第65話 魔獣のやり方
「どうしたの!? トージョくん!?」
明らかに様子のおかしいトージョの姿を見て、近くを通りがかった村人が駆け寄ってきた。
しかし、今のトージョに村人の声は届いておらず、無反応のまま歩き続ける。周りの景色や声を気にする余裕すら残っていなかったのだ。
心臓の鼓動はより大きく激しくなっていき、息苦しさ増す一方だ。もはや意識も朦朧とし始め、何も考えられなくなっていた。
――ドクンッッ!
トージョの中で何かが切れた音がした。そして何かが目を覚ます。同時に体中を這いずり回る不快感と違和感が凄まじい勢いで膨れ上がる。やがて違和感の正体に辿り着くが、その瞬間に彼の理性は完全に消し飛んだ。
先ほどとは違い、周囲の音は鮮明に聞こえてくる。
吹き抜けていく風。揺れる草木。遠くで鳴く鳥の声。
そして、近くにいる人々の悲鳴。
「うわああああーー!」
「みんな逃げろ! さあ早く逃げるんだ!」
男の掛け声を合図に、人々は一斉にその場から逃げ出した。
トージョはわけが分からず、皆の背中に腕を伸ばす。
「ま……待って、待ってよ。どうしてみんな、ぼくから逃げるんだよおォォ!!」
だがその時に気づいてしまった。自分の腕が、魔獣化していることに。
いや、腕だけではない。足も、胴も、頭も、いつの間にか全身が魔獣化していたのだ。
こんな経験は初めてだ。無意識のうちに魔獣化したことなんて、今まで一度もなかった。いったい何が原因だ。
トージョは、ふと手元に目を移す。
固く握った拳の中には、未だに刀が収まっていた。
おかしなことに、その目で見るまで刀を握っているという感覚はなくなっていた。
「これのせいか……やっぱりこいつのせいなのかァアアッ!?」
トージョは叫び、刀を投げ捨てる。しかし、またしてもその試みは無駄に終わった。またしても刀を投げ捨てたつもりになっただけだった。妖しいまでに美しい刀身を見ていると、次第に頭の中が真っ白になっていき、意識と行動がちぐはぐにかき乱されてしまう。原因は分かっているのにどうすることも出来ないもどかしさに、トージョはひたすら叫んだ。叫べば叫びほど、魔獣の咆哮が村全体に響き渡っていった。
「……魔獣と言えど所詮は魔物。刀の妖気にはやはり勝てませんでしたか」
のそりのそりと歩く魔獣の前に、フードを被った女が姿を現す。
「だ、誰だ!?」
「声で分かりませんか? 私ですよ」
そう言って女はフードを脱ぎ去り、素顔をあらわにする。三つ編みに束ねた黒い髪に、赤い縁の眼鏡。夕日を背にして不敵な笑みを浮かべる彼女の名は、ヨミ。魔獣が手にしている刀の持ち主である。
「というか、誰だと言いたいのはこちらの方です。先ほどとはずいぶん雰囲気が変わってしまいましたね」
「グゥウウ……この剣を抜いてからだ、おかしくなったのは……! 言え、この剣はいったいなんなんだ!?」
「自分で盗んどいてその言い草は滑稽ですね。少なくとも泥棒に教えてやる義理はないと私は考えてます」
ヨミは不敵な笑みを浮かべたまま、一歩ずつ前進していく。ゆっくりと迫り来るその姿に恐怖心を抱いたのか、魔獣は思わず後ずさってしまった。
だが、よく考えてみれば相手の獲物は自分の手中にあるのだ。つまり相手は丸腰。雰囲気に一瞬飲まれそうになったが、恐れることなど何もなかった。魔獣化した自分が、たかが人間に負けるはずなどないのだ。
「調子に乗るなよ、眼鏡女ァ! 今のお前に何が出来る?!」
魔獣は叫び、ヨミに襲いかかろうとする。魔獣の腕力と刀の切れ味を持ってすれば、たかが人間一匹を両断することなど容易い。
「確かに今の私には何も出来ません。……精々たわいもない会話でもして時間稼ぎをするのが限界でしょう」
「あぁ? 時間稼ぎ……ハッ、まさか!?」
ようやく魔獣は気づいた。自分の足元に魔法陣が展開されていることに。だが気づいた時にはもう遅く、魔法陣の中から出てきた糸が魔獣の足をがんじがらめにした。
直後、二人の少女がトージョの背後に姿を現す。
「エルシャさん、マリーベルさん、思いっきりお願いします」
「はい!」「もちろん分かってるわ!」
ヨミが時間を稼いでくれたおかげで、二人とも魔法発動の準備は整っている。しかも位置もベストポジション。相手の死角かつ最も近い場所、魔獣の真後ろだ。
「し、しまっ――」
魔獣が振り返った瞬間、二人は魔法を発動した。回避しようにも足に絡まった魔法の糸が邪魔で身動きが取れない。引きちぎろうと思えば簡単に引きちぎれるかもしれないが、そんな時間的猶予は当然あるはずなく、無情にも魔獣の眼前には二発の魔法球が迫っていた。
ズウウーーーン……。
着弾したのはその直後だった。断末魔さえも上げる暇はない。超至近距離での攻撃を食らい、魔獣は前のめりになって倒れる。
「お見事です、お二人とも」
ヨミは地面に落ちた刀を拾いつつ、二人の働きをねぎらった。しかしまだ完全に倒したわけではない。そして何より、目的の物を手に入れるためにはトドメをさす必要がある。
「あとは私に任せてください」
刀を取り戻したヨミが、魔獣の前に立つ。
「待って」
だがそれを、マリーベルが制止した。
「どうしたんですか、マリーベルさん。まさか情が湧いたなんて言いませんよね」
「もちろんそんなことはないわ。トドメをさす役割は、私に任せてほしいってだけ」
「いいんですか。魔獣にトドメをさすのは……きっと辛い経験になりますよ」
「いいの。そもそも、この村に寄ったのは私のわがままが始まりなんだし」
「……そうですか。ではマリーベルさんに一任します。起き上がる前に済ませてやってください」
「分かってるわ」
そんなやり取りを経て、ヨミとマリーベルは立ち位置を交換する。倒れ伏した魔獣に手をかざし、魔法を放とうとした次の瞬間。
「ご、ごめんなさい……ぼくが悪かったです。もう二度と悪さはしないので、命だけは助けてください……!」
魔獣は変身を解き、トージョの姿に戻ってしまった。目には大粒の涙を浮かばせ、怯えきった表情。とてもではないが、さっきまで森や村で暴れまわっていたとは思えないほどに弱々しい姿だった。
「……マリーベルさん」
「大丈夫、分かってるから。こんなの鳥や虫の鳴き声と同じ。そういう言葉に聞こえるってだけで、実際何か意味のある言葉を発してるわけじゃないのよね」
思わずヨミは声を掛けてしまったが、余計な心配だったようだ。マリーベルの手のひらに構築されていく魔法球は、どんどん大きさを増していく。
「ごめんなさい! 許してください! どうか命だけは、命だけは――」
トージョの言葉はそこで途切れた。マリーベルが放った魔法球により、身が灰になったのだ。そしてトージョだった灰は風に吹かれ、跡形もなく消えていく。ただ一つ、赤紫色の輝きを放つ魔石を残して。
マリーベルはその魔石を回収しつつ、ヨミに尋ねた。
「あなた、魔獣とも戦ったことがあるの?」
「ええ、何度も。その度に命乞いをしてくるので、もう慣れてしまいました。彼らはワンパターンなんです」
「……そう」
マリーベルは少しどころではなく複雑な心境だった。果たして魔獣の相手に慣れることが、良いことなのか悪いことなのか。魔獣といえどスライムやゴブリンと変わらない魔物だというのは分かっている。魔石を手に入れるためにも命を奪わなければならないのも分かっている。
だが、やはり、命乞いをしてくる相手にトドメをさすのは気持ちのいいものではなかった。
「でも、これが魔獣のやり方なのよね?」
「そういうことです」
「はぁ、私は慣れる気がしないわ……」
「別に慣れる必要はないと思いますよ? こういうのは人ぞれぞれだと思いますし」
「そうかしら……そういうことにしとくわ……」
ヨミは励ましてくれたのだろうか。それとも反射的に出てきただけの、彼女にとっては何気ない普通の言葉だったのだろうか。マリーベルはなんとも言えない表情のまま、魔石をバッグにしまうのだった。




