカが現像した写真を見せてくれた。そこに写っていたのは、ごく当たり前の日常を切り取ったような三人の姿。自然な笑みを浮かべ、仲のいい友人との会話に花を咲かせるような三人の姿だった。
「おお~。確かにいい写真ですね」
これにはヨミも感嘆の息を漏らす。
「ありがとう。もしよかったら受け取ってくれない?」
「よろしいのですか? ではお代を……」
「ああいいのいいの! あたし、まだまだ駆け出しの未熟だからお金なんて受け取れないよ」
「うーん、こんなにいい写真をただで貰うのはちょっと気が引けちゃいますね」
「そ、そう? じゃあ500エンくらいは貰っちゃおうかな?」
マレカは照れくさそうに頬を掻く。ヨミは500エン分の硬貨を手渡して写真を受け取ると、それを自分の鞄に収めた。
「では私達はこれで。マレカさん、ありがとうございました」
「うん、こっちこそありがとね。みんなバイバイ!」
マレカは手を振って三人を見送った。三人の姿が見えなくなるまで、ずっと手を振り続けていた。
「そういえばさっきの帽子をかぶった子、どこかで見たことがあるような……。別の町でもう会ったりしてたのかな」
と、マレカが呟いた次の瞬間。さっきまで照っていた日差しが遮られたのか、急に足元に影が伸びてきた。
もしかしたら雨雲かもしれない。
何気なしに振り返ったマレカは仰天してしまう。
空は依然として雲一つない快晴で、雨の気配など微塵もない。
ではなぜ急に暗くなったのかと言うと、背後に山のように大きな男が立っていたからだった。
「ひ、ひええーっ! あたしに何か用ですか!?」
マレカは目を丸くして尋ねる。
すると男は身をかがめ、顔を近づけながらこう言ってきた。
「キミ、さっき写真を撮っていたね。見せてくれないか」
「えっ、でも失敗した写真ですよ?」
「構わない」
「そ、そうですか。まあ見せるだけならいいですよ」
マレカとしては失敗した写真を他人に見せるのは不本意なことだった。出来れば断りたかったが、断ったら断ったで何をされるか分からない。そんな雰囲気が男から醸し出されている。
「ふむ、なるほど」
男は二枚の写真を手に取ると、交互に何度も、じっくりにらみつけるように眺める。
「あの~。そろそろいいですか?」
「ああ、もういい。出来れば買い取りたいのだが、いくらなら売ってくれるか?」
「え! いやいや、さすがに失敗した写真は売れませんよ!」
「そうか、残念だが仕方あるまい」
そう言うと男は一礼し、去っていった。どうして写真を見たかったのかは気になるところだったが、命あっての物種。ようやく生きた心地を取り戻し、マレカは深いため息を吐くのだった。




