第71話 ミデロの隠れ家
「ええっ!? ほ、本当にそう書いてるの……?」
エルシャが読み上げたのは、まさに先ほどマリーベルが褒めちぎっていた画家の名前だった。まさかの展開に、思わず三人は顔を見合わせる。あの不審者にしか見えない男が、ミデロだったというのだろうか。名刺を確認してみると、やはりそこにはハッキリとミデロという文字が書かれていた。
「どうやら住所も記されていますよ。美術館からだと少し遠いですが、この町の中です」
ヨミは名刺の裏側にも目を向ける。そこにはミデロの隠れ家と思われる場所が記されていたが、果たして本当に信じてもいいのだろうか。今のところ怪しさと胡散臭さしかない。
そういうわけで今のところの最有力候補は、何かの犯罪に巻き込まれるパターンだ。自分を有名な誰かだと偽り、ひと気のないところまで誘い込んで誘拐する、というのは大きな町ではよく発生する犯罪らしい。ターゲットになるのは決まって力のない子供、それも男ではなく女の方だ。
エルシャたちは普通の女の子供と違って対抗できるだけの力は持っているが、だからと言って進んで犯罪に巻き込まれに行くのは賢い選択とは思えない。
だが万が一にも本物ならば……という考えも、頭から離そうとしても離れてくれなかった。芸術家というのは得てして自分の素性を隠したがる。特に、ミデロほどの名のある人物ならば尚更だろう。顔をすべて隠していたのも、見つかって騒ぎになりたくなかったからだと考えればつじつまは合う。
「あの~、行ってみるだけ行ってみませんか?」
エルシャは躊躇いながらも、二人に提案してみることにした。
「え、行ってみるの?」
人見知りのエルシャにしては珍しい積極的な意見に面食らいながらも、特に反対する理由はなかった。だいたい、名刺を受け取ったのはエルシャなのだから、ここは彼女自身の意見にゆだねるべきろう。あと、マリーベルは単純にミデロに会ってみたかった。
「はい。もしかしたらミデロさんという方なら、わたしの……うぐっ」
「ど、どうしたの?」
「すみません、ちょっと思い出したくないものを思い出してしまいました」
トラウマと恥ずかしさと後頭部の痛みが急に押し寄せ、エルシャはえずいてしまう。脳裏に剥がれない自身の姿が描かれた肖像画。これほどまでのインパクトが色濃く残っているのは、さすが最初に描かれた原画だと言うほかない。
「けどもう大丈夫です。話を続けます。……ミデロさんという方なら、私の肖像画の原画について何か知っているかもしれないと思うんです。もしかしたら誰が描いたのかも、知っているかもしれないじゃないですか」
顔色を悪くしつつも、エルシャは最後まで言い切った。その頑張りを汲み取ったわけではないが、ヨミはエルシャの言葉に頷いてみせた。
「確かに一理ありますね。危ない橋も一度渡ってみないと分からないものです。最初から不審者と決めつけるのは浅慮だったかもしれません」
まだ完全に偽物だと決まったわけではない。もし本物ならば千載一遇の好機だ。
「マリーベルさんはどうしますか?」そう言ってヨミは視線を送る。
「し……仕方ないわね。私も付いて行ってあげるわ!」
「決まりですね。ではさっそく三人で行ってみましょうか」
「勘違いしないで欲しいんだけど、私は別にミデロさんに会ってみたいわけじゃないんだからね。あなたたち二人だけではちょっと不安だからってだけで」
「マリーベルさん、誰に向かって喋ってるんでしょう」
「さあ。でも気持ちは分かりますよ。虚空に向かって喋りたくなる時は誰にでもあるものです。まあ、私にはありませんけど」
ヨミはエルシャを連れ、美術館を後にしようとする。そこでマリーベルは我に返り、二人の背中が遠のいていくことに気が付いた。
「ああっ! 待って、置いてかないで~!」
◇
名刺に記されていた住所の通りにエルシャたちが進んでいくと、段々と人通りが少なくなっていき、ついには周囲に人の姿が見えなくなった。
本当にこの先に隠れ家なんてあるのだろうか?
不安に駆られながらも薄暗い小道を進んでいくと、やがて寂れた建物が見えてきた。だいぶ年季の入った建物で、一見すれば誰も近寄ろうとはしないだろう。
そんな建物を正面に捉えながら、ヨミは名刺に記された住所と地図を見比べて、住所が間違っていないことを確認する。
「どうやらここのようですね」
「ええ~!? ほ、本当にここなの?」
想像とは程遠い結果に、マリーベルは思わず叫んだ。
しかしミデロほどの巨匠が、いったいなぜこんな廃屋同然の建物に住んでいるのか。隠れ家とは言っていたが、それにしてはあまりに周りの雰囲気が不穏すぎる。なんというか、スラム街のような場所だ。美術館のあった中心部と比べると、治安は決して良くないように思える。
「隠れ家ですからね。確かにここは簡単には見つからないでしょう」
ヨミは呑気に言う。彼女はいったい何を前にすれば怖気づくのだろうか。だが、今ばかりはそんな呑気さが果てしなく頼りに思えた。
「そういう問題かしら。ちょっと留守にしている間に絵の一枚や二枚、簡単に盗まれそうな雰囲気なんだけど……」
「決めつけはよくないですよ。住めば都とも言うでしょう」
「そうかもしれないけど、私なら遠慮するわね」
マリーベルはため息をつく。ちらりとエルシャに目をやると、意外なことに中へ入る準備は万端のようだった。どうやらここに来ることを決めたのは、彼女の中で強い意志があったかららしい。
「わたしは準備出来てます。皆さんはいいですか?」
「ええ、もちろんです」
「私も。ここまで来て引き返すことなんて出来ないわよね」
旅を経て、エルシャの心も成長したということだろう。マリーベルは少しだけ弱気になってしまった先ほどの自分を恥じた。
「では皆さん……何かあった時はお願いします!」
そしてエルシャのあんまり締まらない掛け声を合図に、三人は一斉に建物の中へ入るのだった。




