第69話 光の魔女の原画
もちろん肖像画の原画が寄贈されているという話は、描かれている本人には伏せておいた。肖像画のモデルとなった彼女は、極度の人見知りなのだ。自分の姿が詳細に描かれている絵が、しかもこんな大きな美術館に飾られて多くの人々に見られていると知ったら、きっと発狂してしまうに違いない。
だがその一方で、自分の肖像画を見れば、失われている記憶を思い出すかも知れないのもまた事実。たとえそれがほんの一部の記憶だとしても、今までのことを考えれば大きく前進することになる。
いきなりすべての記憶を取り戻せるとは誰も思っていない。まずはきっかけが必要だ。小さなきっかけが始まりとなり、連鎖的に記憶を取り戻せる可能性だって当然ある。
時には荒療治も有効手段なのだ。
なお当の本人はこれから起こるであろう災難などつゆ知らず、美術館での観光を楽しんでいるようだった。
「わぁ~。すごく広いですね! 美術館ってこんなに大きいものだったんですね」
純粋な子供のように目を輝かせ、エルシャは館内を見渡す。中に入れば、そこはまるで別世界。色とりどりの宝石を散りばめたかのような景色が広がっていた。
この美術館には世界中の芸術品が一堂に会している。ありとあらゆる地域の、ありとあらゆる時代の芸術家たちが丹精込めて作り上げた作品の数々が、ここにはあるのだ。数は優に千を超えており、中には誰もが知っているような名作も飾られているというのだから驚きだ。
また、壁に飾られた数々の絵画の前には、じっくりと鑑賞している人の他に、模写に勤しむ芸術家の卵ともいうべき人々の姿も見て取れた。
ここで展示されている絵画や彫刻は、事前に許可さえ取れば自由に模写をしてもよいことになっている。美術館の役目は作品の展示や保全のみに留まらず、後進の育成にも力を入れているということらしい。そこには性別や年齢の区別はなく、老若男女様々な人々が作品と向き合いながら絵筆を走らせていた。
そんな彼らの姿もまた、美術館を構成する要素の一つと言えるのかも知れない。
……と、言った風に観光を楽しむ一方、例の原画が飾られている部屋にもどんどん近づきつつあった。もちろんその事実は未だ伏せたままにしてある。ここまで来るとエルシャがどういった反応をするのか、二人も楽しみになってきていた。
そして、その時はやってきた。
原画が飾られているのは、とある小部屋の中だった。
広さはないものの、飾られているのは一枚の絵のみ。
まさに「光の魔女エルシャの肖像原画」のために用意された部屋と言えよう。
「あれ? この部屋は他と違って広くはないんですね」
その部屋に足を一歩踏み入れ、エルシャは率直な感想を述べる。
「確かにそうですね。もしかしたら特別な絵が展示されているのかも知れませんよ?」
ヨミはあくまで知らないふりをして答えた。例の肖像原画までは、目と鼻の先だ。
「それは楽しみですね。いったいどんな……え、絵が……」
エルシャの足はピタリと止まった。自分自身の姿が鮮明かつ正確に描かれた絵を前にし、固まってしまった。
とはいえそれは、ある意味予想通りの反応だった。
だが直後、エルシャは意外なことを言ってきた。
「なんだかこの絵……懐かしい感じがします」
「懐かしい、ですか?」
自分の肖像画を見て驚くでもなく、ましてや感動を覚えるでもなく、懐かしい。それはヨミもマリーベルも予想のしていなかった反応だった。
「はい。わたし、この絵をどこかで見た……気がするんです……」
エルシャは、肖像画に食いつくほど夢中な様子でそう言った。どうやら動きが固まっていたのは、自分の肖像画が飾られているからではなく、どこで見たのかを思い出そうとしていたかららしい。絵をじっくりと眺め、懐かしいという感覚の正体を掴もうとしている。
これはチャンスかもしれない。さっきまでのおふざけ雰囲気から一転、ヨミとマリーベルは互いに目配せをする。確実にこの肖像原画は、エルシャの記憶につながる手がかりだ。
「ねえエル。その絵を見たのって、もしかして私の屋敷じゃない? この絵と同じ絵……まあ複製画でしょうけど、おんなじのは世の中にたくさん出回っているわ」
語り掛けるように、確認を取るように、マリーベルは尋ねる。確かに世の中に出回っているエルシャの肖像画の大元は、ここに飾られている原画を模写したものや、模写したものをさらに模写した絵がほとんどだ。
しかしエルシャは明確に違うと答えた。
今、目の前にある絵を、どこか遠い昔に見た気がすると言うのだ。
「もしかしたら……逆なのかもしれませんね」
そんな時、ふとヨミは独り言をつぶやいた。
「逆って?」マリーベルが尋ねると、ヨミはこう答えた。
「エルシャさんの肖像原画が描かれた時期ですよ。私たちは一枚目の肖像画を、エルシャさんの石像をもとに描かれていたと思っていました。しかし、それは違うのです。本当は……エルシャさんが石化する前に描かれたのかも知れませんよ?」
「えっ……それじゃあ……」
一歩遅れをとりながらも、マリーベルもようやく気付いたらしい。ヨミの仮説が正しいとなると、目の前にある絵はエルシャの石像を写生したものではなく、直接本人を描いた絵ということになる。
つまりこの絵を描いた作者の素性が分かれば、エルシャの正体を掴むための大幅な近道となるのだ。
しかし近くにあった看板に目をやると、作者の名前は不明。描かれた時期も分かっていないらしい。
「はぁ、さすがにそう都合よくはいかないわよね」
「残念ながらですね。でも、そういった神秘性がこの絵を名作へと昇格させているのかも知れませんね」
ため息をつくマリーベルを、ヨミは慰める。
確かに世の中には、未知なる神秘性ゆえに人気が出る作品があったりする。絵画に限った話ではなく、芸術の世界ではよく聞く話だ。
たとえば腕の欠けた女神像が発見されたことがあるが、それがどんな人物が製作したのか、あるいはいつの時代に作られたのかなど、一切分かっていないという。
しかも「足りない腕の部分」を「人の想像」で補うからこそ芸術的だと称する声もあったりする。
そういった感性もまた、芸術の一部と呼べるかも知れない。
なんと奥深し、芸術の道。
「……あれ? もしかしてこの絵に描かれてるのって……わたしですか?」
そして、エルシャは一歩どころではない周回遅れでようやく気付いたらしい。
「今ごろ気付いたの? そこに描かれてるのは……あなたよ、エル」
「……!?!?」
エルシャは目を丸くして驚く。全身が火照り始め、顔は一気に赤みを帯びた。これまでいったいどれだけの人数に肖像画を見られたことか。まるで数百年分の恥を一気にかいたかのように、口をパクパクさせて直立不動のまま倒れるのだった。
「ちょっと、エル!? だ、大丈夫……?」




