第79話 ラストバンクシー
一行は魔の森を抜け、再びミデロの隠れ家へと戻ってきた。古くからの友人に会い、魔眼による認識改変を解いてもらう。その目的はとうの昔に果たされていたわけだが、それで気が晴れるはずはなく――。
「ありがとう。何だかんだあったが、キミ達に付いてきてもらって良かった気がするよ」
かと思いきや、意外にミデロの表情は晴れていた。結果がどうあれ、長年心に引っかかっていたものが取り除かれたことで、幾分楽になれたということだろうか。
「ほ、本当に良かったんですか?」
エルシャが尋ねると、ミデロは迷うことなく「ああ」と言った。
「それでなんだが……最後にもう一つだけ、キミ達に聞いてもらいたい頼みがある」
「何ですか?」
「協力してほしいことがある。オレの最後の作品作りを、キミ達三人に手伝ってほしんだ」
「わたし達に」「最後の作品作りを」「「手伝ってほしい!?」」
エルシャとマリーベルは無駄に息の合った驚き方をした。ミデロは少しだけ笑うと、真剣な表情になって言葉を続けた。
「目的は二つある。一つは本当に魔眼の効力が失われているか確かめるため。そしてもう一つは……もう一つは、自分勝手な限りだがオレの心にかかった曇りを払うためだ」
「別にいいんじゃないですか? 芸術とは自分勝手にやってなんぼでしょう」
ヨミはこともなげに言ってのけた。その言葉に、ミデロは驚いたように目を瞬かせる。そしてゆっくりと顔を綻ばせると、嬉しさと安堵が混じったような表情を浮かべた。
ヨミの言う通りだ。芸術とは自らのために生み出すもの。ずっと根を詰め続けてきたせいか、基本中の基本を忘れていたようだ。
「……そうだな、今言ったことは忘れてくれ」
「ええ、考えておきます」
と、ヨミは何も考えていないような口調で言う。
「でも」そこへマリーベルが口をはさむ。「手伝うって言われても、私達は……少なくとも私は絵なんて全然素人ですよ?」
マリーベルの疑問に、エルシャもうんうんと頷く。しかしミデロは笑顔のままで続けた。
「気にする必要はない。手伝うって言っても、9割はオレの雑用だ」
「では残りの1割は?」
というヨミの疑問に、ミデロはこう答えた。
「……後のお楽しみだ」
もしかしたらミデロも何も考えていないのかも知れない。そんなことをエルシャはふと思うのだった。
「んじゃ、さっそく行くか」とミデロは腰を上げる。
「え、どこへ行くんですか?」とエルシャまでもが疑問を浮かべる。
「美術館だ」
「こんな時間にですか?」
魔の森を抜けた時点で夕方。隠れ家に帰ってきた時にはもう夜になっていた。ので、この疑問はごく当然と言えよう。
「ああ、この時間だからいいんだ」
「もう閉まっているんじゃないですか?」
「別にいい。美術館の中には入らないからな」
「あの、言っている意味が分からないのですが」
「分からなくてもいい。とにかく付いてくりゃいいんだ」
「はぁ」
「あとこれ。持つの手伝ってくれ」
「は、はぁ」
三人から出た疑問は何一つとして解消されていないが、ミデロは強引に話を進めていく。エルシャ達は顔を見合わせ、仕方なくミデロの後に付いていくことにした。
ちなみにミデロから運ぶのを頼まれた荷物は、塗料が入った缶だった。それも一つや二つではない。かなりの数だ。いったい何を描くのに必要なのか、エルシャ達はまたしても疑問を浮かべるのだった。
「うぅ、重い……」
◇
妙に慣れた足取りで美術館の敷地へと忍び込むミデロ。雑用を任されたエルシャ達は塗料の入った缶を両手に抱え、汗水を垂らしながらも必死に彼の背中を追いかけた。
やがて、ミデロは足を止める。
だが視線の先には何もない。強いて言うなら、美術館の真っ白な外壁があるだけだ。まるで巨大なキャンバスのようにも思える。そして手元には大量の塗料缶。
この二つから導き出される推測を、ふとエルシャは口に出していた。
「まさかこの壁に何かを描こうと言うわけではありませんよね?」
「よく分かったな。その通りだ」
「はは、さすがにそんなわけ……え、あるんですか?」
エルシャは冗談のつもりで言ったのだが、ミデロには真顔で肯定されてしまった。
唖然とするエルシャに、ミデロはハケを握り締めにやりと笑う。
「キミ達、ここまで運んでくれてご苦労だった。あとは全部オレに任せてくれ」
するとミデロは塗料缶にハケを浸し、真っ白な壁に向かって絵を描き始めたのだ。
「うわ! そんなことしていいんですか!?」
「いいんだよ。どうせここは近いうち取り壊される離れの別館だ」
「許可は取ったんですか?」
「取ってたらこんな暗い時に来るわけねえだろ」
「で、ですよねー……」
「お前達、周りはちゃんと見張っとけよ。あといつでも逃げられるよう準備しとけよ」
「…………」
もはや出る言葉もない。茫然と立ち尽くすエルシャを尻目に、ミデロは縦横無尽にハケを走らせていた。作業は止まることなく順調に進んでいく。今までで一番生き生きしているように見えたのは、きっと錯覚などではない。
ミデロはただ黙々と絵を描き続けていた。その背中を見守りながら、エルシャ達は撤収するタイミングを見計らう。
絵が完成するのが先か、警備員に見つかるのは先か。
そしてついに――
「よし、出来たぞ」「まずいです、向こうに人影が見えます!」
絵が完成するのと同時に、警備員と思われる人影がこちらへとやってくるのが見えた。
「仕方ない、逃げるぞ!」
四人はハケや塗料缶をその場に放置し、一目散に逃げだした。判断が早かったお陰で警備員に捕まることはなかったが、完成した絵を見ることは叶わなかった。それ以前に罪悪感も尋常ではなかった。
「くそ、逃げ足の速い連中だ!」
一足遅れ、警備員達が現場に駆け付ける。
「奴ら、いったい何が目的なんだ?」
「おい、壁を見てみろ。何か描かれてるみたいだぞ」
「これは『少女』に……風船か?」
「いや、これは『爆弾』だな」
「爆弾?!」
そこに描かれていたのは、まったく関連性が見られない二つのモチーフだった。一人の少女が風船を持って道を歩いている。かと思いきや、よく見ると丸い部分は風船ではなく爆弾であった。紐の部分も風船の紐ではなく、爆弾の導火線。この上なく不気味さを感じる絵だ。
「どうする、今から消すような時間もないぞ」
「取り壊しは明日だからな……」
「まあ……このままでいいんじゃないか?」
「そうだな。まあ、最近流行りのバンクシーって奴かもしれんしな」
「だからといって勝手に落書きするのはダメなんだけどな」
警備員は正論を言い放ったが、なんだかんだでミデロによる一世一代の悪ふざけは見逃されることになった。




