第49話 分かったかい?
◇
夜更けの町を一人の少女が練り歩く。彼女の肩には自分の背丈ほどもある巨大な鉄槌が担がれており、一歩歩くごとにその鉄槌が上下する。心が弾んでいるのだろう。
「……ふふふっ。今宵、あたしがこの町をいただいちゃうわ!」
彼女の名はファル。今はただの魔族である。しかし、のちに彼女は本当に町を手にすることになる。これは彼女にとって、そしてシルヴァにとってすべての始まりとなった夜の出来事だ。
「さーて、この町で一番偉いやつがいるのはどこかしら?」
目に入ったのは高台にある屋敷だ。権力者というのは得てして高い場所、そして大きな根城を好むものだ。あの屋敷にいると見て間違いないだろう。目指すべき場所は決まった。ファルは一直線に高台の屋敷に向けて歩みを進める。
「……あっ」
と見せかけて急ストップ。草木に巣を張るクモの糸に、蝶が引っかかっていた。このままでは蝶がクモに食べられてしまう。だが、これも自然の摂理というものだ。蝶を可哀そうに思って逃がしてやるのはあまりに偽善というものだ。
それは理解している。
ここで蝶を逃がすということはつまり、クモの獲物を取り上げるのと同義だ。この行いがきっかけで、クモが飢えてしまうこともありうる。
そう、だからこれは仕方ないことだ。
ファルはクモの巣に絡まった蝶を見なかったことにし、再び屋敷への歩みを進める。
「うぅ、やっぱり見逃せない……!」
かと思いきや、ファルはクモの巣のところまで戻ってきてしまう。
本当はダメなこととは思いつつ、ペシッとクモの巣にくっついていた蝶を弾き飛ばした。
これで蝶は巣から脱出することができたが、クモには悪いことをしてしまった。
ファルは巣に向かって申し訳なさそうに頭を下げる。
最近知ったことだが、人間は悪いことをしたときはこうやって許しを請うらしい。
そして頭を上げるのと時を同じくして、空にいつの間にか広がっていた雨雲からポツポツと雨粒が降ってくる。
だいぶ道草を食ってしまった。
ファルは雨を鬱陶しそうにしながら、屋敷への道を急いだ。
◇
屋敷へ着くころには、雨は本降りとなっていた。遠くでは雷も鳴り始めている。夜中というだけあって屋敷の扉はすべて固く閉ざされているが、ファルには関係のないことだ。適当な壁に狙いを定め、鉄槌を思い切り振るう。
ドゴォン!
豪快な音を立て、壁は脆くも崩れ落ちる。
そして中へ入ると――。
「……えっ?」
悲鳴と驚愕の入り混じった情けない声をファルは上げてしまう。部屋にいたのは三人の人間だった。
うち二人の男女は血を流して横たわり、もう一人の少年は血の付いた鉈を手に棒立ちしていた。振り向いてきた。少年は至って平然としていた。ファルとは対照的に無機質な目を浮かべ、こう言った。
「ああ、見られちゃったかぁ」
「そ……そこの二人は貴様が殺したのか?!」
「そうだよ。というか、それ以外に考えられないでしょ」
「なぜだ! なぜ殺した?! そこの二人は……貴様の両親ではないのか?!」
「……」
少年はわずかばかりの間だけ考え込み、再びファルに目を向けるとこう答えた。
「それが……ボク自身もよく分からないんだ。いろいろな事情が積み重なった結果がこれだってだけで、多分深い意味はないんじゃないかな」
「そ、そんな……」
ファルは絶句するしかなかった。
目の前にいる少年の名はシルヴァ。
そして彼の足元に横たわるのは彼の両親。
分かっていることと言えば、そんな単純な二つの事実だけだ。
この結果にはシルヴァの言う通り、何の意味も持たない。気分が晴れるということもない。ただひたすらに、無が続いているだけだ。
「そんなことより、さ。キミにお願いがあるんだ」
「お、お願い……?」
引きつった顔を悟られないよう、冷静さを装ってファルは聞き返す。
「うん。この二人はキミが殺したってことにしてくれないかな。どうせキミだってこの二人を殺すのが目的でここまで来たんでしょ?」
「そ、それは……」
ファルは否定することはしなかった。
しかし目的はあくまで町の乗っ取りであり、殺害は単なる手段でしかない。というより、専ら殺すことなど計画には入っていなかった。それはファルの性格や人となりからして分かることだろう。彼女は温厚で優しい魔族なのだ。
「何も言わないんだね。やっぱりそれで合っているじゃないか」
「ち、違う、あたしは決して……!」
「いきさつはどうあれキミの目的は果たされたも同然だろう? だから、ボクにちょっと協力してくれないかな。ボクが殺人鬼になってしまうのは少し不味いんだ。これでもボクは領主の息子だからね」
「か……勝手に話を進めるな!」
「何言ってるんだよ。キミ、魔族だろう? 魔族っていうのはもっとこう……血に飢えてたり、争い事をしてなきゃ死んでしまうような種族じゃなかったのかい?」
あまりにひどい偏見だ。だが大半の人間の魔族に対する認識なんてこんなものだろう。ファルはその見た目通り、魔族としてはかなり若い部類に入る。彼女はあまりに世界というものを知らなさ過ぎた。人間というものを知らなさ過ぎた。決して目の前にいるシルヴァという少年が特別に異常というわけではない。仮に異常だったとしても、この異常性は人間なら大なり小なり持ち合わせているものだ。
「とりあえず……キミの持ってるそのデカい鉄槌でさ。二人をぐちゃぐちゃになるまで潰してよ。そしたら本当の死因は分からなくなる。ボクが鉈で滅多切りにした事実も、ぜーんぶ潰れてしまうはずさ」
「あ……あああ……っ!」
「どうしたの? まさか出来ないなんて言わないよね?」
「あああああーーーっ!」
ファルは鉄槌を振りかぶった。そして――。
「……ふぅ。やっぱり魔族の使う武器はひ弱な人間には重すぎるよ。こりゃ人間が魔族に勝てる日なんて永遠に訪れないね」
実際に鉄槌を振り下ろしたのはシルヴァだった。ファルは振り下ろそうとした瞬間に腰が引け、鉄槌を手放してしまった。だからシルヴァが代わりに振るった。何度も何度も、原型がなくなるまで何度も振るった。これでもう実際の死因が鉈による切り傷だとは誰にも分からないだろう。
「貸してくれてありがとう。これは返すよ」
「ひっ! ち、近寄るな……!」
ファルは思わず後ずさった。
「……。キミ、立場分かってる? この死体を第三者が見たら誰がやったと思うかな。ボクたちはもう共犯関係だ。自分が疑われたくないなら、キミ自身も頑張らなくちゃいけないんだ」
「あ……あ……」
「分かったかい?」
「分かっ……分かり、まし……た……」
ファルは力なく頷き、血の滴る鉄槌をシルヴァから受け取る。
雨は土砂降り。
遠くで聞こえていた雷も、だいぶこちらへ近づいてきていた。




