第76話 幻影が見せる片隅の記憶
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「あの……み、皆さん、どこへ行っちゃったんですか……?」
エルシャもまた、濃霧の中に一人取り残されていた。声を振り絞ってみても返事は返ってこず、ただ虚しく木々のざわめきが返ってくるのみ。さっきまで四人全員で固まっていたはずなのに、本当にどこへ行ってしまったのだろうか。
叫び続けることにも疲れてきたので、他の三人を探しに行こうとしたが、ギリギリのところで踏みとどまった。土地勘がなく、視界も悪い場所を彷徨うのはさすがに危険すぎる。一応まだ最低限の判断力は残っているようだ。
しかし、待つにしてもいつまで待てばいいのか。
何も見えない、終わりも見えない。いつまで経っても迎えが来るとは限らない。
そんな状況下で待ち続けるのは、精神的に辛かった。
何か出来ることはないのか。
ここを動かずとも出来ること……。
とりあえずエルシャは、白い濃霧の中に目を凝らしてみることにした。
さっきまで四人とも近くにいたのだ。案外近くにいるのかもしれない。
「あれは……誰でしょうか……」
すると、すぐに人影のようなものを見つけた。薄っすらとだが、確かに霧の向こうに映る誰かの人影を目にしたのだ。
「あのー! わたしはここにいますー!」
エルシャが叫ぶと、人影はこちらへ向かってくるのが分かった。
距離が近づくたびに、ぼやけた輪郭は徐々に鮮明になっていく。
やがて、人影は霧の中から姿を現した。
「おや、エルシャじゃないか。久方ぶりだねぇ」
「あ、あなたは……」
人影の正体はマリーベルでもヨミでも、ましてやミデロでもなかった。それどころか顔の部分だけ未だにぼやけており、異様な不自然さを醸し出していた。
「どうしたんだいエルシャ。まさか、我のことを忘れてしまったのかい? ひどいねぇ、我はずっとエルシャのことを忘れてなかったというのに」
「す、すみません……」
顔だけが思い出せない。
いや、名前もか。
しかし、聞き覚えのある声なのは確かだった。男とも女ともつかない声であった。
「まあいい、お前にも事情があるんだろう? 我は心が広いから許してあげるよ」
「はぁ、ありがとうございます……」
どうして感謝しているのか。何に対して感謝しているのか。エルシャにも分からない。
「はは、礼には及ばないさ。その代わりと言っちゃなんだが、一つ頼みごとを聞いておくれよ」
「頼みごと……なんですか?」
エルシャがそう尋ねると、ぼやけた人影は不思議なことに笑ったような気がした。
「じゃあさ。死んでくれよ。今、ここで」
「……え?」
言っている意味が分からなかった。だが、決してふざけて言っているとも思えなかった。相変わらず顔はぼやけているが、どういうわけか強い殺意だけはハッキリと感じ取れるのだ。
次の瞬間、エルシャは得体の知れない恐怖に飲み込まれていた。
全身が震え、足がすくむ。呼吸が荒くなる。心臓の鼓動が激しくなり、生存本能が逃げろと訴えかけてくる。だが逃げられない。
目の前にいるこの人影は危険だと頭が訴えかけてきても、身体は微動だにしないのだから。
「お前一人のために、いったいどれだけの人間が死んだと思っているんだい? 心当たりはあるはずだ。最近だってほら、お前の友人の妹が死んだ。お前が龍の雫を飲まなければ、妹クンは死ななかったはずじゃないかな?」
「それは……」
「それは何だって言うんだい? 正しいです、とでも言うのかい?」
「うぅ……!」
呼吸がさらに荒くなり、エルシャはもはや喋ることすら出来ない。
「本当は分かってるんだろう? 何もかも覚えてるんだろう? ……だったら尚更じゃないか。責任取って死んでくれ。今、ここで! さあ、早くしろ!」
「うぅ……うううう……!」
呼吸だけでなく、全身の震えがより一層ひどくなる。もう立っていることさえままならない。今のエルシャに出来ることは、ただ呻き声を上げること。そして、人影の頼みを受け入れること――。
「エル!」
その時だった。
背後から再び聞き覚えのある声が聞こえ、同時に顔の傍を火球が掠め通っていった。
直後、火球は人影に直撃し、激しい爆発を引き起こす。
衝撃でエルシャの体は後方に吹き飛ばされるが、何者かによって受け止められた。
「エルシャさん、ご無事ですか?」
受け止めてくれたのはヨミだった。近くにはミデロの姿もある。そして先ほどの火球を放ったのは、やはりマリーベルだった。
「は、はい……ありがとうございます」
震える声でエルシャは感謝を伝える。
三人の姿は幻影などではなく、確かな本物であった。
「おい、本当に大丈夫なのか!? いったい何を見た。いったい誰の幻影を見たんだ……!?」
よほどエルシャの様子が尋常ではなかったのだろう。ミデロは心配そうに声をかけてくれた……つもりだったのかも知れないが、鬼気迫る雰囲気のせいでもはや尋問だった。
「すみません、か、顔が……」
「ミデロさん、顔が近すぎます! エルもそう言ってるのでやめてください!」
「おっと、すまねえ」
よほどエルシャが困り果てていたのだろう。マリーベルが助け舟を出してくれた。しかし本当に言いたかったのは顔の距離ではなく、顔がぼやけていて誰なのか分からなかったことなのだが……。
(……まあ、いいのかな?)
うまく説明できる自信もないので、二人には勘違いさせたままにしておくことにした。
いつの間にか霧も晴れており、一行は再び森の奥を目指して歩き始める。
それにしても、あの人影はいったい誰だったんだろう。
ミデロが言うには、霧が生み出す幻影は記憶から作り出されるらしい。
だとすれば、あの人影は――。




