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第81話 芸術の町の日常

〈第三章後編『とある錬金術師の物語』〉



 その後、例の石片は美術館に展示されることになった。世間的には爆発から逃れた『奇跡の少女』という名で通っているが、それはあくまで表向きの題名で、本当の題名は別にあるらしい。しかし、それを知っている人間はごくわずか……四人しかいないという。

 今日の美術館はいつも以上に多くの人でにぎわっていたそうだ。


「まずはこのお店を見てみましょうか」

 

 一方でエルシャ達は町の大通りへと繰り出し、旅に必要な物資を買いそろえていた。やはり町の規模が大きいと食料品も魔道具も品ぞろえが豊富で、あれこれと見て回るだけでも一日が潰れてしまいそうになる。

 だからこそ効率よく買い物をしなければ。

 ここぞとばかりにヨミは持ち前の決断力を発揮し、迷うことなく店の中へと入っていく。


「……あっ!」

 

 もちろんエルシャもヨミの背中を追おうとしたが、その時突然吹いた風が帽子をさらっていった。

 反射的に帽子を追いかけ、通行人の間を走り抜けていく。だが、風は止まることなくエルシャを翻弄し、ついには見失ってしまった。

 なくなっても困らないと言えば嘘になる。

 石化から目覚めたその瞬間からずっと被り続けてきただけあり、すっかり自分の一部のように思っていた。自分が思っていた以上に、あの帽子に対する思い入れは強かったようだ。

 だがこれ以上時間を割いて探すわけにもいかず、エルシャは捜索を諦めてヨミとマリーベルの元へ戻ろうとした。


「ここ……どこだろう……」


 そこでようやくエルシャは気づいた。無我夢中で帽子を追いかけてきたせいか、今自分がいる場所が全く分からなってしまったことに。全く見覚えのない路地裏だ。まあ、この町で見覚えのある場所なんてたかが知れているが。

 しかし気付かないうちに迷子になるだなんて、恥ずかしいやら情けないやらで、自然と肩が落ちていく。

 せめて大通りに出ればなんとかなるかな……との淡い期待を込めて大通りを目指して歩き始めた矢先だった。


「お嬢さんお嬢さん、探し物はこいつかな?」


 声を掛けてきたのは路上で商売をしている若い男だった。傍らに立てかけてある看板には『似顔絵描きます』との文字が少し乱れた文体で書かれている。この程度の文字ならば記憶のないエルシャにも読むことは出来た。

 しかし、それ以上に大事なのは似顔絵描きが手に持っているものだ。

 そこには、どこかでなくしてしまったとばかり思っていた帽子が握られていた。

 まさかこんなにも早く見つかるだなんて。

 

「は、はい! わたしの帽子です、ありがとうございます!」


 エルシャは人目も気にせず似顔絵描きの元へ駆け寄り、帽子を受け取った。


「これからはちゃんと飛ばされないようにするんだぞ?」


「すみません、気を付けます」


「それはそうと、キミにお願いがあるんだが……」


 そう言って似顔絵描きは、どことなく無理して作ったような笑みを浮かべる。その表情に嫌な予感がしたのは言うまでもない。


「な、なんですか? 今お金は持ってないのでお客さんにはなれませんよ……?」


 エルシャは不安げな視線を似顔絵描きに投げかける。お金もなければ時間もない。あと知らない人と話す度胸もないので、即刻立ち去りたいのが本音だった。


「ははっ、心配なさんなって。何も無理に客になってもらうってわけじゃないんだよ。ただちょっと……ここの店番をしててほしいんだ」


「え、どういうことですか?」


「いや、ちょっとね。腹の調子がさぁ……たぶん今朝食った卵が犯人だろうねぇ。こひゅぅー……こひゅぅー……」


 唐突に似顔絵描きの顔は青ざめていき、呼吸も乱れ始めた。おそらく演技などではない。こういうのは波というものがある。今、この瞬間に「頂点」が来てしまっているのだろう。それが「何の」頂点であるかは伏せさせていただくが。


「ええ!? だ、大丈夫ですか?」


「大丈夫……って言ったら嘘になるねぇ。ああ、こんなことになるなら朝飯抜いてくるんだった。黄身が緑身になってる時点で気付くべきだったねぇ……」


「あの、店番はわたしがやります。やるので、早く済ませてきてください!」


「そうかい、助かるよ」


「でもわたし、絵なんて描けないんですけどいいんですか?」


「いいのいいの、どうせ客なんてめったに来ないからさ」


「はぁ、そうですか」


 こうして二人は場所を入れ替わった。小走りで去っていった似顔絵描きの背中を尻目に、エルシャは置いてあった椅子に腰を下ろす。客が来たらどうしようかと不安だったが、彼の言う通り客はめったに来なさそうだ。

 大通りが近くにあるとはいえ、ここは裏通り。もともと人通りも少ない。

 しばらくの間エルシャは椅子の上で足をぶらぶらさせながら店番を続けた。

 このままいけば何事もなく店番は終わりそうだ。


「おお、似顔絵描きか。さすがは芸術の拠点と言われているだけある。そこら中に芸術家の卵がいるのだな」


 と、安心した矢先だった。興味深そうに看板を眺める観光客の男がやってきた。エルシャはびくりと肩を揺らし、その姿を視界に収める。


「キミ、似顔絵を一枚頼むよ」


 観光客の男は対面の椅子に座ると、エルシャに一枚の紙幣を差し出してくる。


「え、似顔絵……ですか?」


 エルシャの額から冷や汗が噴き出し、謎の動悸が胸をざわつかせる。

 絵は苦手だ。何を描けばいいのか分からないし、そもそも自分の顔すらはっきりと把握できていないのだから。仮に似顔絵を描いたところでまともなものになる気がしない。

 しかし観光客の男はもうお金を出してしまっている。ここで描かないというのもひどく不自然だ。

 だからエルシャに残された選択肢はただ一つだけ……覚悟を決めて絵を描くことだけだった。

 とにかく細かいところではなく大まかでいいと自分に言い聞かせながら、目の前に差し出された紙幣を受け取る。そして震える指先で絵筆を手に取った。


(……どうやって描けばいいのか分からない!)


 だが絵筆は一向に動きを見せない。似顔絵にしろ風景画にしろ、最初の一筆目というのは特に難しい。いや、エルシャに限ってはそれ以前の問題か。

 こうなるのは分かり切っていたのだから、素直に店番をしているだけだと言うべきだった。

 まっさらな紙とのにらめっこは、しばらく続いた。


「さて、そろそろ出来上がった頃合いかな?」


 時間にして十数分が経ち、男は立ち上がって紙を覗いてきた。当然まだ白紙のままだが、待ってくださいなどと言えるはずもなく。エルシャは慌てふためき、いかなる誹りをも受ける覚悟を決めて謝ろうとした。

 その時だった。


「あー! ここにいたー!」


 聞き馴染のある声に振り向くと、そこには呆れ果てた様子のマリーベルの姿があった。


「もう、こんなところで何やってるのよ」


「あの、これには深い事情がありまして」


「キミキミ、割り込むのはご法度だぞ。今は私が似顔絵を描いてもらっている番なんだからね」


 男はマリーベルがマナーの悪い客だと勘違いしているようだった。

 だが、当のマリーベルはそんなのはお構いなしにエルシャの腕を引っ張る。


「ああ! キミ、いったい何をするつもりかね!?」


「似顔絵なら私が描いてあげるわ。……はい、これでいいかしら?」


「おお、なんという手際の良さ。そしてなんという前衛的な似顔絵。さすがは芸術の拠点、こんなにもレベルが高い芸術家があちらこちらにいるとは驚きだ!」


 観光客の男は、マリーベルが10秒で描いた似顔絵を大層気に入っていた。二人とも何か深いところで致命的な勘違いをしている気がするが、エルシャにはもう勘違いを正せるだけの気力も集中力も残ってなどいなかった。

 カオスはカオスのままで。

 時には混沌としたままにするのもありだと、それが芸術なのだと。

 エルシャは浅いところで芸術の心を理解するのだった。

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