第46話 地下水路
地下水路は意外にも清潔さが保たれていた。確かに臭いはするが、鼻が曲がってしまうほどの酷さではない。通路は緩やかな上り坂が続いており、勾配に沿って水が流れてきている。この水の流れに逆らうようにして通路を進んでいけば、おのずと屋敷の地下へとたどり着くはずだ。
それにしてもさっきから気になることがある。臭いではない。むしろ嗅覚よりも聴覚。
ぼよん、びちゃん、ぼよん……と柔らかい何かが跳ねる音がずっと耳にこびりついて離れないのだ。地下水路自体はしーんとしている分、余計にその音は響く。水の流れる音に混じって、確かに聞こえてくるが、ある時を境にピタリと止んだ。
音の正体が分かったのは、暗闇に包まれた通路をしばらく進んでいった後だった。
先頭を進んでいたヨミが、ふと立ち止まる。
「おっと、これは……」
「どうかしたんですか?」
エルシャが尋ねると、ヨミは指を前に向ける。明かりで先を照らすと、丸くて大きい何かが通路をふさいでいた。
スライムだ。色は半透明だが濁っている緑色。質感はプルンプルンというよりはブヨンブヨン。あからさまに体に悪そうな色とボディだ。地下水路を住処にしている個体だからだろうか。きっとそうに違いない。
「誤って口にでも入ったら大変なことになりそうですね~」
相変わらずヨミは呑気に斜め上の感想を述べる。
「そんなこと言ってる場合!? 気づいてないうちにさっさと倒しちゃいましょ!」
マリーベルはそんなヨミをいさめ、背中の杖を取り出し構える。杖の先端にはすでに魔法陣が浮かび上がっている。あとは魔力を込めるだけで魔法は発動可能だ。
「待ってください」
しかしヨミが片腕を横に伸ばし、魔法の発動を制止させる。何か考えがあるらしい。マリーベルもそれを読み取り、魔法陣を解除する。
「おそらくあのスライムはこの町に欠かせない存在です。倒してしまうと水の巡りに支障をきたしてしまうかも知れません」
ヨミは勘付いていた。あのスライムは他所から侵入してきたのではなく、人の手によってあえて地下水路に放しているのではないか。あるいは元々住み着いていたものを駆除せず放置しているか。その目的はずばり、汚水や汚物の排除。
スライムの体は有機物を分解できる能力を持った微小生物の群体である。核となるスライムコアに、粘菌に似た捕食体が無数に寄り集まって一つの塊になっているのだ。そして常に分裂と合体を繰り返して増え続けている。
エサは地下を流れる汚水と汚物。目の前にいる個体のように大きく成長すれば、ネズミや虫なども捕食するようになる。つまりスライムを倒せば町の衛生状態が悪化してしまう。それを危惧してのことだろう。
「じゃあ、どうすればいいの?」
杖を背中に仕舞いながらマリーベルが尋ねる。
「少しだけ通れそうな隙間があります。そこを通っていきましょう」
そう言ってヨミはスライムの後ろ側を指差す。そこには確かに人一人分の隙間が開いていた。幸い、スライムが動く様子もない。三人は頷き合うと、慎重に隙間を通り抜けていく。
「何か音がしませんか? ガラスを引っかいたら出そうな感じの……」
壁とスライムに挟まれながら、エルシャがふと呟く。
「弱ったネズミの鳴き声でしょう。身体が半分くらい溶けたネズミがちらりと見えましたから」
「ひっ……」
あくまでヨミは冷静に答えた。怖がらせるつもりはなかったが、エルシャは何かを思い出したかのように小さく悲鳴を上げる。
隙間を通り抜けると、通路は少しだけ明るくなった。そのおかげか、エルシャが顔を引きつらせているのがよく分かった。
「エル、どうしたの?」
マリーベルは心配そうに尋ねた。
「ちょっと……いやな思い出が蘇ってきて……」
「いやな思い出?」
「あのネズミの気持ちがちょっとだけ分かるというか……」
エルシャはそれ以上何も言わなかった。何があったのか気になるところだが、どうやら触れられたくないらしいので追求は止めておいた。
そんなこんなで三人は進む。通路をしばらく進むと梯子が見えてきた。宿屋の主人が言ってたのはアレのことだろう。若干ぬめりがあるのが気になるところだが、三人はその梯子を上って地上へと出た。
地上に出てまず目に飛び込んできたのは、巨大な屋敷だった。外観には三人それぞれ見覚えがある。間違いない、ファルの屋敷だ。色々と苦労はあったものの、ようやく目的の場所にたどり着けたらしい。
しかしまだ問題はある。
どうやって屋敷の中へ入り込むか、だ。
入り口部分にはやはり門番が立っており、脱獄事件があったせいか、いつも以上に目を鋭くさせて見張っている。
「どうしようかしら。腕章もバッジもないから変装作戦はとれないわ」
マリーベルは首をかしげる。
「第一、向こう側に顔は割れてしまってます。同じ手は使えないでしょうね」
「じゃ……じゃあ、どうするってのよ」
少し考えたのち、ヨミは答えた。
「ここまで来たら小手先の技なんかに頼らず、正々堂々と正面突破しましょう」
「ああもう、結局そうなるのね!」
「ええ、ド派手にいきましょう」
脱獄の手助けをした人間から出たとは思えない、豪快かつ清々しい言葉だった。あまりの力強さと潔さに、思わず二人は賛同して頷いてしまう。正面突破での潜入が決定した。
三人は互いに目配せし、屋敷の門前へと歩き出す。門番たちは近づいてきたヨミたちの存在に気がつき、声をかけてきた。
「何者だ貴様ら――ぐへっ?!」
しかし、声を掛けたら対話が始まるというわけではない。
次の瞬間には首筋に刀の峰を当てられ、気雑してしまった。
「安心してください、峰打ちですから。……またこのセリフが言えて私は大満足です」
ヨミは顔をほころばせる。
「ま、まさか侵入者か!? ……いや違う、お前らのその顔見覚えがあるぞ!」
もう一人の門番は後ずさり、応援を呼びに行ける隙を伺う。……が、当然そんな隙があるはずない。一歩後ずさる間にヨミは十歩詰めていた。
「では失敬」
そして再度峰打ち。もう一人の門番も気絶してしまった。
「さあ、邪魔者はいなくなりましたよ。早く中へ入りましょう」
「え、ええ……」
「そ、そうですね……」
ヨミは実に満足そうに笑みを浮かべていた。
エルシャとマリーベルは絶対にヨミだけは怒らせまいと心に誓うのだった。




