第54話 地下牢の決戦
◇
「エル、大丈夫……?」
「はい、なんとか……」
降り注いだ瓦礫の中から、エルシャとマリーベルが這い出てくる。二人とも大穴からの落下によるダメージはあるものの、行動に支障をきたすほどではなかった。
エルシャはマリーベルの手を借り、協力して立ち上がる。
「とりあえず、上にいるヨミさんと合流しましょう。しっかり手を繋いでて」
そう言うとマリーベルは杖を高く掲げ、転移魔法陣の発動を試みる。しかし魔法陣を展開しようとした途端に思考がかき乱され、転移魔法陣は不発に終わった。
辺りに舞う砂埃は次第に晴れていく。
その向こう側から、ファルが姿を現した。
「もう忘れたの? この地下牢の中には、対魔法結界が張り巡らされてるってこと!」
ファルは鉄槌を担ぎ上げ、エルシャたちにゆっくりと迫ってくる。大穴を開け、三人もろとも地下牢に落としたのは、戦力を分断するため、そしてエルシャとマリーベルを確実に仕留めるためであった。
戦いとは、常に自分の有利な舞台で行うのが基本。
魔法を武器としている二人には対抗手段などなく、取れる選択肢は一つしかない。
「と……とにかく逃げるわよ!」
「はい!」
都合の悪いことにエルシャもマリーベルも魔法を武器としている。よって、対抗手段は皆無。逃げるしか選択肢はない。この地下牢という舞台は、エルシャたちにとってあまりにも分が悪すぎた。
二人は、なりふり構わず走り出す。
しかし、いくら逃げ惑っても地下牢は無限に続くわけではない。すぐに行き止まりにたどり着いてしまう。またしても袋のネズミだ。
「逃げたって無駄よ。どこにも逃げ場なんてないんだから」
ファルは二人を追い詰めるように、ゆっくりと歩み寄ってくる。後ろを振り向けば壁。双方の距離は、ファルが一歩ずつ近づくたびに狭まっていく。
もはや絶体絶命か――。
そう思われた瞬間、エルシャは追い込まれた状況で敢えて一歩前に踏み出した。
「あの、ファルさん!」
「どうしたの? まさか命乞いをするつもり?」
「そうと思われるなら、そうと受け取ってくれて構いません。けど、最後に一つだけ教えてください。ファルさんはこのままでいいんですか? ずっとこの先もこのまま、シルヴァさんの操り人形みたいに生きてくんですか?」
「……っ!」
ファルの足が、ピタリと止まる。だがそれは考えを改めたからではなく、むしろ逆。突かれたくない所を突かれたかのように、全身をわなわなと震わせる。そんなことを他人に言われたのは初めてだった。心の内側をズケズケと踏み荒らしてくるエルシャに、怒りを超えた殺意が芽生える。
「ファルさんだって、本当はこんなことしたくないんでしょう?」
「あーもううるさい!」
エルシャがそう言った瞬間だった。ファルが担いでいた鉄槌が、床に一発振り下ろされる。威嚇のつもりだったのかもしれない。しかし、エルシャは怯むどころかさらに一歩前進してくる。
「もうやめましょうよ、こんなこと」
「勝手なこと言わないで! あたしは……今の形でいいと思ってる。これはシルヴァ様があたしに与えてくれた最後のチャンスなの。ここであんたらを殺して……あたしは変わる。シルヴァ様に、認めてもらうんだから!」
ファルの表情からは余裕の二文字が消えていた。あまりに必死だった。いや、これはもはや懇願に近いかもしれない。一方でエルシャは、視線をまっすぐ向けたまま微動だにしない。あくまで対話を望んでいるのだ。
しかし、その望みは果たされそうにない。
今のファルに、落ち着いて対話が出来るほどの冷静さは残ってなどいなかった。
「ファルさん!」
「もういい……今すぐ叩き潰してあげるんだから!」
ファルが鉄槌を振りかざした瞬間、周囲の空気が一気に張り詰めた。地下牢全体を満たすかのような殺意の奔流に、エルシャの頬はピリリと痺れてしまう。だが、さらにもう一歩。またさらにもう一歩と、未だ対話を望んでいるかのように前へと出続ける。
「もしかしてあたしを舐めてるの? まだあたしが鉄槌を振るえないって、本気で思ってるの?! あたしは出来る。あたしは……出来るんだから!」
すでに限界は超えていた。
ファルは鉄槌を振り上げると同時、エルシャとの距離を一気に詰め始める。
ここは地下牢。回避するには場所があまりにも狭すぎる。
前や後ろはおろか、横を見ても壁、壁、鉄格子、鉄格子。逃げ場はどこにもなかった。そして、今度のファルは今度こそ本気だった。本気で殺しにかかってきているのだ。
「うりゃああああーーーッ!」
ファルが振り下ろす鉄槌がエルシャを捉えようとした、まさにその時。
「危ない!」
二人の間にマリーベルが割って入る。彼女は杖を前に突き出し、鉄槌からエルシャを守る態勢に入った。だが、それはあまりも無茶な選択というものだ。
理由は実に単純。木の杖で、鉄のハンマーを止められるはずがない。止められるとすれば、方法は一つしかない。そして、その方法も上手くいくかは運しだいの大博打としか言いようがなかった。
だがこういうのは理屈がどうこうではない。
体が勝手に動いてしまったのである。
ガキィィィン――!
まるで鉄と鉄がぶつかり合ったような音が鳴り響く。鉄槌はまだしも、木製の杖からはおおよそ出ないような音だ。しかし、この音こそが、何よりもマリーベルが無事なことこそが、一世一代の大博打に打ち勝った何よりの証拠でもあった。
「い、今のは……まさか理力ですか?!」
マリーベルの後ろで、エルシャは目を丸くする。目の前で繰り広げられた光景には見覚えがあったのだ。
「ええ、そうよ。初めてやってみたけど……どうやら成功したみたいね」
そう、それはハイネがやっていた理力と呼ばれる技術であった。確かに理力ならば魔法が封じられようと、巨大な鉄槌が振るわれようと唯一対抗できる手段であった。
しかし両者の武器が交差した際の衝撃は凄まじく、程なくして杖は粉々に砕け散ってしまう。硬度が爆発的に増すとはいえ、実際の耐久性が増すわけではない。むしろ一発だけでもファルの鉄槌を防げたのなら上出来と言えよう。
「けどエル、これで分かったでしょ? あいつとなんて……魔族となんて話し合いなんか出来っこないわ!」
マリーベルの言ったことは正しくはないかもしれない。しかし、間違ってもいない。先ほどの光景を目の当たりにしてもなお意固地になるほど、エルシャは現実が見えていないわけでもなかった。
「……はい、存分に分かりました。わたし、覚悟を決めます。ファルさんは……わたしが倒します!」
「倒すって言うけど、いったいどうやって倒すのかしら。ここは魔法が封じられてるって、また忘れたわけ?!」
ファルは声を荒げるが、エルシャの耳には届いていない。精神を集中させているのだ。その姿を見てファルは呆れそうになるが、どうも様子がおかしい。
魔法は発動できないはずだが、どういうわけかエルシャの周囲に黒い炎が漂い始めている。
そして様子がおかしいのは周囲の景色もだ。
鉄格子が壁がぐにゃりと歪んで見えるのはおそらく錯覚などではない。
異様な熱気が、エルシャを中心に発せられているのだ。
「な……何よそれ。ここは対魔法結界が張られているのよ!? なんであんたは魔法が使えてるのよ!?」
熱気ゆえか、それとも冷や汗か。想定外の事態に、ファルの額には汗が滲み出していた。なりふり構わず叫ぶが、やはりエルシャの耳には届いていない。
このままではまずい。
そう思った瞬間に、エルシャは黒い火球を放ってきた。
「くっ、避けられない!」
ならば迎え撃つしかない。
ファルは鉄槌を高々と上げ火球に振り下ろすと、難なく叩き潰せた。
あまりに手ごたえがない。
だが、今のファルに違和感を感じている余裕などなかった。
違和感の正体に気づけたのは、顔を見上げてエルシャに視線を移した直後であった。
「えっ……?」
エルシャはすでに、二発目の炎弾を発射していた。しかも一発目よりも大きく、密度も濃い。
「すみません、さっきのは見せ球です。けどあなたなら絶対に振ってくれると思いました」
魔族の化け物じみた腕力といえど、振り下ろした直後の鉄槌を持ち上げるのは容易なことではない。ましてや一発目の対処で体勢を崩してしまっている。
「その黒い炎、あんたまさか――」
もはやファルは鉄槌を持ち上げることさえ諦めてしまう。腕は完全に脱力し、だらんと垂れ下がる。眼前に迫る巨大な黒炎。直撃する、その寸前。
「ぐううう……! ファル、大丈夫かい?」
ファルの目の前に立ちふさがったシルヴァが、代わりに黒炎を受けたのだった。




