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第74話 魔の森

 そう言うとミデロは、直ちに身支度を整え始めた。どうやら今すぐ出かけるつもりらしい。シワ一つない高そうなスーツと、ピカピカに磨かれた革靴を脱ぎ捨て、代わりに頑丈なジャケットと長靴、それにナイフなどの武器を装備。

 この絵描きは一体今からどこへ行くつもりなんだ、と誰もが思ったに違いない。


「あの、どこへ行かれるつもりなんですか?」


 エルシャも疑問に思ったのか、ミデロの哀愁漂う背中へ問いかけた。


「さっき言った通りだ。オレの古くからの友人に会いに行く」


「ご友人に会いに行くのに、どうしてそんな武装を?」


「アイツがいるのは、魔の森の奥地だ。危険な道のりになる」


「ま、魔の森……?」


 エルシャはその場所のことを知らないが、言葉の響きだけで危険であるのは察知できた。


「ああ。認識改変は……いや、認識改変に限らず魔眼の力は世界に大きな影響を与えてしまう。アイツもオレと関わったことで魔眼の恐ろしさが分かっちまったんだ。だから少しでも影響を抑えるため、アイツは森の奥へ身を隠すことを選んだんだろう」


 ミデロは淡々と語り続ける。あくまで推測には過ぎないとは言うが、妙に説得力があった。


「さて、無駄話をしてたら日が暮れちまう。オレはそろそろ行かせてもらうぞ」


「待ってください、わたしも……わたし達も、同行させてくれませんか?」


 エルシャは珍しく自ら頼み事をした。

 ミデロは振り返り、エルシャと視線を交わらせる。

 そして顎に手を当てて、数秒間考え込んだ。


「さっきも言ったが、魔の森っていうのは危険な場所だ。オレ個人の勝手のためにキミたちが命を懸ける価値はない」


 端からミデロは一人で魔の森へ向かうつもりだったはずだ。まさか同行を申し込まれるとは、彼自身も想像していなかったであろう。

 しかし、そんな定型文のような否定の仕方で食い下がるほど、今のエルシャは気弱ではない。


「価値があるかどうかはわたしが決めます。どうかお願いします、わたし達の同行を認めてください!」


 エルシャは深々と頭を下げた。その根底には、魔眼の持ち主に会うことで失った記憶を取り戻すヒントを得られるかもしれないという思いがあったかも知れない。

 だがそれよりも、単純にこのミデロという男に同行したいという思いが強かった。

 何というか、ミデロからは自分と同じニオイがするのだ。

 もちろん体臭という意味ではなく、性格的な意味で。

 同族嫌悪ならぬ、同族調和と言うべきか。

 面倒な性格をしている者同士で引かれ合った結果が、今の状況を作り出している気がしていた。

 

「……仕方ないな。だが自分の身は自分で守ってもらう。オレの本職は絵描きなんだ。戦闘面に関して期待はしてくれるなよ」


「大丈夫です!」と、マリーベルは張り切ってみせる。「こう見えても私たち、結構強いんですから!」


「ほう、それは心強い。だが魔の森が真に恐ろしいのは魔物なんかじゃなく、何が起こるか分からないという不確定要素にある。くれぐれも気を付けて進むことだ」


「例えば、どのようなことが起こるんですか?」


「悪いがオレに尋ねられても困る。魔の森に関しては分かっていないことの方が多いんだ」


 そんな分からないことだらけの森の奥に住んでいるという友人は、いったいどういった人物なのだろうか。興味と疑問が際限なく湧き出てくる。とりあえず只者でないことだけは確かだろう。


「さ、オレはもう行くぞ。付いてきたいなら勝手に付いてこい」


 そう言ってミデロは部屋を出た。三人もすぐに彼の後を追いかける。

 

 魔の森があるのは町の外だった。街道を逸れ、しばらく進んでいくと、徐々に周囲の雰囲気が変わり始める。

 鬱蒼と生い茂る樹木に、足元を絡みつく下草。木々の隙間から覗く空の色は黒ずんでおり、日の光がほとんど差し込んでいない。

 魔の森の入り口に差し掛かったところでミデロは足を止め、三人の方へ振り返る。


「ここから先は何が起こるか本当に分からねえぞ。引き返すなら今の内だ」


 引き返すつもりなど毛頭ない。三人は無言で首を横に振り、彼の忠告を否定した。

 ミデロは小さく頷き返し、森の奥へ進んで行く。エルシャたちもその後を追った。

 森に入る直前の雰囲気も怪しげな雰囲気を醸し出していたが、いざ奥地に踏み込んでみるとその不気味さは桁違いだった。

生暖かい風が吹き抜け、ザワザワと木の葉が揺れている様子は気味が悪いの一言に尽きる。まるで手招きをされているかのようだ。

 辺り一面に並び立つのは相当な年月が経っていると思しき巨木ばかりで、幹や枝が複雑に絡み合っていている。根の部分も地面に露出しており、足元を不安定にさせるばかりか、あちらこちらに死角を生み出していた。この状況で魔物に不意打ちでもされたら、間違いなく無事では済まないだろう。


「――みんな、止まって」


 と、その時。

 魔物の存在にいち早く気づいたマリーベルが、咄嗟に警告を発した。

 視線の先にいるのは、トレントという樹木の姿を模した魔物だった。幹にできた大きな空洞のような目が四人を捉えている。


「トレントか。向こうが気づかないうちに通り過ぎることは可能か?」


「いえ、おそらく気づかれています。少しずつ、こちらとの距離を縮めてきていますので」


 ミデロとしてはなるべく戦闘を避けたいところだったが、ヨミの見立てだとそれはもう難しい。先ほどから聞こえ始めたカサカサという謎の音は、草木が揺れる音でも虫が蠢いている音でもない。トレントの根っこのような足が動いている音だ。そう、少しずつ少しずつ、こちらへと接近して来ているのだ。


「ならば駆け抜けるしかないか」


「いえ、もっと確実な手があります。マリーベルさん、お願いします」


「よし、来たわね。私に任せといて!」


「えっ、何をするつもりなんですか……?」


 どうやらエルシャはまだ分かっていないらしい。だが杖を取り出したマリーベルがこれからやることなんて、一つしか選択肢はないだろう。

 まさかアレをやるのか?

 そのまさかであった。

 掲げた杖の先端に、赤い魔法陣が展開されていく。

 脳裏によぎるのは、ゴブリンの群れを焼き尽くしたあの光景。

 なぜか味方側のエルシャの額に、冷や汗が浮かぶ。


「心配しないで。火力調整のコツは……もう掴んだから!」


 そう言ってマリーベルは炎弾を発射。宣言通り大きさも濃度もかなり抑えられており、森の木々に引火するようなこともなく、エルシャの心配は杞憂に終わった。


「どう、見てた? これが私の実力なんだから……あれ?」


 マリーベルは気づいた。さっきまで近くにいたはずの三人が、いつの間にかいなくなっていることに。

 

 いや、それだけではない。

 白くて濃い霧が、辺り一面を覆い隠していたのだ。

 おかげでほんの少し先の景色さえも見えない。

 視界だけでなく、頭の中も真っ白になってしまった。


「みんな……どこにいるの……?」

 

 マリーベルは不安げに呟く。

 魔の森の異変は、確実に始まっていた。

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