第41話 対魔法結界
地下牢へ続く階段を下りながら、マリーベルは特大のため息をついた。まるで今まで止めていた分をすべて吐き出したかのような、本当に今まで聞いたことのないため息だ。ファルの部屋にいた間はずっと生きた心地がしなかった。前も隣も、油断ならない人物に囲まれていたからには仕方がない。あの空間は、常人が住まうにはあまりに過酷な環境だった。
「もしかしてマリーベルさん、自分のこと常人寄りとか思ってます?」
「……は?! い、いきなり何よ?!」
吐き出したため息に文字でも書かれていたのか、ヨミは唐突に意味不明なことを言い出す。だがマリーベルには何か心当たりがあるようで、返事の声が思いっきり裏返っていた。
二人は地下へ続く階段を降り、地下牢へ続く扉を前に立ち止まる。
「というか、そろそろロープを解いてよ。もう罪人のふりをする必要はないでしょう?」
「おっとこれは失礼。すぐに外します」
ヨミは妙に小慣れた手つきでロープを解いていく。ようやく晴れて自由の身となったマリーベルは、赤い跡の残る手首を気にしながら背伸びをした。凝り固まってしまった体がほぐれ、小気味のいい音が鳴る。
準備は万端だ。二人は互いに頷き合うと、慎重に地下牢へ足を踏み入れる。薄暗くてじめじめしているのはどこの地下牢も同じなようだ。
通路にはたくさんの牢屋が立ち並んでいるが、そのほとんどに囚人は収容されていない。町の治安がよほどいいか、あるいは処刑の回転率がいいかのどちらかだろう。
二人はそんな空の牢屋を確認しつつ通路を進んでいく。
目的の牢屋は、かなり奥まで進んだ先にて見つかった。
「ヨ、ヨミさん!? それにマリーベルさんも!?」
「なんじゃ、おぬしの知り合いか?」
牢屋の中には、二人の囚人が収容されていた。
一人は目的のエルシャ。そしてもう一人は古風なしゃべり方をする若い旅人風の女だった。牢屋に入れられて辛い思いをしているかと思いきや、顔色から伺うにそこまで辛そうにはしていなかった。二人の間には板のような物が置かれており、何らかの遊戯を楽しんでいたのが見て取れる。
想像していたより余裕そうだったので拍子抜けな気がしなくもないが、無事に見つかって何よりだ。
「よかったぁ。エルが無事で――」
マリーベルが安堵の息をつくのもつかの間。地上へ続く階段の方から、何者かが降りてくる足音が聞こえてきた。それも一つや二つではない。屋敷内にいる親衛隊を総動員したかのような、けたたましい多数の足音が地下牢に鳴り響く。それに連動するかのように、マリーベルたちの心臓も小刻みに高鳴り始める。
「親衛隊どもが来おったな」
若い旅人が忠告する。
「どうやら時間はなさそうね。けど安心して。私の魔法で、みんな一緒に脱出よ!」
そう言ってマリーベルは、杖を強く握る。この状況で使うべき魔法はもちろん、
「――転移魔法陣!」
……。
しかし、何も起こらない。
一方でけたたましい足音は、どんどん近づいてくる。
「そんな、どうして!?」
「無駄じゃよ。この地下牢全体には対魔法結界が張り巡らされておる。ここでは魔法は使えんよ」
対魔法結界。その名が示す通り、結界内にいる者は体内魔力の流れが阻害され、思うように魔法が使えなくなってしまう。転移魔法陣が不発に終わったのも、対魔法結界が張られているせいだ。
「やはりそうでしたか……。地下牢ですし、張られてて当然でしたかね」
ヨミは眉をひそめながらも、懐から何かを取り出して鉄格子の中にいるエルシャに差し出す。
「エルシャさん、これをあなたに渡しておきます。それを使って自力で脱出してください」
「こ、これは……?」
エルシャが問うも、ヨミに答える余裕はなかった。階段を下りてきた親衛隊員が、二人の前に立ちふさがっていたのだ。数にしておよそ八人。圧倒的に数的不利と言わざるを得ない状況である。
「くくく……お前らほんと馬鹿だな。袋のネズミだってことにまだ気づいてねえのかい!」
親衛隊の一人がヨミたちを挑発した。実際、この地下牢は地上への階段以外に連絡通路はない。ひとたび振り返れば壁。逃げ場などどこにもなかった。
「まさか私の完璧な変装が見破られていたとは。だとすればこれはもう必要ありませんね」
するとヨミは、付けていた腕章とバッジを床に投げ捨ててしまった。その腕章とバッジは親衛隊という身分証明だけでなく、ファルへの忠誠を示す重要な品。たとえ他人から奪い取ったものだろうと、あまりに失礼な行いに親衛隊たちは憤りを隠せなかった。
「き、貴様ァ! ファル様からの贈り物に泥を付けるとは何事だーーーッ!」
先頭に立っていた親衛隊員が、剣を抜き放ちながら怒りに任せて突進してくる。
それをヨミは軽くいなし、反撃とばかりに隊員の首筋へ刃を撫でつけた。
「ぐあっ……!」
隊員はその場に倒れ、動かなくなってしまう。
「安心してください、峰打ちです。……このセリフ、前々から一度言ってみたかったんですよね」
「言ってる場合!?」
マリーベルからごもっともな指摘を受け、ヨミは気を引き締めなおす。親衛隊の一人が倒されたことで、他の隊員はさらに激しい憤りを見せていた。
「うおおおおーーーッ!」
そして、各々が武器を構え一斉に襲い掛かってくる。
「マリーベルさん、私の傍から決して離れないでください」
「うぅ……あなただけが頼りだわ!」
悔しさを滲ませながらも、マリーベルは大人しくヨミの背後に身を隠す。魔法を使えない以上、そうするほかなかった。戦闘に関しては完全にヨミへ委ねる形となる。刃と刃がぶつかり合う音が、地下牢にこだました。
(大丈夫……ヨミさんならきっと大丈夫よね……?)
マリーベルはヨミの背中で戦いを見守る。
しかし、そんな思いとは裏腹に徐々に後退しつつあった。少しずつ少しずつ、壁際へ追い込まれているのだ。
「……むぅ。あの女子、相当な手練れのようじゃがさすがに多勢に無勢かの」
鉄格子の中。ハイネは戦局を見てそう呟き、隣にいるエルシャの顔を青ざめさせた。
「そんな! どうにかなりませんか!?」
「そう言われても、わしらは手出しできんからのぅ。何か投げられそうな物があれば話は別じゃが」
ハイネは辺りを見回す。牢屋の中は意外と整理が行き届いており、石ころ一つ見当たらない。何か手立てはないのか。あるとすれば、アレだけか……。
「むむむぅ。もうこれしかないのか。結構高かったんじゃがなぁ……。まあ仕方あるまい」
目に入ったのは、竜人将棋の駒だった。ハイネはその中から、一番大きい「王」の駒を手に取る。
しかし、一番大きいとはいえ、たかが将棋の駒。ぶつけたところでダメージにはならないのは、エルシャでも分かることだ。
「そ、それを投げてどうにかなるんですか?」
「ふん、まあ見ておれ」
エルシャの不安をよそに、ハイネは鉄格子の隙間を縫って駒を投げつける。それは緩やかな軌道を描き、隊列を組む親衛隊たちの先頭――今にもヨミに斬りかかろうとする隊長クラスの男に命中する。
その瞬間。
ただ駒が当たったとは思えないほどに男の体は大きくのけ反って倒れた。
「今じゃ!」
「――! 援護感謝します!」
隙が出来た。
ヨミはすぐさまマリーベルを抱きかかえ、先ほど倒れた親衛隊員を踏み台に跳躍。後方の親衛隊員の肩に乗ると、それもまた踏み台にして肩から肩へと次々飛び乗っていく。
まさにあっという間だった。
一瞬にして最後方の親衛隊員まで飛び移り、追い込まれていた状況を脱するのだった。
あとはマリーベルを地面に下ろし、地上へ続く階段まで一気に駆け抜けていく。
二人の後ろ姿はもう見えなくなってしまった。
「おお、まさに八艘飛びじゃな。王の駒は失くなってしもうたが、代わりにとんでもないものが見れたわい」




