第75話 濃霧の奥から呼ぶ声
「おーい、みんなどこにいるのよー! 聞こえてるなら返事してー!」
白い濃霧の中、一人取り残されたマリーベルはとにかく不安だった。探しに行こうにも下手に動いて自分が迷子になっては本末転倒だ。
……いや、もう自分が迷子になっている?
どちらにせよ今いる場所を動くのは得策ではない。
かと言ってじっと待っているのも怖かった。
だから叫んでみたのだが、当然返ってくる声はない。
もしかしたら、みんなは自分を置いてさっさと先に行ってしまった?
そんな不安が胸をよぎってしまう。
「そ、そんなはず……ないわよね……?」
そう、そんなはずはない。今まで苦楽を共にしてきた仲間が、簡単に自分を見捨てるはずはない。そう信じて、じっと我慢する他ないとマリーベルは思った。
しかし、霧が濃くて何も見えないのはやはり怖いものだ。このまま誰も帰って来なかったらどうしようと考えると涙が出そうになる。
「おね……さ……――」
その時だった。不意に後ろから話しかけてくる声が聞こえてきた。
しかしその声はエルシャでもヨミでも、ましてやミデロの物でもない。
だが確かに聞き覚えのある声に、マリーベルは無意識的に振り向いた。
いや、振り向かざるを得なかったと言うべきかもしれない。
「――!? な、なんであなたがここにいるの!?」
マリーベルは驚きのあまり、呼吸さえもままならなくなるほど息を詰まらせた。視線の先にいたのは、絶対にいるはずのない人物であった。
幾ばくかの間を置き、マリーベルはようやく落ち着きを取り戻す。
そしてしっかりと前を見据え、目の前に現れた彼女の名を呼んだ。
「セイラ……」
彼女は紛れもなく妹のセイラであった。しかし、彼女はすでに死んでいるはずなのだ。ならば今目の前にいるセイラは一体何者なのか?
「お姉……様……」
しかも似ているのは姿形だけでない。
声も、口調も、微妙な抑揚の癖も、すべてマリーベルの知るセイラの物だった。まるですぐそこに、セイラがいるみたいだった。
「ほ、本当にあなたなの、セイラ……」
マリーベルは恐る恐るセイラに近付く。
するとセイラはにっこりとほほ笑み、マリーベルの手を握った。
確かな体温を感じる。信じられない。まさかセイラが生きていたなんて。
「はい。お姉様に会いたいと強く願ったら、本当に願いが叶ったんです」
「そう……」
「お姉様。危険な旅なんかやめて、私と一緒に町へ帰りましょう。お姉様にはもう旅を続ける理由などないはずです」
「そうね。あなたの言う通りかもしれないわ」
「では、今すぐ――」
「でも、それは出来ない。私にはどうしてもやらなければならない事があるの。あなたと同じくらい大事な友達と、約束したことがあるの」
マリーベルはそっとセイラの手をほどく。
そして手のひらを前方に向け、魔力を込める。
セイラは驚きのあまり言葉を失っていたが、次の瞬間にはマリーベルが放った魔弾により全身が霧となって消えた。
「……少し前の私なら、もしかしたら騙せてたかも知れないわね」
本当は分かっていた。妹のセイラが生きていないことなど、最初から。
姿や形、声、体のぬくもり。すべて霧が生み出した幻影なのだ。
セイラを自らの手で送り出したあの瞬間から、マリーベルは決して揺らがないと心に決めていたのだ。
たとえセイラが目の前に現れたとしても、その意志は変わらない。彼女はもうこの世にはいない。それは、揺らぎようのない事実なのだから。
「それにしてもあんなに似せてくるなんて、魔の森ってのはずいぶん意地が悪いことしてくるのね。まさか体温まで再現してくるなんて思いもしなかったわ」
「……ここにいましたか、マリーベルさん」
またしても背後から声が聞こえた。振り向いてみると、そこにいたのはヨミとミデロの二人だった。
「あなた達……本物なのよね?」
マリーベルは疑いの眼差しを二人に向ける。失礼なことをしている自覚はあるが、さっきあんなことが起きたばかりなので見逃してほしい。
「ああ、もちろん本物だ。証明は出来んがな」
「そう仰るということは、マリーベルさんも誰かの幻影を見たのですね?」
「……まあね。久しぶりにセイラの顔を見れたのは嬉しいけど、出来れば二度目は御免被りたいわね」
「なるほど、マリーベルさんは妹さんの幻影でしたか」
「そういうあなたは誰を見たのよ」
「……言っても無駄だと思いますよ。マリーベルさんは多分知らない方なので」
「まあ、確かにそうね」
珍しくヨミが困った表情を浮かべている。自分だけ誰を見たかを言った不公平感はあるが、ヨミにも詮索されたくないことの一つや二つくらいあるのだろう。ここは彼女の意志を尊重し、それ以上の追及はやめておいた。
(一つや二つっていうか、めちゃくちゃな数を隠してる気がするけど……まあいいか)
ヨミに関しては20年前と姿が変わっていないことなど、いろいろと謎が多すぎるが気にしている余裕はない。
今はとにかく、ここにいないエルシャの捜索が何よりも優先された。
「まったく、一番厄介な変異を引いちまったもんだ。この霧を吸い込むと記憶を読み取って、そいつが思う一番会いたい人間の幻影を作り出す。で、その幻影の誘いに応じてしまったらアウトだ。幻影に人格を乗っ取られちまう」
淡々とミデロは語るが、よくよく考えなくとも恐ろしい。
もし「旅をやめて町に帰る」という誘いに乗っていたらと考えると……マリーベルの額に冷や汗が浮かんでしまう。
「だったら、なおさらエルを見つけてあげなくちゃね」
マリーベルの言葉に、二人は静かに頷く。
それにしても記憶がないエルシャは、いったい誰の幻影を見ているというのだろう。
そんな疑問が、ふと頭の片隅によぎった。




