第55話 本当にありがとう
「ど、どうしてあなたがここに……」
エルシャは思わず眉を吊り上げた。
上でヨミと戦っていたはずのシルヴァが地下牢に現れた。その光景から導き出される結論は一つしかない。ヨミは、シルヴァに負けてしまった。認めたくない事実なのは確かだが、彼の持つ剣の刃部分には赤い液体がべっとりと付着していた。
「言うまでもないだろう? あの女はボクが始末した。たったそれだけのことさ」
シルヴァは剣を一振りし、付着した血液を床に振り落とす。エルシャの巨大な黒炎球を正面から受けたにも関わらず、彼は平然と笑みを浮かべている。あまりにも空虚で冷たい笑みだ。見ているだけで背筋が凍てしまいそうになり、エルシャは不意に視線を外してしまう。
「そんな、ヨミさんがやられたなんて信じられない!」
マリーベルは悲鳴を上げるが、事実は事実だ。ヨミは既にやられてしまったのだ。この場に現れたのがシルヴァだという事実が、どんな言葉よりも説得力を有していた。
信じなくても結構。信じようと信じまいと、結果は変わらないのだから。そう言わんばかりに、シルヴァはまたしても冷ややかに笑う。
「さあ、ファル。キミはこれまでの自分に別れを告げるんだろう? ならばその姿をボクに見せてくれ。そこにいる二人を、キミの手で始末するんだ」
そう言うとシルヴァは、ぷつりと糸が切れて前のめりになって倒れた。先ほどまで平気な顔をして笑っていたが、やはり黒炎球を真正面から受けたことによるダメージは大きかったのだろう。まるでファルに全てを託したかのように、うつ伏せのまま動かなくなった。
「シルヴァ……様……?」
ファルの体は小刻みに震え始める。倒れ伏したシルヴァに手を伸ばそうとするが、ハッと考えを改める。
きっとシルヴァはそんなことなど望んでいない。
自分を心配している暇があるなら、一刻も早く二人を始末しろ。
ちらりと見えるのは、そんなメッセージを込めたシルヴァの眼。
ファルは頭をブンブンと振って、邪念を振り払う。
何にせよシルヴァが倒れてしまったのであれば、もう自分のやるしかないのだ。
託された想いを胸に、ファルは再び鉄槌を担ぎ上げる。
「あたしはもう迷わない。だからあんたも本気で来なさい!」
「ファルさん……どうしてわたし達は分かり合えないのでしょうか」
エルシャは悲壮に顔を歪める。
「魔族は器用な生き方なんて出来ないのよ。あんたなら分かるんじゃない?」
「そう……ですか。もう他の選択肢なんてないんですね」
「あたしは最初からそう言ってたでしょ! 死にたくないなら戦いなさい!」
そう言うとファルは、鉄槌を担ぎ上げたまま急加速。エルシャとの距離を一気に詰めてくる。狙うはたったの一撃、されど最高の一撃。長期戦は不要だ。戦いが長引けばまた想いが揺らぎかねない。ならば、この熱が冷めやらぬうちに目の前に敵を葬り去るのみ――!
「分かりました。わたしも、本気で迎え撃ちます。だから、どうか耐えてください。……どうか死なないでください」
エルシャは三発目の黒炎球を作り出す。これまでの二発に比べて小ぶり。しかし魔力の密度はあまりに濃く、局所的に景色がぐにゃりと歪み始めた。そしてそれは、ファルへ向かってゆっくりと撃ちだされる。
ファルの鉄槌が振り下ろされる。
高密度の黒炎球と、鉄の槌が激しくぶつかり合う。
魔力の残滓が辺りに飛び散る。
いっけんすると黒炎球を叩き潰したファルの勝利かのように見えた。
しかし、エルシャが放った黒炎球はまだ死んではいなかった。
辺りに飛び散った魔力の残滓が突然膨張し始め、無数の黒炎球となってファルに襲い掛かったのだ。
「な、なによこれ……こんなのズルいわ。こんなの……どうやって勝てって言うのよ……!」
そして無数の黒炎球は瞬く間にファルを包み込む。轟轟と燃え盛る炎は火柱となり、断末魔さえもかき消してしまった。聞こえてくるのは、凡そ何かを燃やしているだけとは思えない轟音のみ。しばらくして火柱が鎮火すると、ファルが黒煙を体中の穴という穴から吐き出しつつ膝から崩れ落ちた。
「ファルさん!」
思わずエルシャは駆け寄る。どうやら息はある様子だった。
「ゲホッ、ガハッ……なんで、あんたが心配してんのよ……」
「だって、もう誰にも死んでほしくなくて……」
「ふふ、それが敵にかける言葉? 相手があたしじゃなかったら、今頃あんた殺されてたかもしれないわよ?」
「でもファルさんはそうしてないです。どうか……生きて罪を償ってください」
「ええ、もちろんそのつもりよ」
ファルはそう言った途端、だらりと脱力する。
「ファルさん?!」
すると次の瞬間だった。エルシャやマリーベルの背後に、親衛隊たちが駆けつけてきたのだ。
「まさかこの期に及んで悪あがき!? 最後の最後にやってくれたわね」
マリーベルは周囲を見渡す。人数的にはこちらの方が圧倒的に不利。しかも戦うための力は残ってなどいなかった。
しかし、そんな不安をよそにファルは絞り出すような声でこう言ってきた。
「安心しなさい。彼らはあんたちに危害を加えるつもりはないわ。ただ、最後の仕事をしてもらうためにあらかじめ来るよう指示してたのよ」
「そ、それはどういう……」
エルシャの疑問に答える間もなく、ファルは言葉を続ける。
「まったく、親衛隊なんてよくも恥ずかしい名前を付けてくれたわね。けどそれも今日で最後。あんたたち……あたしと、そこにいるシルヴァを捕らえなさい」
「「「はっ、仰せのままにファル様!」」」
見事なくらい統率の取れた返事だ。しかし心なしか彼らの声には覇気がない。それどころかすすり泣くような声すら聞こえる。なんだかんだ言って、彼らも主君を自らの手で捕らえることには思うところがあるようだった。
「清々するわ。あんたたちの恥ずかしい掛け声を聞くのも、今日で最後だと思うとね」
「えっ、ファルさん……?」
エルシャは面食らっていた。頭が混乱し、理解が追い付かない。
「なに驚いてるのよ。あんたが言ったんでしょ、罪を償えって。まあ、あんたに言われずともいつかはこうなるはずだったわ。たまたま今日がそうだったってだけ。あんたには感謝してもしきれない。……あたしたちを止めてくれて、本当にありがとう」
ファルがそう言っている間にも、親衛隊たちは粛々と二人の体を拘束していく。理解が追い付かない頭に、感謝の言葉まで入ってきて混乱はさらに加速する。
そうしてただ茫然と見ている間に、事件は幕引きを迎えるのだった。




