第52話 裁判長と親衛隊の誕生
それからというもの、町の雰囲気はガラリと変わってしまった。
ファルが大通りに繰り出せば、誰が指図したわけでもないのに一斉に皆が跪くようになった。
たった一日の、たった一つの出来事で、町の住人の心には恐怖が植え付けられていた。
逆らったり不躾な態度を取れば、次は自分が処刑されてしまうのだ、と。
だから、極力ファルを怒らせないように、機嫌を損ねないように、静かに息をひそめて過ごすようになった。もし仮に会ってしまったのならば、一国の王に相対するかのような礼儀作法で、少しでも怒りを買わないように細心の注意を払うようになったのだ。
最初は誰もが過剰な接し方なのではないかと疑った。
だが日が進むにつれて、誰もが疑問に思うことなく跪くようになった。
実際、この礼儀作法を取ればファルは何も言わずに通り過ぎてくれた。
過剰だろうが仰々しかろうが、それで命が助かるのならばいくらでも頭を下げられる。いくらでも跪いてやれる。誰も彼も、結局は我が身が一番かわいいのだから仕方がない。
以前は賑わっていた大通りも、今は閑散と静まり返っている。
不用意に出歩いてファルに出くわすくらいなら、じっと家に閉じこもっていた方が身のためだと考えるようになってしまったのだ。
もしかしたら変わったのは町の雰囲気ではなく、人の方なのかもしれない。
「……!」
その時、大通りに緊張が走る。
ファルの姿が見えてしまった。
緊張は人から人へと伝搬していき、通りの前方にいる住人から順に一様に跪き始めた。
町の外にいる人間が見れば異様に映るのは間違いない。
しかし、この町では至って普通の光景だった。
不満を持ちこそすれ、決して言葉にも顔にも表そうとはしない。
もはや強国の一軍隊を思わせる従順っぷりだ。
「……はぁ」
ファルは誰にも聞こえないよう小さくため息をつく。大通りに連なる跪く人の群れを見るのは、ファルも好きではない。むしろ嫌悪感さえ覚える。それでも何日か一度大通りへ繰り出すのは、やはりシルヴァの指示によるものだった。
曰く、定期的に姿を見せることで住人の気を引き締める効果があるとのこと。実際の効果は、御覧の通りと言うべきか。
「ねえ!」
すると突然、ファルの近くに一人の幼い少女が駆け寄ってきた。周りで跪いていた大人たちは動揺こそすれ、俯いたまま動こうとはしない。だがそんな大人たちの心配をよそに、ファルの第一声はいたって普通の一言だった。
「……どうした」
思わず周りの大人たちは安堵した。相手が小さな子供とはいえ、ファルならば即刻処刑にしかねないからだ。しかし、次に発した少女の言葉により、雲行きは一気に怪しくなる。
「わたしのパパが帰ってこないの! お願い、わたしのパパを返して!」
パパとは、先日の演説の際に妨害をしてきた男のことだった。つまりこの少女は、あの男の、実の娘……。もしかしたら取り返しのつかないことをしてしまったのでは。ファルは顔を青ざめさせるが、気取られないように振舞う。
「なんだ、そんな程度のことであたしに話しかけてきたの?」
「……えっ?」
たとえ相手が小さな子供だろうと、特例を与えれば後々めんどうなことになる。
これもまたシルヴァからの教えだったのは言うまでもない。
ファルは絶望の色に染まっていく少女の顔を見ないよう、必死に視線を逸らし続けた。そして、さらに言葉を続ける。
「お前の父親が帰ってこないのは当然のことよ。だってあたしが……あんたの父親は、あたしが! この手で! こ……殺してやったんだから!」
「そ、そんな……うぅ、うわああああああーーん! 返して、返してよぉ!」
ついに少女は泣き出してしまう。しかしファルは後ろを向き、護衛として付いてきていた二人の使用人に言い放つ。冷徹だが、どこか震えたような口調で。
「この子供を屋敷に連れて行きなさい」
「はっ! 連行した後はどうすればよろしいですか?」
「……地下牢にでも入れておきなさい」
「はっ! 直ちに!」
使用人はファルから少女を引き取り、屋敷の方へと連れていく。少女はしばらく泣き叫んでいたが、その声もだんだんと小さくなり、やがて聞こえなくなった。
それからファルは再び大通りに視線を移す。跪いていた住人の何人かは立ち上がり、怯えるような表情でこちらを見ていた。しきりに口を動かして叫ぶ者もいれば、ただ呆然としている者もいる。
声は聞こえこそすれ、何を言っているかまでは聞き取れない。というより、敢えて聞かないようにした。耳をふさぎ、目をそらし、ファルは来ていた道を引き返していった。
◇
深夜の訪れを待ってからファルは行動に移すことにした。この時間帯ならば人の目は極端に少なくなる。向かう場所は地下牢の、とある鉄格子の前だ。
そこに収監されているのは、昼に捕らえたあの少女。
ファルは音を立てないよう注意しつつ、鉄格子の錠前に鍵を差し込む。そして不慣れな手つきで鉄格子の扉を開けると、隅の方で眠っていた少女は目を覚ました。
「ファル……様?」
「しっ、静かに。ここから出たいなら首を一回振りなさい」
少女は一瞬驚きつつも、ゆっくりと首を縦に下ろす。
ファルはその反応を見届けると、少女の手を引いて鉄格子の外に出た。
「ファル様、どうしてわたしを……」
「静かにって言ったでしょ。黙ってあたしに付いてきなさい」
少女の手を引いたまま、ファルは屋敷の外を目指して歩き始める。夜更け過ぎのため、屋敷内は不気味なほど静かだった。二人は足音を立てないよう、誰にも見つからないように細心の注意を払いながら裏口を目指す。距離的に近いのは正面玄関だが、見つかるリスクは最小限に抑えたい。
これほど息の詰まる夜中の散歩があるだろうか。不思議と気分は高揚し、歩幅はどんどん大きくなる。息も切れ切れ。しかし、二人は程なくして裏口へとたどり着くに至った。
ファルは少女の手を離し、屋敷の出口に指を差す。
「あたしが連れてこれるのはここまでよ。あとはあなた自身の足で逃げなさい」
少女は首を一回だけ縦に振り、駆けだす。その背中が見えなくなるまで、ファルはじっと見送り続けた。やがて少女の姿は闇に飲まれ、完全に見えなくなった。
これでいい。あとは彼女自身が上手くやってくれることを祈ろう。
ファルは屋敷の方へ踵を返す。
その瞬間、視界にシルヴァの姿が映った。
いつの間にか背後に立たれていたのだ。
「ひっ! ご、ごめんなさい……!」
反射的に頭を下げるファル。だがシルヴァは咎めるどころか、微笑みを浮かべてこう言った。
「やってくれたねぇ。まさかキミがこんな行動に出るとは思わなかったよ」
その言葉には棘、あるいは怒気といったものは感じられない。嫌味でも何でもなく、表情の通り素直に賞賛しているのだ。
状況と言葉の不一致。ある意味最も不気味な表情だ。ファルは恐る恐るシルヴァの瞳を覗き込む。
「いやいやボクは嬉しいんだよ。今までは操り人形でしかなかったキミが、ついに自分の意思で行動したんだからさ」
「こ、こんなの間違ってる! こんなやり方、誰も幸せにはならない!」
「へぇ。魔族のキミがそんなことを言うんだ。でもね、間違ってる間違ってないの問題じゃないんだ。無能なボクにはこのやり方しかないんだよ。キミだってボクにいなくなられたら困るだろう?」
「……っ!」
何も言い返すことが出来ない。
そんなファルに、シルヴァはさらに言葉を続ける。
「だいたい、キミが鉄槌を振り下ろせないせいで手間が一つ増えてるんだよね。そうでなきゃ地下牢に罪人をいったん閉じ込めとくなんて面倒なことは挟まないよ。今はまだいいけど、いつしか町の人たちも気づくはずだ。どうせ処刑するってのに、どうしてその場でやらないのか……って」
今のところ処刑の実行役はファルではなく、シルヴァが担っていた。もちろん公の場で処刑することになると正体や関係がバレてしまうので、地下の小部屋にいったん送らねばならない。これがまた非常に効率が悪いのだ。地下牢に閉じ込めておくにしても、いったい誰が面倒を見るというのか。
「あの、ご、ごめんなさ……」
「ハハッ、謝るなよ~。ボクはさっきから嬉しいって言ってるだろ? けど……どうしても役に立ちたいって言うなら……一つ提案があるんだ。やってみる?」
「やる! やらせてほしい!」
即答だった。
ファルは首を縦にブンブン振る。
「いい反応だ。じゃあキミにはこれから裁判官の仕事をやってもらう。実はボクの両親は弁護士と検事で、この屋敷も裁判所の役割を持っているんだ。キミもハンマーを持ってることだし、お似合いだろう?」
「え、あたし……裁判官なんてよく分から……」
「形だけでいいんだよ形だけで。キミはただ裁判長の席に座って、有罪、死刑~っ! 執行は翌日~っ! って言ってればいいのさ。どうせ処刑になるんだ。まあ、演出ってやつだよ」
そう言いながら、シルヴァは無邪気な笑みを浮かべていた。
「どう、出来そう?」
「……分かった。あたしは、やる! あたしなら、出来る!」
「お~偉い偉い。じゃ、よろしく頼んだよ」
「え……へへ……」
シルヴァに頭を撫でられ、ファルもまた無邪気に笑う。初めて頼りにされたのが、すごく嬉しかったのだ。心に開いた隙間に、水が一気に溜まっていくような感覚。
ファルは再び無邪気に笑う。
シルヴァもまた、無邪気に笑っていた。
◇
「こんなところに呼びつけてどうしたんですか、シルヴァ坊ちゃん……いや、あんたはもうただのシルヴァか」
ひとけのない薄暗い路地裏。
シルヴァが呼び寄せた相手は、屋敷の使用人の一人であった。
「キミにしか頼めない用があるんだ。簡潔に言うと、私兵をまとめ上げる役目をキミにやってもらいたい」
「ハッ、なぜオレがそんな面倒なことをやらにゃならねえんだ?」
「キミが優秀だからさ。だってキミは、ボクの兄を殺したのに今まで平然と暮らしてきたじゃないか。それだけ悪魔じみた図太さがあるなら、粗暴な連中もきっとまとめ上げられるはずだよ」
「……チッ、まさかバレてたとはな」
「それで、返事はどっちかな」
「ああ、分かった。やってやるよ。やればいいんだろ!」
使用人、もとい殺人犯の男は「お前だって十分悪魔じみてるぜ」と言い残して去っていった。
「私兵の名称はどうしようかな。衛兵も騎士団も少し違うし……そうだ、親衛隊にしよう。ファル様親衛隊。うん、ピッタリだ」
こうしてシルヴァは、たった一日のうちに「裁判長」と「親衛隊」の二つを誕生させるのだった。




