第77話 原点の記憶
森の奥へと向かう道中で、ミデロは友人とのいきさつを語った。二人が会うのは十数年ぶりだが、初めて会ったのは数十年も前にまで及ぶ。
その友人の名はガウスと言う。
当時、ミデロはとある小さな村で毎日絵を描いて暮らしていた。一方ガウスはと言うと、物心ついた時にはすでに両親が他界しており、町や村を転々と移り住んでは物乞いをして生きながらえていた。
その村はここから遠く離れた場所にあり、ガウスが物乞いで訪れたのが二人の出会うきっかけとなった。
ミデロはその時のことは未だに覚えていると言う。とにかく薄汚い格好をしており、一目見ただけで物乞いの孤児だと分かるような様子だった。
そのため最初は警戒していたミデロだったが、自分とほとんど歳の変わらない少年の必死な姿にほだされ、ガウスを家を招き入れることにした。
そんな勝手なことをして両親に何か言われないのか、とガウスは心配したが、実を言うとミデロもまた両親を物心つく前に失っていたのだ。
二人の境遇は重なるところが多かった。
ミデロはガウスの身の上話を聞いて同情し、何かの縁だからと家に住まわせてあげることにした。こうして二人の共同生活が始まる。ミデロは画家として名を売るために絵を描き続け、ガウスはそれを手伝っていた。
また、二人が住む小さな村には定期的に行商人がやって来ており、その行商人から物々交換で食料などを分けてもらっていた。芸術の拠点と呼ばれる大きな町があると知ったのも、行商人から聞いた話が元である。
そしていつしかその町へ移り住むのが、二人の当面の目標となった。
そのためには色々切り詰めなければならなかったが、夢のためならば苦痛ではなかった。むしろ今までで一番充実した毎日を送っていたと言える。
だがある日、事件が起こる。それは二人の出会いから数年が経過し、いよいよ旅立とうとした前日の晩のことだった。外の騒がしさに目を覚まし、屋外に出てみると、辺り一面が炎に包まれていた。
村が野盗に襲われていたのだ。
運よくミデロの住む家は無事だったが、ここもしばらくすればどうなるか分からない。なので当然ガウスを叩き起こし、逃げるよう促した。
ところが、どういうわけかガウスはミデロの言葉に従わなかった。それどころか賊の集団へゆっくりと向かい始めたのだ。
「おい、何やってる! 早く逃げるぞ!」
「ここは俺に任せてくれ。君こそ早く逃げた方がいい」
必死に叫ぶが、ガウスは聞く耳を持たない。次第に火の手がミデロの近くまで回り、彼自身も逃げるしかなくなってしまった。なのでそれから先のことは分かっていない。
しかし分かっていることも二つある。
一つは、無事にガウスが戻ってきたこと。
そしてもう一つは、賊の集団が全員自首したことだ。
本当に突然の改心であった。
奇妙としか言えない事の顛末に、ミデロはガウスに詳細を尋ねた。
「信じてくれるかは分からないが……」
彼が語ったのは、自身の持つ不思議な「目」のことについてだった。
ガウスの目にはある特別な力が宿っており、言うなればそれは「人の認識を改変する力」。最初に聞いたときは呆気にとられたが、賊が改心したという事実を鑑みれば信じない理由はない。
「いや、オレは信じるさ」
「そうか、それは有難い。だが俺が各地を転々としているのもこの目が原因だ。……普通の人は俺の目を気味悪がるからな」
「確か魔眼……だったか。最初にお前から聞いたときは何じゃそりゃと思ったけどよ、こうしてお前は賊を撃退してくれたんだ。何があってもオレは気味悪がったりしねえ。というか、気味悪がったりなんかしたらバチが当たっちまうぜ」
「はは、別にどう思ってくれても構わんよ」
「お前の能力をちゃんと話せば村の奴らも理解してくれるんじゃないのか?」
「どうだろうな。人は未知なる力を恐れ、忌み嫌うものだ」
妙に重みがあるように感じられた。きっとガウスは今までに何度も奇異の目を向けられたに違いない。それがミデロには容易に想像できた。だからせめて、村では自分の能力を隠そうとガウスは思ったのだろう。
確かにその考えは理解できるし、賢い生き方とも言える。
だが、いつまでも隠し通せるとは限らない。
それに、ミデロのように理解を示してくれる人も出てくるかもしれない。
なにせ村の被害が最小限に抑えられれたのは、ガウスの魔眼あってこそなのだから。
「話してみなきゃ何も始まらないだろ? 心配するなって、オレも一緒に説明してやるからさ」
ミデロの言葉にガウスはしばらく悩むようなそぶりを見せた。そして小さく微笑むと、ゆっくりと口を開いてみせる。
「……確かにお前の言うことにも一理ある。そうだな、村の人たちはみんな優しいから分かってくれるかもな」
それからガウスは自らの過去を語り始めた。そして自身の魔眼についても。
ガウスには人の認識を自由に変える力があること、そしてこの能力のせいで誰からも気味悪がられ、迫害を受けてきたこと。
淡々と語られていく話をミデロはただ黙って聞いていた。彼はまだ若く、世界を知らない子供である。だがその真っ直ぐな性格から来るものなのか、彼の言葉は芯が通っていてよく通るものだった。
ガウスもまた誰かに聞いてもらいたかったのだろう。話し終えた途端、心に刺さった杭がすっぽりと抜けたように表情が明るくなった。
「つうか、お前の力があれば気味悪がられることもないんじゃないか? 人の認識とやらを変えられるんだろ?」
ミデロがそう尋ねると、ガウスはどこか寂し気に首を横に振った。
「それはもう試してある。正確には俺がではなく、先代の魔眼持ちが……だがな。しかし、こればかりはどうもならないようなんだ」
「はぁ、先代……?」
ミデロにはガウスが言っている言葉の意味が分からなかった。あれから数十年経過した今でも、あの時の言葉の意味をミデロは分かっていないと言う。
「まあ何はともあれ明日だ。明日になったら皆にちゃんと話すってことでいいんだな?」
「ああ」
ガウスは頷き、床へと就いた。明日になれば皆も分かってくれると信じて疑わなかった。
そう、今日この時までは。
「アタシは見たんだ、あの子が賊に向かっていくのを!」
「なんだ、じゃあ彼が賊を撃退してくれたのか?」
「いや、その逆さね。あの子は賊と繋がってたのさ。そうじゃなきゃ奴らがいきなり引き下がっていった理由がつかないよ!」
次の日、村は蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。どうやらミデロの他にもガウスの姿を目撃した村人がいたらしく、根も葉もない噂を吹聴してあちこちを回っていた。
皆が皆、ガウスは賊と内通しており、村人を皆殺しにするつもりだったと言う。
もはや魔眼のことなど話せるような雰囲気ではない。
それどころかガウスの姿を一目見た瞬間に、収拾のつかない事態になってしまうことが容易に想像出来てしまった。
「なぁに、大丈夫さ。お前も一緒に付いてきてくれるんだろ?」
だが、この状況を前にしてもなおガウスは楽観的だった。未だに対話が成り立つと思っているらしい。当然ミデロは止めようとするが、聞く耳を持ってくれなかった。
「みんな、俺の話を聞いてくれ! 実は俺の目には――」
そこから先の結果は大方の想像通りだった、と現在のミデロは言う。ガウスの言葉に耳を傾ける者は誰一人としておらず、ただ罵詈雑言が飛び交う異様な光景が繰り広げられた。
「化け物」「出てけ」「裏切者」
当時の記憶はミデロもよく覚えていないと言う。だが、村人がガウスに投げかけた言葉だけは鮮明に記憶していた。まるで自分に言われているみたいだった、とミデロは昔を振り返る。
こうなっては村に住み続けるわけにはいかなくなり、二人は逃げ出すように村を出ていった。どうせならずっと遠い町へ行ってみようということになり、目的地はいつかの日に商人から聞いた「芸術の拠点」と呼ばれる町になった。
村で鍛えた絵の腕があれば苦労することなく生きていける、とミデロは信じて疑わなかったのだ。
しかし現実は非情で、世の中はそんなに甘くなかった。
二人は村から逃げ出し、行商人の言っていた町まで辿り着くことが出来たが、そこに待っていたのは厳しい現実。
芸術の中心地ということで町の人は皆絵を嗜んでおり、同時に評価も厳しかったのだ。当然、素人に毛が生えた程度のミデロが描いた絵など評価されるはずもなく、生活は瞬く間に困窮した。
逆にガウスは日雇いの仕事で食いつなぐ毎日ではあったものの、物乞いをしていた頃に比べると格段に生活の質は向上していた。
二人の立場は、いつの間にか逆転していたのだ。
そのうち二人が顔を合わせる頻度も著しく減少した。
だが彼らは同じ町に住んでいるので、酒場などでたまに出くわすこともある。移住から数年経ったある日もまた、二人は行きつけの酒場で偶然出くわすことになった。
「久しぶりだな、ミデロ」
「……お前か」
ミデロはどうしようもない現実に打ちひしがれ、酒に溺れる毎日が続いたという。それでも有名な画家になるという夢は捨てていなかったが、夢というのは持ち続けるだけでも相当な負担となる。それがいつまで経っても叶わないのなら、尚更のことだ。
「なあ、ガウス……ちょっと俺の話を……頼みを、聞いちゃあくれないか?」
確かにミデロは夢を持ち続けていた。しかし年月が経つにつれて、ゆがんだ形へと変貌を遂げてしまっていた。
「どうした、言ってみろ」
「お前の目には……確か、人の認識を変える力があるんだったよな?」
「ああ、昔そう言ったじゃないか。村での一件以来、あの力は使っていないけどな」
「それでなんだが……端的に言うとお前の目の力を借りたいんだ。具体的に言うと……オレの絵を有名にしてほしい。なあ頼むよ、オレももう限界なんだ!」
ミデロは深々と頭を下げ、みっともないくらい必死に頼み込んだ。かつては頼もしかった友人のあられもない姿に、ガウスは唖然としてしまう。
だが少し考えたのち、ガウスはミデロの肩にそっと手を置いた。
「……分かった。孤児だった頃の俺を、お前は見捨てないでくれた。その恩を返す時が来たんだろうな」
「いいのか!? うぅ、ありがとう……ありがとう……!」
「…………」
こうしてガウスは、数年ぶりに魔眼の力を行使した。
結果、ミデロの絵は品評会にて最高評価を獲得。画家としての道へと再び返り咲き、生活も今までと比べ物にならないほど豊かになった。
たとえ偽りの形だろうと、自分の絵が世間から評価されるのはとても気持ちがよかった。
そして徐々に作風も変化していった。
手間暇かけて精巧に仕上げた絵だろうと、適当に短時間で仕上げた絵だろうと評価は常に大絶賛。だったら後者の方が圧倒的に効率がいいということで、後期のミデロが描く絵は大体が意味不明なものばかりになった。
世間では抽象画の代表格と持て囃すがとんでもない。
ただ適当に描いただけであって、特に深い意味などないのだから。
ミデロはいつしか、自分は世間でいう芸術家ではないのだと自覚した。
しかし、それでもなおミデロは筆を握り続けた。
思いとは裏腹に、世間からの賞賛を浴びると快楽を手放すことが出来なかったのである。
「ミデロ、お前はこれで本当にいいのか?」
「……なあ、ガウス。村でのことを覚えているか」
「どうしたんだ急に」
「賊の襲撃があった次の日のことだ。村の奴らはお前の言葉を聞かずに、一方的にお前が賊と繋がっていると決めつけた。あれはなぜだったと思う?」
「ずいぶん昔のことを言ってくれるな。さすがに分からんよ」
「オレには分かる。お前が賊と繋がっていると言いふらしたのは、村長の娘だったからだ。ちょっと前に他所からやってきた孤児の言葉と、村長の娘の言葉。どちらが重いと思う?」
「……何が言いたい」
「要するに言葉っていうのは『何を言ったか』ではなく『誰が言ったか』ってのが重要なんだ。絵に関しても同じことが言える。いや、絵だけじゃねえ。世の中のありとあらゆることが、そういった不安定な価値観によって価値を左右されちまうんだ」
「つまり世の中の人間はお前の絵じゃなく、お前自身を見ているということか? だがその道を選んだのはお前のはずだ」
「ああ、それは分かってる。分かってはいるが……」
「今さら後戻りなど出来ないぞ。お前は黙って絵を描き続けるしかないんだ」
「分かってる。分かってるよ……」
だがミデロはそれ以来、新しい絵を発表することはなくなった。ミデロとも疎遠になり、魔の森の奥へ移り住んだことも人伝に聞いた限りである。
そしていつしかミデロは、変装して美術館に入り浸るようになった。幸い金と時間だけは腐るほど有り余っている。魔眼の影響を受けていない誰かが現れる、そんな奇跡に近い存在を待ち続けること十数年。
「わたしはやっぱり……最初の海の絵が一番好みです。後期の絵はちょっと……難しすぎてわたしには分からないです」
ついに彼女が……エルシャが現れたのだ。海と砂浜の絵はタスマハールに来てすぐに描いた初期の絵であった。当然魔眼の力を行使する前に描いた絵であり、本来のミデロが描きたかった絵にも近い。
なぜそんな絵が美術館に展示されているのかと言うと、要はついでである。
ミデロの知名度が上がると共に過去に描いた絵にも注目が集まるようになり、後期の絵には遠く及ばないが初期の絵にも価値がつくようになったためだ。
彼は十数年新作を発表していないだけあり、そこまで多くの作品数があるわけではない。
もっとかみ砕いた表現をするなら、数合わせだ。
だがミデロの感性が好むのは、そういった数合わせの中に存在する美しい風景を切り取った絵だ。彼は幼い頃はずっと目に映った風景を描き続けてきた。たとえ誰でも描けそうな絵と言われようと、原点は幼少期の記憶にある。
「キミ! 今の言葉は本当かね!?」
そんなエルシャの何気ない一言が、ミデロを突き動かしたのだった。




