第61話 誤算
翌日。
宿屋の個室から出てきたエルシャとマリーベルの耳に飛び込んだのは、ヨミからの衝撃的な報告だった。
「みなさん、所持品がなくなったりしてませんか?」
「え? 別に何もなくなってないけど」
「わたしも特には」
二人とも顔を見合わせ、首を傾げる。同時に違和感のようなものをヨミから感じ取った。いつもはあるはずのものが、昨日まではあったはずのものがなくなっている……ような気がした。
しかし、そんなことを聞いてくるということは、まさかヨミは何かを盗まれてしまったのではないだろうか。
そのまさかだった。
「そうですか。でも私はやられてしまいました。何者かに刀を盗まれてしまいました」
よく見ると、ヨミの腰にいつも下げている刀の鞘がなかった。なるほど、違和感の正体はこれらしい。心に引っかかっていたものが取れてスッキリ……じゃない!
「え~! 刀、盗まれちゃったんですか!?」
「もう、これで何度目よ……」
エルシャとマリーベルはため息をついてしまう。この展開は少し前にもあったからだ。ヨミにとって刀は相棒と言っても差支えないはずなのに、どうしてこうも盗まれてしまうのか。
「部屋の中に忘れてたりしない?」
マリーベルの質問に、ヨミは首を横に振る。
「ベッドの下に落ちてたりはしてないですか?」
エルシャからの質問にも、ヨミは首を横に振った。
忘れてもいなければ落ちてもいない。これは完全に盗まれてしまったのだ、とヨミはなぜか冷静な口調で結論付けた。完全に盗まれ慣れている感じの冷静さだった。一体、何度盗まれれば気が済むのだろうか。もはや盗まれた当人よりも、他の二人の方が強く慌てていた。
しかし、いくら慌てたところで盗まれたものは返ってこない。
だったら慌てず騒がず、冷静にしていた方がいい。
つまりヨミは正しかった。
「でも、だからといって何もしないわけにもいかないですよね」
エルシャがそう言うと、三人の元へ誰かが近づいてくるのが見えた。それは、昨日エルシャたちをこの宿屋まで案内してくれた男の子だった。
「皆さん、どうかされましたか?」
「キミは確か……トージョくん?」
マリーベルが名前を思い出すと、トージョはニコリと笑う。
「……っ!?」
その瞬間、エルシャの背筋に寒気が走った。理由は分からない。だが、見た目はただの子供であるはずのトージョに対し、なぜか強く警戒してしまう自分がいた。
「どうかしましたか、エルシャさん」
そんなエルシャの変化に気づき、ヨミが心配してくる。
「いえ、なんでもありません……」
だが理由も根拠もない以上、エルシャはそう返すしかなかった。
気のせいだったのだろうか。もし本当に気のせいだったのならそれでいいのだけれど……。
「困ったことがあるなら何でも言ってください」
トージョは笑みを崩すことなく言ってきた。
それに対し、ヨミは「ではお言葉に甘えて」と即答する。
「今朝から私の刀がなくなって困っているんです。何か怪しい人影などは見ませんでしたか?」
「ではあなたも盗難被害に……」
トージョはしばし考え込んだのち、こう答えた。
「そういえば、今朝森の奥に駆け込んでいく怪しい男を見ました。細長い何かを持ってたのですが、何か関係はあるのでしょうか」
細長い何か。
まだ刀と決まったわけではないが、可能性はかなり高まった。
ヨミは続けざまに頼み込む。
「その男は森のどの辺に逃げ込みましたか? もしよければ教えてください」
「もちろん構いません。でも口で説明するのは大変なので、ぼくに付いてきてください」
トージョは快諾してくれた。
エルシャたちはトージョに言われた通り、彼の後を付いていくことにした。
「それにしてもどうして盗まれちゃったのかしら。部屋の鍵はしてたのよね?」
宿屋を出てすぐ、マリーベルはヨミに問いかけた。するともちろん施錠はしていたとの答えが返ってきた。さすがにそこまで抜けてはいないらしい。
だが鍵をかけていたなら、盗っ人はどうやって部屋に侵入し、刀を持ち出したというのだろうか。疑問は深まるばかりだ。
(くくく……悩め悩め。どうせ分からないだろうけどなぁ)
昨晩のことを思い出しながら、トージョは下卑た笑みを浮かべる。
彼の正体は人の姿に化けた魔獣だ。
人の姿に化けられるということはつまり、自分の体を自由自在に変化させることも可能である。
指を鍵穴の形に変形させる、といった芸当もやろうと思えばやれるのだ。
トージョが盗みを働く理由は主に二つ。
一つは単純に嫌がらせのため。特に金品や家畜など、価値あるものを盗むと村人は大いに困ってくれるので、最高に気持ちがいい。
そしてもう一つは、村の外から来た余所者を人目のつかない森の奥まで誘い込むため。彼の正体は魔獣であるため、人間よりも遥かに戦闘能力は高い。それこそ三人程度なら軽く捻りつぶせるだろう。
とはいえ村の中では人目についてしまうので、森の奥まで誘い込んで殺すというのが最も安全な方法なのだ。
「そういえば、この森の中って魔物は出ないんですか?」
エルシャはふと呟く。かれこれ二、三十分は歩き続けているが、未だに魔物とは出くわしていない。
しかし噂をすれば何とやら。
一行の前に、マタンゴというキノコ型の魔物の群れが出現したのだ。
「ヨミさんとトージョくんは下がってて! エル、私たち二人で倒すわよ!」
「はい!」
エルシャとマリーベルが前方に繰り出す。戦えない者を後ろに下げつつ、二人は魔法発動の態勢を取り始めた。
「お二人とも気を付けて。マタンゴの胞子にはくれぐれも触れないようにしてください」
ヨミからの助言を受け、エルシャとマリーベルは頷く。三人とも視線はマタンゴに注視しており、傍らでトージョが醜い笑みを浮かべていることに気づく余裕はなかった。
(さて、お手並み拝見と行こうか。マタンゴはこの森の中では最も強力な魔物。お前たちのような小娘に易々と倒せるような相手ではないぞ……?)
次の瞬間、マタンゴの群れは炎に包まれ全滅した。
エルシャとマリーベルが放った魔法が、マタンゴの群れを焼き尽くしたのだ。
「ふう。楽勝だったわね」
(そんな……!?)
トージョは目の前で起きた光景が受け入れられず、思わず目をこすった。
(もしかしてこいつら……想像以上に強いのか?!)
所詮は人間。しかも年端も行かない女が三人。楽に倒せるだろうと高をくくっていた。
だが実際はどうだ。
エルシャとマリーベルは、自分たちよりも数の多いマタンゴの群れをいとも容易く殲滅してしまったではないか。
(……いや、相性が悪かっただけだ。マタンゴは炎に弱い。しかも奴らは魔法で接近せずとも倒せるじゃないか。くくく……そう、これは相手が悪かっただけだ……)
この時、トージョはまだ自分の誤算に気づいていなかった。あくまで楽観的だった。あくまで自分のことをまだ「狩る側」にいる思い込んでいたのだ。
しかしそのその誤算がのちに大きな破滅を招くことを、この時のトージョには知る由もなかった。




